2019年5月13日月曜日

「アットホームな会社」とはどんな会社か


昨今の売り手市場の就職活動では、知名度が低い中小企業にとっては一層厳しい採用環境ということで、これらの会社はいかに学生にアピールをするかで様々な工夫をしています。

ある記事によれば、「社長の人柄」のアピールで、学生から一緒に働きたいと思わせようとしたり、長期のインターンシップで会社を理解する時間を設けて、就職したい気持ちが醸成されるように仕向けたりといったものがあるようです。
記事の中では、学生に選ばれる会社の条件として、「成長機会」「アットホームな人間関係」「働きやすい環境づくり」が挙げられていましたが、私が就職活動の現場の様子を見ていても、確かにそれを感じます。

この中にある「アットホーム」というキーワードは、相当な昔から中小企業が自社アピールをする際に使われています。少し前にお話を聞いたいくつかの会社も、自社を表現する中で、この「アットホーム」という言葉が出てきました。

ただ、私はこの「アットホーム」という言葉を、企業アピールに使ったことがありません。
その理由は二つあり、一つはあまりにも多くの会社がそう言っていて差別化にならないということ、もう一つは「アットホーム」がどんな社風なのか、自分自身がはっきりわからず説明もできないからです。

「アットホーム」の言葉の意味を調べると、“自分の家にいるようにくつろげるさま”“家庭的”とあります。
このままとらえれば、「アットホームな会社」は“自分の家にいるようにくつろげる会社”“家庭的な会社”となりますが、これではあまりにも漠然としていて、その会社の具体的な様子はわかりません。

言葉を置き換えてみると、「精神的な圧迫が少ない」「人間関係がギスギスしていない」「上下関係が緩やか」「本音を話し合える」「和気あいあい」といったイメージですが、これらはその人によって感じ方が違うものなので、自分の会社がその人にとって「アットホーム」だと言い切れる根拠にはなりません。
つまり、「自社がアットホーム」という情報は、その会社の社員が感じている雰囲気が何となくわかる程度で、応募者にとって具体的な情報は何もありません。
にもかかわらず、会社側は「アットホーム」というキーワードを一生懸命発信し続けていたりしますが、中小企業の場合、アピールできる強みが足りないことが多いので、こういうホワッとした言い方も仕方がないところはあります。

このことについて、ある会社に私がお話ししたのは、「“アットホーム”の具体的なエピソードを挙げる」ということでした。社員が「こんな場面で自社のアットホームさを感じた」という具体的な話を、アンケートやヒアリングを通じて収集し、それを応募者に対して伝えるのです。
何がその人のツボにはまるかは、たぶんまちまちですが、それに共感する人は会社の価値観に近い人ですし、そういう人が多ければ多い人、自社の「アットホーム」には裏付けができます。応募者もイメージがしやすくなります。

商品、サービス、その他事業内容など、明確な強みがあればそれをアピールすればよいですが、そう言い切れない会社は数多く、そういう会社では社風や人柄といったところから、相手の主観に訴えなければならないことも多いです。
会社は自分たちが思う「アットホーム」の中身をできるだけ具体的に示し、応募者はそんな情報から自分の価値観との合致度合いを知れば、お互いの意識のミスマッチは減らすことができます。

「アットホーム」のアピールは、しっかり説明することが必要です。


2019年5月9日木曜日

「みんなで一緒に」はどんどん難しくなっている


10連休が終わり、仕事や日常生活は、またいつも通りに戻りました。
「やっぱり10日は長すぎる」という人、「休めないから関係ない」という人がいる一方、休みを満喫したという人もいます。「こんなことでもなければ長い休みは取れない」という人は、めったに帰れない田舎に帰れて、両親がとても喜んだという話も聞きました。
私自身は「とにかく何もせずに休もう」と決めていたので、有意義な時間だったかは何とも言えませんが、のんびりできたことは確かです。休んでいる実感が持てる休みは、やはり大事だと思います。

そんなやることがない中で持ったのは、こうやって日本中が一斉に「休む」とするのは、さすがにもう成り立たないという思いです。
日本は有休休暇の消化率が低く、代わりに祝祭日が多いので、休日の日数自体はそれなりにあるといいます。ただ、それでは休める人はいつも休めて、休めない人はいつも休めないという二極化、固定化が起こります。飲食、小売、レジャーほかサービス業で働く人は、祝祭日が増えるほど休めない日が増えていきます。
同じ会社内でも、製造部門は休めるが販売部門は休めないという話を聞きました。

時給で働く派遣社員、パート、アルバイトといった人たちは、有給付与日数が少ない人も多く、休みがそのまま収入減につながります。正直「あまり休みたくない」と言っていました。
休み中も仕事だが、保育園が休みになって子供の預け先がなくて困ったという親御さんもいました。

雇用条件や業種の特性、家庭の事情などの条件がとても多様になっていて、みんなで足並みをそろえることが難しくなっています。

また、休んだら休んだで、みんな一斉なのでどこへ行っても混んでいます。何でも時間がかかり、料金も高く、本来は静かな場所も落ち着けず、せっかくの楽しさも半減してしまいます。一斉に動くことが非効率を生んでいますが、もっと人出が平準化できれば、快適さが増してレジャー支出も増えて、経済としてももっと活性化すると思います。
いずれにしても「みんなで一緒に」は難しくなっています。

これは企業の組織運営の中でも同じことが言えます。
子育てや介護の問題で、「同じ時間に同じ場所に出社すること」が難しい人がいたり、「働ける時間」の限られた人がいたりします。
以前は、会社が決めた「みんなで一緒に」の条件に合わせられない人は、辞めていくしか選択肢はありませんでしたが、労働力が徐々に少なくなっていく現在、それでは立ち行かなくなることは目に見えています。対応する会社はずいぶん増えました。

また、会社で団体行動を象徴するように見られる「社員旅行」を復活させる会社が増えていますが、かつてのような一律の団体行動を強制することはなくなり、多くの自由時間を設けたり、アクティビティが選択できるなど、多様な価値観に合わせた楽しみ方ができるように配慮されています。

例えば「みんなが持つヒット商品」「みんなが見るテレビ番組」「みんなが読む書籍」といったものが少なくなっていることからもわかるように、人の持つ価値観や選択肢の多様化は、思った以上に進んでいます。
企業でも、「社員一丸」などといって、一律の団体行動にこだわっていると、社員が会社にコミットする度合いに大きな格差が生まれてしまいます。特に企業の人事施策において、これからは「多様化」「個別化」がキーワードになっています。より多くの社員が、肯定的にとらえられる施策が重要です。

日本の社会全体で、「みんなで一緒に」はどんどん難しくなっているように感じます。
ただし、それは決して悪いことではないと、私は思います。


2019年5月6日月曜日

「自分が嫌なことを他人にしない」のもう一歩先が必要なこと


ある先輩と話をしていて、その方は本当に人柄の良い方ですが、いつも「自分が嫌だと感じることを絶対に他人にしないこと」を心がけているそうです。
これは、私自身も同じように思っていることですし、子供の頃に学校の先生や両親から、そう振る舞うようにと言われていた記憶があります。
少し調べたところでは、孔子の「論語」の中にもそういった記述があるようですし、それによって、人間関係が良好になると書かれた記事も目にしました。それくらい当然のこととして定着した考え方といえるのでしょう。

しかし、企業内で最近起こっている問題の中には、この考え方だけでは足りないと思う場面にたびたび出会います。それは、特に「ハラスメント」に関連する問題においてです。
「セクハラ」「パワハラ」、その他「ハラスメント」と言われる問題の中には、その行動に関して本人にまったく悪意がないことがあります。場合によっては善意や親近感、親切心からの行動が、相手にとって不快であったり威圧であったりすることがあります。

相手や周りの人から「ハラスメント」という指摘されたところで、初めてそのことに気づいて、反省しきりと言うことがほとんどですが、中には「その程度のことで」「自分たちは普通にされてきたこと」「それでは何もできなくなる」などと言って反発を見せる人もいます。自分の行為が問題というよりも、相手の反応が過剰だという感じ方です。
「ハラスメント」の問題では、女性より男性、若者より年長者の方が加害者側となることが多く、こういった反発は中高年男性が最も多いですが、最近は女性からのパワハラや、上司に対する逆パワハラといったものもあるようなので、これも一概には言えないところです。

ただ、ここから見えるのは、「自分が嫌なことを他人にしない」というだけでは不足があるということです。自分を基準とした感覚だけでは足りないのです。

私自身のことで言うと、例えば自分ではごく普通のニュアンスで話したことなのに、相手から非常にきつい言い方だったと指摘されたことがあります。自分にとっては何でもない普通程度のことで、嫌なことは何もないため、同じことを他人にも気にせずしてしまいますが、相手が自分の感じ方と違っていることは、かなり意識していなければわかりません。

「ハラスメント」の問題の原因として多いのは、相手との距離感や力関係の認識違いです。
中には確信犯のような人もいますが、多くの場合は、自分と相手の立場の違いでこれくらいは従ってくれるだろう、お互いの関係でこれくらいは許されるだろう、これくらいの言い方は理解してくれるだろうなどと思っていたことが、相手にとっては違っています。

こういうことを解消するには、「自分が嫌なことを他人にしない」からもう一歩進んで、「相手の感じ方を察して理解する」ということが必要になります。
観察力、洞察力、感受性などを要し、かなりのレベルの相手目線といえますが、そういう感覚が必要な場面はかなり増えていると感じます。人によって感じ方や価値観が多様化していて、「常識」「普通」「当然」といった言葉では解決できないことが多くなっています。

近年の人事マネジメントは、個人の意識や事情に配慮した個別化、多様化の方向に進んでいくと言われていますが、これもその一端といえるのでしょう。

今の時代は、「自分が嫌なことを他人にしない」のもう一歩先が必要になっています。