2021年2月15日月曜日

「ベテランに向いた役割」を考えてみる

ここ最近、政治の世界やいくつかの組織運営において、高齢男性の振る舞いに対して、「老害」などと批判されることが目立ちました。

私の身の周りでも、業界団体や任意団体、地域の集まりといった中で、なぜか高齢男性ばかりが牛耳っているようなところがいくつかあります。ただこれは「高齢だから」というよりは、その人たちはたぶん若い頃からそういう資質があった人たちで、徐々に自分の思い通りにできる場所が少なくなってきて、その気持ちが充足できる場所にみんな集まってくるせいのように見えます。

こういうことは、ステレオタイプに見るよりも、しっかり個人の資質で見る必要があるでしょう。


私自身ももう十分にベテランといわれる年齢ですが、「老害」などと言われるのは個人の問題と思う一方、私も含めたほぼすべての人が、加齢とともに一律に衰えてくることもあると思っています。それは単純な体力や記憶力のようなものだけではありません。

最も大きいのは「新しいことへの順応性」です。新しい環境への慣れ、新しいツールの理解などは以前より時間がかかるようになってきましたし、新しい知識の吸収といったことでも、自分の興味から外れたことへの取り組み度合いは、年とともに減っている気がします。

 

実はもう一つ、みんな一律に衰えていると感じるのは、一見ベテランが得意そうに見える「総合的な判断力」です。なぜかというと、総合的な視野の中に「今どきのこと」「新しいこと」が含まれている比率がとても低いからです。そのためそういう人たちが判断した結果は、過去の経験を重視してそれを踏襲した保守的なものに偏ります。内輪の意見や自分が気に入った狭い意見だけで、こぢんまりとまとめようとしたがります。

一律に年齢でいうのは良くないですし、ベテランの定義も一概に言えないところがありますが、少なくとも私は、そういうベテランが最終判断や決断を下す役割を担うのは、あまり向いていないと思っています。

 

私の知人の会社で、ベテラン社員をうまく活用して組織を活性化しているところがあります。70代後半でまだ現場の中心にいて手を動かしている人もいますし、60歳以上でも中途採用で社員として迎え入れています。そこで期待しているのは「知識」「経験」「人脈」です。マネジメントの仕事やリーダー的な役割は一切求めません。組織内の権限も限定したものしか与えません。

そのかわり、社長をはじめとした管理職、マネージャーたちは、このベテラン社員たちに常に意見やアドバイスを求めます。とにかく良く話を聞きに行っています。

 

ベテラン社員は、過去の経緯や歴史的な背景といったことは、その真っただ中に身を置いていたことがあったりするので、リアルにいろいろな経験をして、いろいろな知識を得ています。社長やマネージャーたちは、それを知識や情報として吸収したうえで、そこに「新しいこと」を加えて判断、決断をしています。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言がありますが、ここで言っている経験とは「自分が経験したこと」で、歴史と言っているのは「自分では経験できないが先人たちが経験したこと」の意味です。この歴史にあたる部分をベテラン社員に頼って、自分たちの学びとして仕事に活かしています。ベテラン社員たちは意外にその役割に満足していて、組織内の肩書や立場にはこだわっていないようです。

 

私も最近のコンサルティングの現場では、「こうしましょう」とは決めつけず、過去の経験や事例から選択肢を示したり、アドバイスをしたりすることに徹しているケースがほとんどになっています。自分なりに新しい情報は仕入れていて、それに基づく話もしますが、最終判断は自分よりも若くて柔軟に人たちにしてもらった方が、それ以降の結果が良いからです。

 

「老害」といわれないで済むような、ベテランに向いている役割はこんなところにあるのではないでしょうか。特に「判断力」の過信は禁物と思います。

 

 

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