2019年1月28日月曜日

「良いもの」「良い会社」の定義はいろいろ


伝説的ロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディ・ マーキュリーの伝記映画の「ボヘミアン・ラプソディー」が大ヒットですが、見た人はみんな「良かった」といいます。
私も同じ感想ですが、驚いたのは観客の世代の幅がものすごく広かったことです。絶対にリアルを知らない若い世代もたくさんいて、同じく「良かった」といっています。

ただ、その「良かった」の中身は、昔がよみがえったり懐かしかったりする感情があるかと思えば、純粋に映画のストーリーに感動した人、とにかく楽曲が好きな人、ライブシーンのリアルさ、その他本当にいろいろです。みんなが口々に「良かった」と言っても、それを具体的に感じるツボは千差万別です。
音楽や商品などで人気が出るものは、より多くの人が“総論”として「良いもの」と思うからですが、細かく見ると、その良さの見方はいろいろです。

これは会社でも同じです。このところの人手不足で採用に力を入れる会社が増えていますが、応募者から選ばれるには、自社が「良い会社」と思われなければなりません。そして「良い会社」の定義は、個人個人でいろいろです。「良い会社」といわれるために、刺さるツボが人それぞれということは、そのすべてに対応しなければなりません。

「良い会社」かどうかの判断材料となるのは、「業績」「仕事内容」「給与」「労働時間」「勤務地」「企業規模」「福利厚生」「職場環境」「人間関係」などの一般的な項目から、「社長や社員の人柄」「ちょっとのご縁」「直観」のようなコントロールができないものまでありますが、誰からも「良い会社」といわれるようになるためには、これらすべての項目を高めなければなりません。

ただ、何でもやらなければならないとは言いながら、実際にできることには限度があります。物理的に無理なことや予算的に難しいこと、感情としてやりたくないことやできないこともあるでしょう。
そこでは自分たちにできることを、できる限りの範囲でやるしかありません。

そんな中で、最近は給与アップやオフィス環境の整備、福利厚生の充実といった取り組みがよく見られますが、そのことにもちろん意味はあるものの、だからといってそれで「良い会社」と見られるとは限りません。「良い会社」になるためにと計算しておこなったようなことは、だいたい人の心には刺さらないものです。
「良い会社」と見られて人が集まるようになるための給与アップが、会社の身の丈を超えたことによる「人手不足倒産」などの話も聞きますが、それはまさに「良い会社」と見られたいがために、相手の顔色をうかがった結果での失敗といえます。

「良い会社」となるためにできることを考える上で、大事なのは理念やポリシーといわれるものです。それをもとに、自分たちなりの考えで「良い会社」を定義し、できることをできる限り進めます。
取り組みは多い方が良いですし、範囲も広い方が良いのは確かですが、自分たちの「良い会社」の定義をもとに取り組みを進めていけば、すべてやられているとはいえなくても、その良さに共鳴する人は必ず出てきます。

クイーンがデビューしたての頃は、評論家からは何かと酷評されていましたが、その音楽性、ルックス、パフォーマンスで人気を高めて批判を封じ、その後の成功へとつなげていきます。そこでは自分たちのポリシーに基づいて、やりたいことやできることを優先していました。もちろん「売れる」ということを意識はしていたでしょうが、あくまで自分たちのスタイルを貫いています。
これは「良い会社」を作る上でも同じではないでしょうか。

安易に真似せず、流されず、制約条件は受け入れた上で、自分たちのポリシーと基づいて「できることをやる」のが、より多くの人から「良い会社」と認められる近道ではないでしょうか。


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