2013年4月19日金曜日

教えることが強制に・・・?


ビジネスの現場では時間に限りがありますし、経営者や管理職の方々は皆さん忙しいですから、何事にも早い答えを求めがちになります。部下や後輩が質問をしに来たら、たぶん答えを教えて疑問を解決させようとするでしょうし、「自分でやった方が早い・・・」なんて思いながらも、部下後輩にやり方を教えてやらせるということもあるでしょう。

こんな「質問に答える」「やり方を教える」という、ごく一般的に行われている普通のことでも、実は「相手に強制している」のと同じになっているということがあります。ストレートに答えを与えることによって、「自分で考えて判断する」というプロセスが省略されてしまい、“自分で決めた上での行動”にならないからです。

指示する側の立場である上司、先輩にとって、答えがわかりきったことだったりすると、「お前、それはな・・・」とついつい教えたくなりますが、強制でなくするためにはそこをぐっと我慢して、できるだけ相手に質問することを心掛け、「君だったらどうする?」「なぜそう思う?」「どんな効果がありそう?」「こんな時はどう対処する?」など、とにかく本人に考えさせるようなやり取りをします。
良いと思う考えは「そうだね!」「それいいじゃん!」と肯定し、良くないと思ったら一方的に否定せず、違う角度から質問を続けます。ある程度の答えに誘導している部分ももちろんあります。

少々手間はかかりますが、こういうプロセスを取ることで見つけた答えは、部下後輩にとっては「自分で考えて上司にも認められた行動」になり、小さな成功体験になります。またこういうプロセスを繰り返すことで、人に聞く前に自分で考えてみることが習慣づいてきます。

人を育成する上で「教える」ということが絶対に必要ですが、それが単に「答えを与える」ということになっていたとすると、逆に部下後輩の成長自発的な行動阻害している可能性があります。これは時間がなくて考えさせるプロセスが省略されている場合だけでなく、ものすごく面倒見の良い上司先輩が、事細かに手取り足取りの部下指導をしているような場合にも起こり得ます。

「相手が答えを見つけるのを待つ」というのは、ものすごく根気と忍耐が必要な事です。実際の現場で100%行うことは難しいかもしれません。ただ、こういう部分を少しでも意識しているのといないのとでは、部下後輩への接し方は大きく違ってきます。
まずはできる範囲から、「自力で答えを見つける」ように“仕向けて”みて頂ければと思います。


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