2021年10月11日月曜日

人事制度でも同じ「成長」と「分配」の話

あるテレビ番組を見ていて、「努力は報われるのか」という話題が取り上げられていました。

当初は虐待などがある好ましくない家庭環境について、「子供は親を選べない」というニュアンスで、何が出るか選べない「ガチャガチャ」と呼ばれるカプセル玩具の自動販売機を語源にした「親ガチャ」と言う言葉から、最近は経済格差など産まれた家庭の運次第で、努力しても報われないと考える若者が増えているとのことでした。

 

実際に格差が広がっていることと、特に収入面で努力しても変わらないばかりか、逆に悪くなっていく経験を多くの若者がしていること、SNSなどで他人の生活環境が垣間見えやすくなっていることなどが、この理由として考えられるそうです。

若者の間で、将来に向けた希望が薄れてあきらめている様子が見えるのは、非常に良くないことです。

 

この「努力は報われるのか」ということに関して言えば、今も昔も変わらず「報われない努力はある」と思います。ただ、それをより多くの人が感じてしまうのは、やはり日本全体が将来に希望を見出しづらい環境だということは間違いありません。

 

この「努力に報いる」ということは、企業の人事施策の中でも言われます。ただ、実際にそれが実現できている企業は、決して多くはありません。

企業の中で「努力に報いる」というと、評価が上がってそれが報酬に反映されることが基本になりますが、成長している企業とそうでない企業では、内容に大きな違いがあります。成長企業では、業績向上によって資金的なパイが広がり、給与アップなどでの相応の見返りとしての分配を、社員みんなにおこなうことができます。

これに対して成長していない企業では、評価されても原資が少ないために分配が相応とはいかなかったり、場合によってはそれ自体がほとんどなかったりすることもあります。

また、分配というのは決まった原資を社員同士で奪い合うことでもあるため、自分の評価を上げて分配を増やすには、他人との評価序列が入れ替わる、もっと言うと誰かを蹴落とさなければなりません。

こういう競争に執着する人もいますが、最近はそのことに意義を見いだせず、競争自体を避けるような人が増えています。出世を拒む、給与にはこだわらない、社会貢献を重視するなど、経済的なメリットを求めなくなっています。

いずれにしても、成長がなければ分配も難しいのは確かなことです。

 

一方、分配自体に問題がある場合もあります。一部の人にそれが偏っているような場合です。

例えば、個人的に好き嫌いやえこひいきを感じてしまう納得性の低い評価がおこなわれていると、努力が報われることとはまさに正反対のことが起こります。「努力するだけ無駄」となってしまうのは当然で、それは親ガチャと言っている若者たちの感覚と同じものとなります。

 

国全体で「成長か分配か」といった議論がされていますが、これは企業の人事制度でも同じです。

分配するにはその原資が必要で、それを生み出すには成長が必要です。ただ、成長すれば分配の問題が解消されるところは確かにあるものの、今はそう簡単に成長できる環境ではありません。

一方、分配の偏りや不公正があるならば、それは正していかなければなりません。ただ、公正な評価をすれば問題が解消されるかと言えば、そこには難しさがあります。かなり努力したが売上にはつながらなかったなど、「報われない努力」はどうしてもあるからです。企業全体が成長していれば、そんな努力やプロセスを考慮した報酬アップをする余裕がありますが、成長がなければ評価されても見返りがないといったことが起こります。みんなを正当に評価して結果に反映することはしづらくなります。

 

結局は、「成長」と「分配」はにわとりと卵の関係であり、両方とも大事であり、どちらも並行して取り組んでいかなければなりません。報われる努力を少しでも増やして、将来に希望が持てるようにするには、それを実践していくしかありません。

 

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