2013年10月5日土曜日

理屈が合っているだけでは相手は納得しない


リーダーやマネージャーという立場になると、必ずしも部下の意にそぐわないことでも、納得させて実行しなければならない場面に必ず遭遇すると思います。

中には「部下の納得なんて不要だ!」という人もいますが、そういう人は今回の話からはちょっと除外して、その他多くのリーダー、マネージャーという人たちは、そのことについて一生懸命論理的に説明し、理屈が客観的、論理的に合っていることを基本にして、部下からの納得を得ようとします。

しかしそれではなかなか納得につながらず、見切り発車で物事を進めてしまうこともあるでしょう。何とか少しでも納得してもらおうというリーダー、マネージャーの思いとしては不本意でも、結果的には「部下の納得なんて不要だ!」という人と同じことになってしまいます。

ここであらためて思い起こして頂きたいのは、私があえて言うまでもなく、「人は理屈が合っていても、それだけで納得するものではない」ということです。相手からの納得を得るためには、“言う人が誰なのか”“その人はどんな人か”“部下からどう見られているのか”、など、ロジックとは関係がない要素が含まれます。
 
例に挙げてみれば、
「遅刻を説教する人が遅刻の常習犯」
「ゴルフの教え魔なのに自分はヘタ」
「あれこれ仕切るが口先だけで自分はやらない」
「頼みごとなのに態度が横柄」 など、その他挙げればきりがないでしょう。

しかしこれらも、
「時間厳守の人に注意された遅刻」
「プロのゴルフレッスン」
「率先して行動しながらの指示」
「謙虚な態度の頼みごと」 となれば、納得感は全く違います。

これは、相手の過去の行動や接し方による“信頼感”が、納得のためには重要ということです。これは、ただ“率先垂範”“背中で語る”ということではなく、“自分の弱みも開示する”“相手の心情に寄り添う”“相手の考えの本質を理解する”、などということもあります。

きちんと“信頼感”が作られていると、仮に理屈は合っていなかったとしても、
「この人が言うなら大丈夫」
「この人の言葉なら信じよう」
「この人に頼まれたら断れない」など、理屈を超えて納得が得られることもあります。

相手の納得を得るためには、論理的なだけでは限界があります。逆に論理性は皆無でも、“信頼感”で納得を得られることもあります。

結局は日々の振る舞いの積み重ねですが、理屈よりも大事な物があることだけは、忘れないようにしてなければいけないと思います。


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