2019年7月8日月曜日

「評価に正解なし」は人の本能にも通じているという話


ある新聞の特集記事で「評価なんかぶっとばせ!」というものがありました。会社の人事から入学試験まで、「評価」というものはついて回りますが、最近の事情がいろいろ書かれたものです。

企業の中での大きな動きは、AIをはじめとしたテクノロジーの進化とからんだもので、採用や健康情報などのデータ管理では、すでにAI活用が進んでいますが、個人のタレント分析やパフォーマンス分析の結果を、配置や教育に活用するなど、その利用範囲は広がってきています。
ただし、すべてをテクノロジーに委ねるのではなく、最終評価は必ず人間がおこなうなど、利用方法は会社の考え方によって違っています。

共通しているのは「人の重要性」に回帰した動きで、序列評価を取りやめた「ノーレイティング」であったり、「エンゲージメント」と言われる会社と社員との双方向の関係作りであったり、「評価」への向き合い方は、これまでとは大きく変わってきています。
記事の中では「力の均衡が雇用主から従業員にシフトした」などとありましたが、これも単に人手不足だからということでなく、人を重視することが多くの面で好循環を生んで、結果的に社員の能力向上や会社の業績向上に結びついていくことで、これは私が様々な企業の現場を見ている中でも感じているところです。

この記事の中に、「評価には正解がない」という記述がありました。いくらテクノロジーを駆使しても、最後に決めるのは人間であり、しかも人間は他人に評価されることを本能的に嫌うのだとありました。「誰から見ても公正な評価というのはあり得ず、納得感のある評価が大事だ」とされていました。

私は以前から、この点についてはこんな話をしてきました。
評価制度における重要な要素として、「公平性」「透明性」「納得性」の3つがいわれ、このすべてが重要なことは間違いありませんが、すべてが同列ではないということです。

例えば、あるカリスマ社長がいて、その社長が一人の社員を評価した結果がB評価だったとして、その理由を社員には一切説明しなかった、もしくは「俺がBと言ったらBだ!」などの一方的な話だったとします。
これを社員が、「社長にそう評価されたらその通りだろう」「あの人の目は確かだから間違いないだろう」と思っていたとしたら、「公平性」も「透明性」もありませんが、本人は納得しています。
逆にどんなに「公平性」を意識して取り組んでも、どんなに「透明性」を向上させても、それで「納得性」が高まるとは限りません。
つまり、評価制度の運用では「納得性」が最も大事で、この「納得性」を高める手段として、一定基準に基づいて評価する「公平性」や、プロセスを明らかにしてフィードバックや説明を行う「透明性」があるということです。

また、「公平性」と「透明性」は制度で対応できますが、「納得性」は必ずしも制度だけで対応できることではありません。納得は各自の主観であり、誰がどんなやり方をしたか、何を見せ、何を語ったかなどによって左右されます。
このあたりを意識しないと、評価方法やプロセスのエラーをなくすことなど、「公平性」「透明性」ばかりが主眼になり、肝心の「納得性」が高まらずに、評価制度がうまくいかないということになります。3つの要素の関係性は、理解しておく必要があります。

「モチベーションアップのためには評価が重要」などといいますが、人間には他人から評価されることを嫌うという本能があります。また、競争をあおるだけでは、人のやる気は高まりません。それを前提にすると、企業の評価制度のあり方は、これから大きく変わっていくでしょう。

少なくとも「評価に正解なし」は、常に意識しておかなければならないと思います。


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