2021年2月18日木曜日

「不透明感」がもたらす良くないこと

東京オリンピックの組織委員長が辞任して、事務局長は新たな委員長を選ぶに際して重要なのは「透明性」と話していました。しかし、選考委員会は開催時間も場所もメンバーも、すべて非公開だそうです。一部情報が漏れ聞こえてきますが、公に発表されることはあまり多くはありません。「透明性」とは程遠い「不透明感」を持ってしまいます。

 

最近見聞きする様々な不祥事や批判の中に、この「不透明感」が原因となっていることがずいぶん多いと感じます。「隠す」「言わない」「論点をずらす」「根拠ない楽観論」「情報の小出し」など、あえて正確な情報は伝えないことを意図しているようにさえ見えます。

 

ある程度以上の権限を持った人が、「何を伝えるか」を選別しようとするのは、企業の中でもよくあることです。確かに個人情報や人事情報など、公に言えないことはあります。

しかし、ここで「何を伝えるか」と情報の選別を考えるのではなく、すべての情報を伝える前提で「どうやって伝えるか」とそのニュアンスや方法を考えている方が、その後の結果は良い形で現れます。関係する人たちが事実を知って納得し、一緒に考えながら行動してくれます。事実をフラットにきちんと伝えることで、「透明性」が高まった効果だと言えるでしょう。

 

企業の人事評価では、それをおこなうにあたっての重要な原則として、「公正性」「透明性」「納得性」の三つが言われます。どれも大事な要素ですが、三つは並列の関係ではありません。「納得性」は感情であり、「公平性」と「透明性」は、あくまでその感情へ導くための手段です。評価のプロセスと結果に「納得」していることが大事で、この「納得性」を高めるために「公平性」と「透明性」があります。ですから、「透明性」が高いからといって、必ず「納得性」も高まるとはいえません。逆もまた同じです。

 

例えば、カリスマ経営者や尊敬する上司に「あなたの評価はこれ」としか言われなかったとして、ここでのプロセスは公平でも透明でもありませんが、本人は十分に納得していたりします。

「透明性」が納得のための必須要件ではなく、反対に「不透明感」がすべて不満につながるわけではありません。何でもかんでも「透明性」ということは確かに不要です。

 

ただし、「不透明」でも納得するには前提があります。その相手を「心から信頼しているか」ということです。信頼関係があれば、多少知らされていないことがあるなどの不透明な要素があったとしても、相手の言葉に「納得」できます。「不透明感」を持ってしまうのは、信頼関係のないところで伝えられなかったり隠されたりすることから始まっています。

 

一部の人たちが内輪の論理で物事を決めていると、その外側にいる人たちへの配慮は薄れます。「あうんの呼吸」が通じない人たちに、きちんと伝えて納得してもらおうとは思わなくなります。情報開示や共有を避けたり軽視したりし始めます。その輪から外れた人たちにとっては「不透明感」しか残りません。

 

信頼関係がない状態での「不透明感」は、いろいろ良くない状況を生み出します。特に「納得性」には大きな影響を及ぼします。

今あちこちで起こっている問題の一番のポイントは、そういったことにあるのではないでしょうか。

 

 

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