2021年8月9日月曜日

(メダルかじりのような)相手にとって「不快なこと」に気づけるか

某自治体の市長が東京オリンピックのメダリストによる表敬訪問を受けた際、メダルをいきなりかじったことが非難されています。私もその様子を見ましたが、ポーズではなく本当に口に入れていて、それも突然思いついたようにやっています。

メダルをかじるポーズが許されるのは獲得した本人だけであり、そもそも他人の大切な持ち物を勝手に口にいれるなど、非常識以外の何物でもありません。聞いたところでは、以前あった映画の試写会イベントのスピーチで、作品の結末をベラベラしゃべってネタバレさせたことがあるそうで、物事をあまりよく考えずに話したり行動したりする人なのかもしれません。

 

私は非常識で不快に思ったこの行動ですが、「デリカシーにやや欠けるおっさんの行動は許して」「自分ならそこまで怒らない」とコメントしている人もいて、こういうことのとらえ方は本当に千差万別だとあらためて思います。

 

ちょっと似た話で、ずいぶん前のことですが、その当時の会社の同僚との飲み会で、メニューは鍋料理でしたが、一人の後輩がどうみてもまだ煮えていないシイタケを一口かじって、「やっぱり生だ」といってそのまま鍋に戻したことがありました。女性も含めた周りのメンバーはドン引きでしたが、本人は何とも思っていない様子です。非常識だと指摘されて初めて何となく腑に落ちない顔で謝っていました。周りの多くが不快に思うことでも、本人はまったく気にならないことだったようで、「不快なこと」の感じ方に大きなギャップがありました。

 

また別の話で、今はもうつながりがありませんが、私はちょっと苦手な先輩男性がいました。理由はたわいもないことですが、「物理的な距離感がやたらと近い」ということでした。

後ろから肩をたたかれて振りむくと、ほおずりしそうなくらいの近い距離に顔があって、ちょっと後ずさりしてしまう感じです。普通に会話していてもなぜかやたらと近くに寄ってきて、少なくとも私のパーソナルスペースは確実に踏み越えられています。他の人に聞いても同じ感想だったので、私だけの特殊な感じ方ではなかったと思います。

ただ、本人に悪気があるわけではないですし、そこまで頻繁に会う人でもなかったので、あえて指摘はせずこちらで何となく物理的な距離を取って対処していましたが、私にはこれも一種の「不快なこと」でした。

 

ここでこの立場が逆になったとして、私自身が周りに振りまいているかもしれない「不快なこと」に、自分の力だけで気づけるかと言われると、その自信はありません。自分にとっては気にもしていない普通のことだったりするので、指摘されない限りは直すことができないでしょう。

 

会社の中で「不快なこと」というのは「ハラスメント」に言い換えられますが、確信犯の嫌がらせを除けば、ここでもまさに同じことが起こっています。ある人のデリカシーに欠ける言動や行動が、相手にとって「不快なこと」となり、それを本人は気づくことができないという状況です。

「常識で考えればわかる」という人がいますが、常識は100人いれば100通りあり、それを普通と思っている本人では気づけません。さらにメダルかじりと同じように「それくらい別にいいじゃないか」という感覚の人もいて、似た感覚の人は集まりやすいという特性を考えれば、近しい人が助言してくれるとは限りません。

 

解決方法は、結局「自分が不快だという気持ちを相手にはっきり伝えること」しかありません。伝えても相手が受け入れなかったり反発したりということも考えられ、その伝え方にも十分配慮しなければなりません。かつては「常識で考える」「空気を読む」など、言葉にしない以心伝心で解決できたのかもしれませんが、価値観が多様化した今ではそうはいきません。

相手にとって「不快なこと」に対する感性を磨くことと合わせて、自分の「不快なこと」は的確な表現で相手に伝えることが必要です。

 

価値観や意識が多様化、分断化した今だからこそ、コミュニケーションがさらに重要だと感じます。

 

 

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