2017年10月27日金曜日

「“やる気”“モチベーション”は十分条件ではない」ということを忘れない



いろいろな会社でリーダー、マネージャーの人たちに話を聞くと、部下やメンバーの「やる気」「モチベーション」を課題に挙げる人が数多くいます。
「モチベーションを下げないように」「やる気を失わないように」ということを重視していて、コミュニケーションの取り方に注意し、できるだけそれに見合う仕事を与えられるように意識しています。

人の意識にポジティブな影響を与える心理学的アプローチやコミュニケーション技法は、数多くの書籍やそれに関する情報をたくさん見ることができます。それらのものを調べて組織マネジメントの参考にするのは良いことですし、リーダーには必要なことでもあります。

ただ、こういう取り組みを意識的に実行しているにもかかわらず、「うちのメンバーはやる気満々」「いつでもモチベーションが高い」などと評価するリーダーには、残念ながらそれほど多く出会えるわけではありません。いろいろ意識や工夫をして、また苦労をして取り組んでいても、なかなか思い通りに盛り上がらない、高まらないということがほとんどです。

ただ、それはある意味当然のことです。「やる気」「モチベーション」というものは、その人その人によって感じ方のツボが違う“主観”に大きく左右されるものだからです。
例えば、一般的に言われる「やりがい」「興味」「インセンティブ」などを駆使すれば、もちろんそれなりに効果はありますが、その程度は人によって違います。自分にとって「やる気」が出るような事柄でもそうは感じない人がいますし、その逆に絶対にやる気を失いそうなことであっても、全然そうではない人もいます。

ある会社に、納期が近づき仕事が切羽詰まってくるほどになぜか表情がうれしそうになり、どんどんやる気を見せるという人がいました。徹夜勤務がちらつき始めると口数が増えてきて、そうなってしまった当日は結構なハイテンションで働いています。他のメンバーの暗い疲れた表情と比べると異質ですが、その人は追い込まれると気分が盛り上がって「やる気」が出てくるということなのでしょう。

他にも、例えば細かい緻密な作業を好む人もいれば嫌がる人もいますし、責任が重いことでやる気が出る人も、逆にプレッシャーを嫌がる人もいます。そういう個人の特性に合わせようとすることは必要ですが、そんなに都合良くそれぞれのタイプに合う仕事があるわけでもありません。

もう一つの問題は、「やる気」「モチベーション」は主観に近いことであるにもかかわらず、「上司のせい、会社のせいでやる気が出ない」という人がいることです。
しかしそういう人は、指摘した原因が改められたとしても、たぶんやる気を出すことはありません。その多くは、結果が出ていない状況を、「やる気が出ない」といって正当化しているだけで、「やる気が出ない」のではなく「やる気がない」ということです。
こういう姿勢の人は、状況が変わってもまた「やる気が出ない」との言い訳になる理由を探すので、結局は同じことになります。
どんな働きかけをしても、ほとんど無駄ということになりますが、ここでも「やる気が出ない」のか、それとも「やる気がない」のかは、やはりその人の内面にあるものなので、周りから見極めることの難しさがあります。

私がお伝えしたいのは、「やる気」も「モチベーション」も、それを高めようと意識することはとても大事なことですが、それがすべてを解決する魔法の杖のように思ってはいけないということです。それをやったからといって、必ず生産性が上がるわけでも、目標達成されるわけでもありません。

「やる気」「モチベーション」を高める取り組みは、確かに必要条件ではありますが、十分条件ではありません。にもかかわらず、そのことが忘れられて、いつの間にか「やる気」「モチベーション」を高めることが目的化していることがあります。「やる気」「モチベーション」をよく口にするマネージャーほど、そんな傾向があります。

取り組まなければならない課題であることに変わりはありませんが、そのこと自体が目的ではないという意識は持っておく必要があります。

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