2019年7月29日月曜日

「類は友を呼ぶ」の良いこととそれだけではダメなこと


私の古くからの友人の経営者ですが、「自分の周りには悪人がいない」といいます。だまそうとして来たり、借金を申し込まれたり、自分の都合だけをゴリ押ししてくるような人は、自分の記憶の中では、今まで出会っていないそうです。
友人はその理由を、「自分も素行が悪かった頃があり、相手が悪人かどうかわかるから」と言っています。たぶんそれだけではなく、直感的なものも含めて、自分にとって好ましくない「悪人」が近寄りがたい何かがあるのでしょう。

そう言われると、私自身も同じような感覚があります。私は威張る人、自慢話が多い人、強引な人、自己中心で周りを振り回す人などが嫌ですが、そういう人に巻き込まれた記憶があまりありません。
自分であえて排除した覚えもないので、たぶんそういう相手があまり近づいてこないのだと思います。その理由は、自分では無意識なのでくわしくはわかりませんが、付け入るスキがないように見えるのか、単純に話がしづらいのか、何か遠ざけるような雰囲気があるのでしょう。

その友人とは「共通の友人にもそういう人はいないし、結果として何か共通の価値観を持った人が集まってくるのかも」と話しています。意識的に何かしているわけでありませんが、どこかで自分の価値観に合う人も見極めていて、それが「類は友を呼ぶ」というようなことになるのでしょう。

たぶんどんな人でも、何かしら自分の感性で相手のことを判断していて、その結果として周りに集まってきやすいタイプの人がいます。それが自分にとってあまり良くない人だと、いつもだまされたり振り回されたりということもあるでしょう。
私と友人の場合は、「類は友を呼ぶ」が都合よく働いているということです。

こんなことに関連して、ある社長が、「自分が一緒に働きたいと思わない人は採用しない」という話をしていました。そういう人を自分の会社で仕事をさせても、結局あまり成果は出ないし、今までの経験から、その見極めには自信があるそうです。
実際、これは中小企業の採用ではよくあることで、「社長がOKしなければ入社させない」という会社は相当たくさんあります。社長の「類は友を呼ぶ」が採用基準の一つになっています。

ただ、ここで注意しなければいけないのは、「自分が苦手な人でも、その相手と気が合う、仲良くなれるという人は、必ず誰かどこかにいる」ということです。社長やその周辺の人と、タイプや価値観が違っても、いい仕事をする人はたくさんいます。

会社組織の強さを考えたとき、規模と多様性は「正の相関」があります。人数が多い方がつぶれにくいですし、いろいろなタイプの人がいた方が、何かあったときに実行できる選択肢が増えます。
社長一人の目が全体に届くくらいの規模であれば、「社長の価値観と合うこと」が採用基準でもよいですが、「その人と気が合う他の誰か」がいないと、社員数は増えず、組織内の多様性は増さず、今まで以上の成長を目指すことが難しくなります。

人によって許容範囲の広い人も狭い人もいますが、対人関係の中での得手不得手は、どんな人でも必ずあります。個人の付き合いは自分の許容範囲の中でやればよいですが、組織での人間関係はそれだけでは足りません。
ただし、それは「自分が我慢して付き合うこと」だけでなく、組織の中には「自分以外の誰か」がいて、「自分の苦手な人でも気兼ねなく付き合える人」が必ずいます。

個人同士の関係が組織につながっていくとき、「類は友を呼ぶ」だけではない多様性の重要さを強く感じます。


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