2021年1月21日木曜日

「正解がないこと」の扱い方

少し前のことですが、こんな話があります。

ある会社のそれなりにベテランの女子社員Aさんですが、毎日の日課にしていたのが、ちょっと早めに出社して周りの人のデスクを拭いて、花瓶にお花を飾ることでした。花は自宅の庭に咲くものだったり、時にはちょっと花屋で買ってみたりすることもありました。

 

ある日、若手の女子社員から、部門の朝礼でこんな提案が出てきました。「Aさんが毎朝一人で机を拭くのは不公平だから当番制にしよう」というのです。「いやいや、私は全然負担じゃないから」「好きで勝手にやっているだけだから」と言っても聞いてくれません。

どうも他の女子社員たちは、主に男性社員から「手伝わなくていいのか」などと言われることがあって、気になったりわずらわしかったりしていたようです。

 

課長は「女性の中で話し合って決めてほしい」といい、この「朝のお掃除作業」は、結局若手社員だけの当番制になりました。

「Aさんはもうやらなくても大丈夫です」と言われましたが、彼女は自分が好きでやっていた日課を失って、「いかにも一人でやっている感じに見えてしまったから仕方ないですね」とは言うものの、ちょっと寂しそうでした。

 

この話を聞いたいろいろな人たちに、いったいどうすればよかったかの意見を求めたら、答えはきっと千差万別で様々だと思います。

「女性が」「若手が」ということを差別的に感じる人もいるでしょうし、「机拭きなんてそれぞれ自分でやればいい」という話もあります。

女子社員の立場とすれば、本音で「不公平だから直そう」と思ったかもしれないし、よけいなプレシャーをかけた男性社員への批判や、手伝うのが当然と思った人もいるでしょう。

当番制も「全員対象で」とか、「そもそも本人が好きでやっているのだからそのままでいいのでは」という考え方もあるでしょう。

 

これらすべての考え方は、どれ一つをとっても「間違っている」と言い切れるものはありません。反対から言えば、「正解がない」ともいえます。

こういう話は、組織の中ではよくあることで、どう扱えばよいかと言えば、「関係者がみんなで話し合って、お互いが納得できる形で決める」ということです。たぶんそれが、その組織としての「正解」ということになるのでしょう。

些細なことまでいちいち話し合うというのは、実際には難しいところはありますが、「正解がないこと」は、そうやってみんなで考えるというプロセスが重要になります。

 

こういう時で唯一気になるのは、「誰か個人や一部の人だけ価値観をもとに、正解を決めてしまうこと」です。リーダーシップとか決断力、スピード感といったことを優先して、誰かが一方的に正解を決めてしまうことが往々にして見られます。

「確信がある正解」であればそういうやり方もありますが、「正解がないこと」の場合、それでは必ずあとから問題が起こります。

 

「正解がないこと」であっても、最後は誰かが正解を決めなければなりませんが、重要なのはそこに至るまでのプロセスです。特に相手の心情的なものに対して、自分だけの基準で「正解」を決めつけてしまうと、お互いが同じように納得することはできません。

 

最近は朝のお茶出しなどをやらせる会社はなくなりましたが、このお茶出しが楽しいと言っている社員に出会ったことがあります。ほんの一言でも職場の全員と言葉が交わせるからだそうです。普通は嫌がる人も多そうなことでも、そう思わない人がいます。

 

「正解がないこと」ほど、決めつけずにお互いの価値観を確認し合うことが大切です。

 

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