2021年1月14日木曜日

「世代論」は昔からずっと変わっていない 

私自身は、「今どきの若者は・・・」を始めとした「世代論」があまり好きでありません。

もちろん世代間ギャップは間違いなくあるものと認識していますし、自分の感覚と比べて違うことはいろいろあります。ただし、それは良し悪しというよりは文化の違いだと思っていて、なおかつ個人差も大きいことなので、一つの世代を類型化して一概に語ることには、あまり意味を見出していません。だいたいは、上の世代からの批判や悪意の感情によって、ああだこうだと言いがかりをつけているだけのことだと思っています。

 

最近見たある記事に、「世代論はどんな指摘でもだれかに当てはまる」というものがあり、その根拠として昔の雑誌の見出しやインタビュー記事を取り上げていました。

例えば1962年には「今年の新人はナマイキだ」という見出しで、「叱ればすぐ弁解、注意すれば口答え、仕事もせずにへ理屈をいう」とのことだそうです。

1967年には「昭和フタ桁生まれ20代社員」とくくった記事があり、「権利意識は高いが義務感が希薄」「理解力はあるが創造性がない」「与えられた仕事しかやらない」とありました。

1972年には「さとっている」など今と同じキーワードが出ていたり、1978年では「無気力・無関心・無責任」で、当時は三無主義と言われたりしました。

 

それぞれ今は60~70代以上の世代に対する話だと思いますが、言われていることは現在にそのまま通用しそうなことばかりです。それぞれの世代を称して、「団塊」「バブル」「ゆとり」などいろいろ名前が付きますが、言われている中身はどうもあまり変わっていません。私は50代後半なので、当時は「新人類」と呼ばれた世代ですが、「生意気で変わり者が多い」と言われていました。でも、上の世代とは感性が違うのは明らかでしたし、上の世代の基準から見られれば「変わり者」といわれるのは当然のことでしょう。

 

ここで、反対に若者から年長者を見た世代論も、たぶん時代をまたいでいても大差がないでしょう。古い、頑固、いばる、押しつけるなどが多いと思いますが、これだってみんながみんなそういうわけではありません。年長者がこれを言われて、心の底から「その通り」と肯定できる感じではないでしょう。

 

こうやって見ていくと、世代論というのは自分たちが普通で正しいという前提の下で、それとは異なる価値観を「世代」という尺度でくくって批判しているだけのように思います。

そもそも自分たちが正しいという前提が間違っていますし、世の中にはいろんな価値観の人がいますから、それを世代で区切って批判的に言うのは、お互いが不快なだけで建設的なニュアンスはありません。

 

私の周りには、若くても立派で尊敬できる人、高齢だけど柔軟な人、相手がどんな年齢でも態度を変えない人が大勢います。そして自分もそうありたいと思っています。

 

「世代論」が建設的ならばよいですが、そうでなければ気にする意味はないと思います。

 

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