2018年8月1日水曜日

「似た者同士」ばかりで固まり過ぎていないか


ある会社の社長ですが、少し人見知りな性格のせいもあるのか、自分の周りを似た者同士で固めたがるところがあります。
確かに自分の腹心のような人物に、気が合わない人を置くことは難しく、どこかで通じ合う人材でなければ、そういう役割にはできませんが、これも程度の問題で、この許容範囲の広いリーダーは、様々な視点からの意見を聞くことができます。
自分とは違う生い立ち、違う学歴、違う性格、違う職務経験などを持った人を、自分の身近に置いておける器があれば、必ずいい効果が得られるでしょう。

ただ最近は、どちらかというと、自分とは異なる意見に対して、それを受け入れないだけでなく、必要以上に攻撃したり、排除したりする傾向が目につく感じがします。知り合いはやけに大事にするけれども、それ以外の他人には厳しいとか、なんでも敵味方で区別しようとするといったことですが、「寛容性が失われている」などと言われるのも、そんな部分があるように思います。

少し話は変わりますが、先日の新聞記事に、ある主要経済団体の会長と18人いる副会長の経歴について書かれたものがありました。
「恐るべき同質集団」とあり、出身企業はこの30年で多様化したと評価する一方、人の属性の多様化はまったく進んでいないとしています。
挙げられていたのはこんな内容でした。
  全員男性で女性ゼロ
  全員日本人で外国人ゼロ
  最年少でも62歳で、50代すらいない
  全員がサラリーマン経営者で起業家はゼロ
  全員が転職経験を持たない生え抜き

さらに出身大学も、東大が12人と圧倒的で、以下一橋大が3人、京大、横浜国大、慶応大、早稲田大が各1人とのことでした。

一人一人は実績がある有能な方々なのは間違いないでしょうが、ここまで同質の人を集めるのは、よほど狭い交友関係の中で互選でもしたのか、さもなければ相当意識的に集めなければ、なかなかこうはなりません。

私が気になるのは、もしかするとそれほど意識をしていなかったにもかかわらず、結果的に似た者同士ばかりが集まってきているのではないかということです。トップリーダーの人たちが、いつも似た者同士だけでつるんで意見を交わして、それで物事を決めていたら、どんなに視野が広い人でもやっぱりその場の思考に偏ります。
似た者同士だけの議論で「そうだそうだ」となって、それが全体意見のように進んでいってしまう怖さがあります。

かつての日本企業の強みは、同質性の高さによるチームワークの良さが、様々な局面で力を発揮したからだと言われますが、今は逆にそれが足かせになり、イノベーションが生まれなくなっています。異質な人たちの集団で、多様な意見の中から新しいものが生まれています。

似た者同士は気楽ですが、それは友人までとして、ビジネスの中では意識的に、「異質」な人たちと付き合う必要があると思います。


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