2020年4月27日月曜日

松岡修造さんの「方法論なしでの“頑張れ”を言わない指導」


新型コロナの自粛は、もう頑張るしかないのだと思いますが、ゴールが見えないからよけいに「本当にこれで良いのだろうか」という疑問もわいてきます。
楽観論と悲観論の両方がいろいろな形で言われ、たぶん今は最悪の状況を想定したうえでの動きなのでしょうが、特に日本の場合は検査数自体が少なく、疫学的な調査もまだまだ進んでおらず、公表される情報の不足や偏りも感じ、とにかくエビデンスとなる情報が足りていません。
未知のことが多いので仕方ない部分はありますが、どうも根拠がないままで「とりあえず頑張れ」という精神論を言われている気がして、今一つしっくりこないところがあります。

同じような「頑張れ」は、日常の仕事の中でもあります。
例えば「自分は頑張ってきた」という自負がある経営者や管理職の人は、他人にも同じく「頑張ること」を求めがちですが、何をどう頑張ってきたのかが、その人にしか当てはまらないことだったり、抽象論や精神論であったり、根拠が良くわからないことがあります。
それに黙って従う人もいるのでしょうが、私はほとんどの場合で納得感が持てません。

そんなことを考えている中、元プロテニスプレーヤーの松岡修造さんが、ジュニアを指導している「修造チャレンジ」に関する話が目に留まりました。
松岡さんご本人に対するイメージは、喜怒哀楽をはっきり表現する情熱的なもので、ともすれば根性論を持ち出しそうに見えてしまいますが、これとは全く正反対のお話をされています。

トレーニングは、綿密に論理的に組み立てられた内容で展開されているということで、各自の指導方法はメンタルトレーナーとも相談しながら、その子の性格や家庭環境などまで考慮して、かなり計算をしたうえでおこなっているとのことです。
その子の実力を見極めて、「あきらめなければ届くこと」にしか「あきらめるな」とは言わないそうで、根拠なく「やればできる」というのではなく、できない理由やできるようになる方法を考えて指導するといいます。基本を教えたうえで、壁を乗り越えるための最後の一押しとして、前向きな言葉を掛けることが有効だということです。
「具体的な方法論がないまま“頑張れ”と言うだけではできるわけがない。根拠や理論に裏打ちされていない“根性論”は一番嫌いです」と言っていました。

人材育成にあたっている管理者、上司、先輩社員の中には、この言葉を耳が痛く感じる人は多いのではないでしょうか。よく見かけるのは目標設定だけを指示して、そのやり方を本人に丸投げしているような場合です。その理由は、「自分もそうやって自分で考えてやってきたから」です。

もちろん、そのやり方で育つ部下、ついてこられる部下は確実にいます。ただし、それはその人の能力を見極めた指導をしたわけではなく、教える側の人が自分自身の経験したやり方をそのまま押し付けただけです。そのやり方にはついてこられない人も必ずいて、それはその人の能力、性格などに合わせて違うやり方を考えなければなりません。
しかし、こういうときは多くの場合で「本人の能力不足」ということにされ、指導する側の問題はあまり問われません。このような根拠を持たない指導は問題です。

できる可能性が低く、方法論を与えないままでの「頑張れ」は、ただの精神論、根性論でしかありません。根拠や理論を持ったうえでの「頑張れ」でなければ、決して人は育ちません。
別のきっかけからではありますが、先の見えない「頑張れ」のつらさを、最近あらためて感じています。


0 件のコメント:

コメントを投稿