2021年6月10日木曜日

「日本型雇用」と「社員エンゲージメントが低いこと」の関係

様々な調査結果で、自分が働いている会社に愛着や共感をいう「社員エンゲージメント」について、特に日本人はこの度合が低いとされています。ある調査では、エンゲージメントの高い「熱意ある社員」の割合は、米国の32%に対して日本はわずか6%と、調査した139カ国中132位とのことで、反対にエンゲージメントされていない「やる気のない社員」は、約70%にのぼったそうです。

ここではエンゲージメントという言葉に関する諸外国との解釈の違いがありますし、日本にも「自分の会社が大好き」という人はもちろんいますから、一概に言い切ることはできません。

ただ、私が身近でよく見るのは、いつも会社に対する不満ばかりを言っていて、仕事についてもやりがいや楽しさよりは、嫌々で仕方なくやっているように見え、それでも転職しようとはせず会社には居続けるという人たちです。

 

最近は自分のキャリアを主体的に考える人が増え、会社の愚痴ばかりを言い合うような光景は減りましたが、誰が見ても活き活きと働いているビジネスパーソンにはなかなか出会う機会がありません。たまに出会っても、ほとんどが自分で起業しているような人たちで、就職した組織の中で活き活きして働いている人は、意外に少ない感じがあります。

 

この理由について、いろいろな人がいろいろなところで意見を述べています。昔のようなハングリーさがなくなったとか、ちょっとのことでも我慢ができなくなったとか、人間関係が淡泊、希薄になったせいだとか、様々な指摘があります。それぞれ一理あるものばかりです。

 

私自身を振り返って、起業する前の会社員時代に、それほどやる気を持って仕事をしていたかと言われると、残念ながらそうではありません。業績を上げよう、目標達成しよう、評価されたい、出世したいといった気持ちはほぼありませんでした。そこまで会社にシンパシーを感じていなかったからですが、そう思っていた一番の理由は、いま思えば納得していないけどやらなければならないこと、すなわち命令や強制と感じることがいくつもあったからです。

そういうケースがそこまで多い境遇ではなかったですし、「そもそも組織にいれば当たり前」と言われてしまえばそれまでですが、一方的な目標設定、命令、その他強制は、人一倍嫌なタイプでした。だから結局起業したのだとも思えます。

 

そんなことを考えている中で、エンゲージメントが低い一つの理由として、日本的な「メンバーシップ型雇用」に行き着きました。簡単に解雇されない代わりに異動、配置、仕事内容は会社に委ねる仕組みですが、これはビジネスパーソンとして生きていくうえで、かなりの強制でないかと感じたのです。一方的な都合で自分を振り回す会社のことを、そこまで好きになることはありません。しかし、つぶしが利かないキャリアを積んできたせいで転職もままならず、会社を辞めることもできません。

 

「メンバーシップ型雇用」には、いかにも社員に優しい響きがあり、実際に社員を大事にする優しい会社も存在します。しかし、そこで奪われている自由もたくさんあります。「転勤」「異動」「副業禁止」などはみんなつながっている話です。

その雇用環境で過ごしてきた人たちは、「そういう経験も有意義で意味がある」と言います。こういった自分の過去の経験をと否定するのは難しく、「意味があった」と言いたい気持ちは理解できますが、納得できなくても従って、それが必ずしも良い結果出なかった経験はきっとあるでしょう。

 

長期の安定雇用が保証されていれば、多少の不自由と引き換えるだけのメリットはあるかもしれませんが、今はもうそういう時代ではありません。

日本企業での「エンゲージメント」の低さは、こんな「メンバーシップ型雇用」の弊害が結構作用しているように感じています。一方、「だからジョブ型雇用」などというほど単純な話ではありません。どちらも全体のシステムとしてよく考えなければならないことです。

ただ、自分で決められない人生は、少なくとも私は受け入れたくありません。

 

 

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