2015年12月11日金曜日

「昔はこうだった」と話したその先の違い



会社の創業時の苦労、先代、先々代といった過去の経営者が取り組んできたことやその結果など、今いる社員にそんな過去の経緯、会社の歴史を知らせることは、必要なことだと思いますし、意外に多くの会社で行われているように思います。
社歴がだいたい10年かそれを超えるようになってくると、創業メンバーや古参社員の人たちが、そういう話を持ち出す頻度が増えてくるように思います。

先人の苦労を知り、それに感謝するということは、私はあってよいことだと思っていますが、この「昔はこうだった」という話は、語られるニュアンスによって、まったく正反対の捉え方をされることがあるように思います。

意外に多いと思うのは、「昔はこうだった」という苦労話の裏側に、「君たちが知らないことを自分たちは知っている」「今の人たちの方が楽をしている」「創業時の苦労を知る人にもっと感謝すべき」など、「昔の方が大変だった」と言いたい心理が隠れている場合です。

露骨に自慢したりするわけではありませんが、年長者が若手に対して、自分たちの方が上であるということを植え付けたいか、そこまでではなくても「もう少し尊敬しろ、感謝しろ、敬え」というような潜在的な感情から、そんな話をしているように見えます。きつい言い方をすれば、ただの自慢話ということです。

しかし、こういうニュアンスの昔話では、後から入ってきた若手社員の心には、私はほとんど響かないと思っています。会社に入社する人は、その時の会社の事業内容、所在地、社員数、その他の会社スペックを見て、それが自分の希望に合致するをみてから応募し、入社してきた訳です。

スペックの中に社歴、創業年数という要素はあるでしょうが、そこには少人数のハードワークで事業を軌道に乗せたとか、経営危機があって相当なつらい思いをしながら立て直したとか、そういう物語的な要素はほとんど関係ありません。
そもそも、後から入社した社員がこの手の話をされても、「昔は大変だったんですね」と思うくらいで、これから先に活かせることがありません。

一方で、「昔はこうだった」という話を、会社の理念を植え付けるために語り継いでいる会社があります。
そこでは、こんな苦労があったとか厳しかったとかではなく、こういう企業理念を持っていたから、あえてこんな取り組みをした、この理念を守るために安易な妥協をしなかった、といったエピソードを数多く言い伝えています。こういう形で話されると、それぞれの社員が、これから自分が会社の中でどんな行動をとっていくべきなのかという指針が見えるようになります。

会社の中で、先人の苦労に敬意を持つことは必要だと思います。その上で、「昔はこうだった」という話を、ただの苦労話や自慢話で終わらせるか、それとも将来を語る材料に使うか、ここには大きな差があります。

昔話を語るには、当事者でない人が共感できる話し方があり、それができればより多くの「会社の心」が伝承していけると思います。

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