2020年7月16日木曜日

「アドバイス」の距離感いろいろ


ある人のツイートで「老害の入り口は“聞かれてもいないアドバイスをするようになること”とあって、本当に気をつけようと思った」とありました。

「なるほど気をつけなければ」とは思いましたが、私自身は事情を理解していない他人から、アドバイスと称して「ああしろこうしろ」と言われるのは好きでないので、同じように聞かれもしないアドバイスを他人にすることは、当分の間はないと思います。「当分の間」と言っているのは、加齢による心理的変化や様々な環境変化があったら、行動が変わってしまう可能性があるかもというエクスキューズなので、今のところはたぶん変わらないと思っています。

私は今まで、「聞かれてもいないアドバイスをする人」に、出会ったことはありません。そういう人がいても、あまり話を聞いていないので、相手にとってはアドバイスし甲斐がないのでしょう。
ただ、「何かあったら相談に乗るから」「遠慮せずに何でも聞いて」などと言われることはしばしばあります。相手からの純粋な善意の時も、マウンティングの一環のような時も、状況はいろいろです。

しかし、そう言ってくれた相手に、私から相談を持ち掛けたことは、今まで一度もありません。
そういうやり取りがあること自体、相手との距離感は決して近いわけではないので、相談対象として頭に浮かぶことがないからです。
誰かに相談することが少ない私でも、アドバイスを求めるのは素性の知れた継続的な交流がある人で、なおかつ聞きたいことに対する知識や情報がある人、くわしいと認めている人です。
それが圧倒的な実績がある有名人でも、アドバイスして欲しいと思うときと思わないときがあります。その人の性格や振る舞いであったり、意見の違いの大きさだったり、その理由はいろいろです。

こうやって見ていくと、アドバイスを求めるか否か、誰にアドバイスを求めるかといったことは、すべて「アドバイスされる側の人」が決めていることがわかります。いくら「アドバイスしたい」と思っても、相手にそれを聞く気がなければ、そのアドバイスには意味がありません。

私のようなコンサルタントの仕事の中に、自分の専門分野に関する「アドバイスをする」というものがあります。実際クライアントからはいろいろアドバイスを求められますし、それに合わせて一緒に行動することはたくさんあります。
これらはすべて「相手からの依頼」に基づくアドバイスです。いくらこちらが「アドバイスしたい」と言ったとしても、相手から求められなければ成り立たない関係です。

コンサルタントの中には、私から見ると「押しつけ」に思えるアドバイスをする人がいます。自身の経験に基づく「あるべき論」が多いですが、やはり求められたものでなければ、そのアドバイスは無意味になります。

良いアドバイスをやり取りできる距離感は、人間関係が遠すぎず、その上で「この人に聞いてみよう」と思われる信頼関係があることです。
この「アドバイス」の距離感の勘違いは、結構目にすることがあります。社内の上司部下間での教え過ぎや放置だったり、年長者のお説教だったり、ゴルフの教え魔だったり、様々なものがあります。

いいアドバイスがしたければ、相手といい関係を作り、徹底的に準備をしておき、求められるのを待つしかありません。大事なのは相手との「距離感」です。
アドバイスする側が、アドバイスされる側の持つ距離感を踏み越えてしまうと、それはもうアドバイスではなくなることを心得ておかなければなりません。

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