2021年1月18日月曜日

どんなに謙虚な態度でも「下からの忠告」は難しい

今季で引退したあるアスリートが、引退決断の理由を聞かれたとき、「全力のプレーができず、チームに迷惑だから」と答えていました。他の若いチームメイトには「自分のプレーがダメならダメだとはっきり言ってほしい」といつも話していたそうですが、ベテラン選手の自分が若手からそこまで言われることはなく、やはり自分だけで決断するしかなかったとのことでした。

年令が高くなってくるとともに、周りからダメ出しされたり意見されたりすることは、どんどん減っていったと言っていましたが、これは誰にとっても同じことです。

 

そうなってしまう一因に、年令が上がると他人の苦言を受け入れなくなってくることがあると思います。どんな年令になっても、相手がどんな人であっても、周りの意見をしっかり聞いて反省すべきことはするという謙虚さが必要であり、私自身はそれを意識してきたつもりです。

 

ただ、このアスリートの話を聞いて思ったのは、どんなに話しやすい雰囲気を作っていたとしても、何でも受け入れる謙虚な態度で接していたとしても、苦言や忠告を言ってくれる人というのは、めったにいるものではないということです。特に部下や年下という立場からすれば、上の人が気を悪くするかもしれない面倒なことを、あえて言おうとしないのは当然です。

 

私自身の周りに自分と似た世代のシニアが増えてきて、その一部に自分の考えばかりを強く主張する人がいますが、大半の人はそうではなく、それなりにきちんと聞く耳を持っています。ダメ出しのような話でも、きちんと受けとめて改善する姿勢があります。私もそういう姿勢で周りとコミュニケーションをしていれば、きっと大丈夫だという気持ちがどこかにありました。

 

ただ、よく考えてみれば、自分も上の人に対して、その人の個人的な話でああだこうだと楯突いたことがあるのは、今までの記憶でほんの数回しかありません。それも本人から促されて、根掘り葉掘りといろいろ聞かれているうちにたまたま話したことで、相手に何か強い不安があったとか、何か直してほしいことがあったとか、そういうことではありませんでした。もし何かあったとしても、自分から面と向かって直接何か言うことは、何かよほどのことがなければしなかったでしょう。

 

私は上下に関係なく、言うべきと思ったことは遠慮なく言うタイプですが、それでも自分よりも上の人に対して個人的な話で意見や忠告をしたことは、そう言われれば一度もありません。

上司から「遠慮なく何でも言ってくれ」と言われたことはありますし、別に遠慮していたつもりもありませんが、会社や部門、社会全体に関する話はしても、個人に向けた話はあまりした記憶がありません。もし仮に仕事振りや引き際について直球で聞かれたとしても、あえてはっきりとは答えなかったでしょう。それは上の人が自分自身で考えることだと思うからです。

 

年令が上がっていくほど、周りから何か言われることは減っていくと言い、より自律、自戒する態度が必要になると言い、謙虚に聞く耳を持てと言われます。そのことは理解しているつもりでいるものの、実際には自分が思っている以上に、特に部下や年少者から何か指摘や忠告を得るのは難しいということです。

話しやすい雰囲気を作っていても、何でも話してほしいと言い続けていても、下からの忠告、助言、意見というのは、そう簡単に得られるものではないと知らなければなりません。特に個人的な振る舞いや行動態度に関することは、なおさらそうです。

 

自分がその世界でベテランになるほど、立場が上になるほど、年令を重ねるほどに、もっと自分に厳しくなければいけないということを痛感します。できるどうかはわかりませんが、努力はしなければなりません。

 

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