2012年12月28日金曜日

ワークスタイルが変わってきても・・・


在宅勤務、モバイルワーク、ノマドワークといった場所の制約を受けない働き方への関心が高まっていて、実際にそういう形で仕事をされている方も、ずいぶん増えているのではないでしょうか。

私は十数年前に、その頃在籍していた会社で試行的に在宅勤務制度を導入したことがあるのですが、その当時は環境的にまだまだ整っておらず、結局制度を利用していた本人が「やっぱり普通に出勤して働きます」ということになり、やはりなかなか難しいなぁという感想を持った経験があります。
今はIT技術の進歩も目覚ましく、その当時課題としていたこともかなりの部分は解決できるようになりつつあり、その気になりさえすれば導入しやすい環境になったと思います。

ただ、IT環境的にはそうなのですが、やはり働くのは人間ですから、仕事に求めるものや仕事のやりがい、価値観は人それぞれいろいろな物があります。

場所の制約が無くなることを「満員電車から解放されてラッキー」と思う人もいれば、「みんなに会えなくなって寂しい」という人もいます。
フリーアドレスで自席がない職場を「合理的」と思う人もいれば、「居場所がない」と感じる人もいます。
一人で作業することを「集中できる」「わずらわしさがない」という人もいれば、「活気が出ない」「相談できず不安」「サボってしまいそう」という人もいるでしょう。

やはり、制度や仕組みの整備とともに、働く人たちにその目的やメリットを理解、納得してもらい、不安をできるだけ取り除き、前向きな気持ちになれるように仕向けることも重要です。働き方が大きく変わるには、心の準備が必要です。もちろんこれを仕組みや運用の中でサポートすることも必要でしょうし、実際にやりながら試行錯誤する覚悟も必要だと思います。

ITシステムの導入、その他制度などの仕組み作りと、働く人の気持ちへの対応両立してはじめて、新しいワークスタイルが多くの人に受け入れられていくのだと思います。


2012年12月27日木曜日

「評価」と「考課」と「査定」の違い


いろいろな会社を回っていると、人事制度上のいわゆる“評価制度”のことを、「評価」と呼ぶところ、「考課」と呼ぶところ、「査定」と呼ぶところの、大きく三つの呼び方に出会います。

実際に皆さんは、それほど意識して使い分けているわけではないと思います。多分、会社内で使ってきた用語が何となく定着して、そのまま使っているようなことが多いのではないでしょうか。
私も皆さんの意識とほとんど同じで、何となくニュアンスの違いは感じながら、相手の会社に合わせて使っていることが大半なのですが、実際に言葉が違うということは、何か意味が違うはずです。

辞書で調べてみると、こんな感じでした。

【評価】
1.品物の価格を決めること。また、その価格。ねぶみ。「―額」
2.事物や人物の、善悪・美醜などの価値を判断して決めること。「外見で人を―する」
3.ある事物や人物について、その意義・価値を認めること。「―できる内容」「仕事ぶりを―する」
4.「教育評価」の略。

【考課】
1.公務員・会社員などの勤務成績を調査して優劣を定めること。
2.銀行・会社などの営業成績を調査・報告すること。
3.律令制における官吏の勤務評定。

【査定】
金額・等級・合否などを調査したうえで決定すること。「税額を―する」「勤務態度を―する」

どうも、「評価」は広い意味でいろいろな物の価値判断をすること、「考課」は主に勤務成績上の“優劣”を決めること、「査定」は金額や合否など、もう少し白黒はっきり決めること、という感じがします。

私がなぜこんなことを思ったかというと、実は昔から「査定」という言葉に何となく違和感があり、何か一方的に決められるというか、問答無用というか、言葉自体にそんなニュアンスを感じていたからのように思います。実際には一方的にされたわけでも問答無用でもなかったのですが、言葉のイメージでそんな風に思っていたということです。

言葉や用語というのは意外に大切で、例えば「精神力」とか「気合い」とか言われると共感できないが、「メンタル」などと言われるとすんなり入ってくる、なんてことがあります。
私が人事制度づくりをお手伝いする時、制度の中に出て来る言葉や用語の表現には、非常に気を使います。一般的に定着している言葉、とらえ方に差が出ない言葉は良いのですが、そうでない物で言葉や用語の選択を誤ると、そもそもの意義を理解してもらえなかったり、制度定着が滞ったりします。

言葉や用語には、人それぞれのイメージや先入観があります。今回は人事制度上の例ですが、それ以外のこと、例えば経営理念、事業計画、方針説明、日々の作業指示など何をするにおいても、すべてのことで“言葉選び”はとても重要なのではないかと思います。


2012年12月26日水曜日

内定者とのつながり作り


私がいつもお世話になっているクライアント企業では、少し遅めの先月に来年度入社の新入社員の方々が内定しました。
こちらの会社では、会社の旅行や忘年会などの社内イベントに、毎年の内定者を招待しています。今年も内定式と会社の忘年会の日程を合わせ、昼間に内定者研修を行った後、忘年会にも参加してもらいました。

その昔にあった囲い込みのような不純な意味は全くなく、ただ純粋な思いで早く社員たちと顔見知りになって、お互いのキャラクターを理解しあって、会社を好きになってもらって、少しでも不安を取り除いて、徐々に心の準備をして、スムーズに入社して活躍してもらいたいと考えての事です。少しでも早く仲間同士として認知し合いたいという事です。

内定者の方々にとっては、あまり面識がない人たちとの宴会にいきなり参加するわけですから、緊張もしていただろうと思います。本人たちに聞いたところでは、期待と緊張半々という感じのようでした。

実際に参加している内定者の様子を見ていると、もちろん不安が100%無くなるわけではありませんが、「こんな人たちと働くんだ」とか、「この人はこんな人なんだ」とか、会社全体の雰囲気、仕事を離れた時の社員の様子、それぞれの人間関係、その他いろんなことを直接経験して、たぶん自分のイメージが少し具体的になり、不安の軽減にはそれなりに役立ったのではないかと思います。

最近の世の中の傾向として、内定者研修や入社前のコミュニケーションは最低限、もしくはやらないという会社が増えているようです。
内定者側に聞くと、「入社日が近づいているのに会社から連絡がない」「本当に内定したのか不安になって自分から連絡した」「自分なりに入社に向けた準備をしたいけど、何をしていいかわからない」などと言う話も聞きます。

会社側としては、予算もないし手間もかかるし、このご時世で内定辞退もないだろうという事で、たぶん優先順位が低いのでしょう。メール連絡やSNSを利用することなどで終わらせているところも多いと思います。また「そんな手間をかけなければついて来られない人材では、メンタルが弱すぎだ」などとおっしゃる方もいます。

確かに私がお世話になっているこちらの会社でも、経費や手間がかかって大変だと思いますが、それ以上のメリットがあると判断して、このようにされているのだと思います。これからも都度イベントを案内し、内定者研修も行っていく予定とのことです。また内定者が何十人もいる会社ではないので、できることなのかもしれません。

考え方も事情も方針も各社それぞれですから、こういうやり方ばかりをお勧めするつもりはありません。
ただ、最近の傾向とは正反対のやり方で、その中にいる内定者たちの表情を見ていると、企業側として考えなければならないことは、いろいろあるのではないかと感じます。「すぐに辞める奴が多い」と嘆くだけではダメだと思います。


2012年12月25日火曜日

「日本人は過程を重んじる」らしい・・・


あるテレビ番組で「日本人は一見ムダと思える時間や労力、手間をかけることに、価値を見出す性質がある」と言う話がされていました。過程を重んじる茶道などを代表に、お金を払っているのに自分で調理する鍋やお好み焼き、わざわざ遠くまで出かけて自分で収穫する果物狩りなど、目的に至る過程(プロセス)で、楽しさを手に入れるというところがあるのだそうです。

確かに日本人は、過程を表す“○○道”という言い方を良くしますし、お好み焼きも果物狩りも、単にそれを食べる目的、手に入れる目的と考えると、どちらも効率的ではないですよね。でも何か楽しいと感じるところは、間違いなくあると思います。

これは人事評価や人材育成などにおいても同じで、結果だけでなくプロセスに目を向けることも大切で、両方のバランスが重要ということを常々感じています。日本の企業に結果中心で評価する“成果主義”がなかなか根付かないのも、このあたりの国民性に一因があるのかもしれません。

ただそうは言っても、グローバルな環境でお仕事をされる方もたくさんいらっしゃる昨今、日本人の心情を取り上げてくれる企業ばかりではありません。ビジネスの世界ではやっぱり結果を中心に問われます。
そんな中で、私自身がよくお話しているのは、「目標達成までをできるだけ細かい目標にブレイクダウンして、それ自体をプロセス化してしまう」ということです。

例えば営業目標の数字があったとすれば、「何か月で何件の受注が必要」などという計算はすぐにできるでしょうし、これをさらに細かくブレイクダウンしていくと、「今日は一日で何件電話しよう」とか、「今日は一日で何軒訪問しよう」とか、プロセスといっても良いところまで目標を落とし込めるはずです。大きな目標を意識しながらのToDoリストと言っても良いのかもしれません。

そうすると、それこそ一日単位で目標が達成できたかできなかったかはすぐわかるし、できたならば達成感があり、できなかったならば翌日取り返すことを意識する、なんてことができます。行動に対して常に結果が返ってくる状態になり、モチベーション理論でいう「行動と結果の随伴性がある」という状態ですから、その人のやる気にもつながります。ノルマ感も少なくなるので、意外にお勧めです。

私は本音では成果主義はあまり好きではありません。会社という同じチームなのに、他責になって攻撃し合ったり、助け合わなくなったり、目先のことしか考えなくなったり、お互いが足を引っ張り合ったりという、良くない部分を見てきたからです。それでも「しょせん結果がすべてだよね」などと言われると強く反論はできません。ある面では真実であるからです。

結果とプロセス、それぞれに対する考え方は、会社の風土によって様々でしょうが、自分自身の中で結果とプロセスのバランスをうまく取っていくことは、意識次第でできるのではないかと思います。


2012年12月23日日曜日

社員が会社のファンである素晴らしさ

世の中には「ファンの多い会社」があります。魅力的な商品やサービスのファンになってくれるお客様とともに、自社の製品や職場環境や人間関係に愛着や誇りを持ってくれる自社の社員も会社のファンの一員といえます。

会社に多くのファンがいるという事は、それだけ多くの喜びや楽しみや、やりがいや思い出を、会社という存在が周りに与えてきた証しだと思います。
働いている人たちやお客様にそう思ってくれる人たちがいるというのは、会社にとっては本当に幸せな事ですし、簡単には作り出せない財産です。また苦しい時ほどこういう人たちが力になってくれると思います。

社員と会社の関係というと、これは本当に千差万別です。愛社精神が目一杯旺盛な会社もありますし、働いている社員すら自社のファンでない会社もあります。私のように人事に関わる者が一番悲しいのは、この後者のような場合です。

本来「協調関係」にあるべき会社と社員が、「緊張関係」にあったりします。“きょうちょう”“きんちょう”は平仮名で書くとちょっと似ていますが、意味はやっぱり大きく違います。

そうなってしまう理由はいろいろあると思いますが、きっかけは会社側にある事が多いように感じます。会社と社員の関係作りの主体は、やはり会社側にあると思うからです。

例えば経営的に厳しくなり、社員にも負担を強いる施策を実施せざるを得なくなったとして、強く反発されたり理解を得られないという時、それ以前の関係作りが十分でないことに原因があったりします。
「良かった時は何もなかったくせに、困ったらこれか!」などと言われるとすれば、「困ったときはお互い様」と社員が思える振る舞いをしてこなかったせいがあるでしょう。利益還元、処遇改善、設備投資、人間関係作りなどが適切でなかったのではないでしょうか。

例えば今まで積極的に社内の情報開示をしてこなかったために「何か隠しているに違いない」と思っているのかもしれません。情報開示はしていても、それを理解できるだけの説明、教育をしてこなかったせいかもしれません。
他にも例はたくさんありますが、やはりいずれも、事の始まりは会社にある事が多いのではないでしょうか。

「ファンの多い会社」は基本的に業績も良い会社が多いです。そのファンの中には当然社員も含まれています。ファンを増やすことが業績につながると考えれば、「社員を会社のファンにすること」もとても大切な事であると思います。


2012年12月22日土曜日

一貫性と柔軟性


良い企業は、経営理念や企業理念など、自社の原理原則を“一貫”して守り、踏襲しているという所があります。老舗企業などはこういう部分を賞賛されたりします。

一方で“柔軟性”という部分の大切さも言われます。その時の状況に合わせて臨機応変に変わっていくという事です。変化対応力、適応力など、いろんな言い方もされると思います。その時々の判断、決断を賞賛され、良い舵取りをしている経営者が「カリスマ経営者」と言われたりします。

“一貫性”も度が過ぎると、硬直、官僚的、排他的、頑固などと言われ、“柔軟性”も度が過ぎれば優柔不断、(悪い意味での)朝令暮改、思いつき、ポリシーが無いなどと批判されます。
原理原則は一貫して守りながら、柔軟性を持って変化していくという事になるのでしょうが、よくよく考えればそれぞれ相反すること。守るべきか、変わるべきかの境目って一体どこなのだろうと、いつも思います。

世の中にたくさん出ている経営者や評論家、コンサルタントの方々の経験談や考え方、その他いろいろな事例を見ている中で思うのは、一つは「しょせんは結果論である」ということ、もう一つは「自分の感じ方との差による」ということでした。

「しょせんは結果論である」という所では、守ったことで結果が良ければ、やはり「一貫性が大切」となりますし、変化したことで結果が良ければ「変わることが大切」となるでしょう。いろいろな予測のもとに最善を尽くした上での結果と思いますが、うまくいくこともいかないこともあります。
良い結果でも悪い結果でも、それぞれ自分で判断したことだからと納得して、その経験則を糧として語っていると感じました。

「自分の感じ方との差による」というのは、自分が守るべきと思う事を変えたり、変えるべきと思う事を守り続けたりするなど、自分の意見と実際に起こっていることが異なる時には概して批判的になりがちで、うまくいかなければ「それ見たことか!」となり、うまくいってもあまり正当に評価したくないと思います。一方で守るべきもの、変えるべきものが自分の意見と同じであれば、うまくいけば「当然のこと」と納得し、うまくいかなければ「まあ仕方がない」と、これも納得した上で次の策を考えるのではないでしょうか。

どちらにも共通しているのは、自分自身の「納得」という部分で、守るべきか、変わるべきかの境目は、結局は自分が「納得」しているところが境目なのだ、というように感じています。

人事管理の中では「納得性」ということの大切さは良く言われます。人事評価も本人が結果に納得するかどうかがその後のモチベーションにおいて重要ですし、目標管理制度などは自己管理目標(自分が納得して決めた目標)をもとにマネジメントを行う仕組みです。仕事上の目標からその都度の作業指示に至るまで、納得しているか否かは仕事のパフォーマンスに影響し、結果を左右することもあります。

良し悪しだけで決められない事柄はたくさんありますが、その結果を肯定的に受け留められるかどうかは、「納得性」がかなり大きく関わっています。人とかかわる中で「納得」を得るためのプロセスというのは、できる限り大切にしていく必要があると思います。


2012年12月21日金曜日

続けていれば良いこともある


このブログを始めてからちょうと半年ほどになります。基本毎日更新してきたので、まぁよく続けたと思います。
他にも5年半くらい毎週定期的に書いているコラムと、あるサイトで連載を依頼されたコラムで2年くらい書き続けているものがあります。こちらも同じく、面倒と思う時もありながら良く続けたと思います。

なぜ面倒かというと、特に初めのうちは、読んでもらっているという実感があまり無かったからという事があります。
もちろんそれが当然のことではあるのですが、面白いもつまらないも、役に立つも立たないも、もっと言えば読者がいるのかいないのかも、書いている本人としてはよくわからないとなると、自己満足の世界に徹するか単なる宣伝のためと考えるしかなく、それが「面倒くさいなぁ」という気持ちにつながってしまいます。

しかし最近は、取引先や知り合いから「読んだよ」なんて言われることが少しずつ増えてきました。ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアのおかげもあります。

考えてみれば、そもそも連載依頼されたコラムだって、他の取材依頼のようなものだって、件数としてはごく限られていたとしても、書いていたものを目に留めて頂いたということで、やっぱり続けていた意味は、それなりにあったということだと思います。

よく「継続は力なり」と言います。「成功する人は最後まであきらめない人のこと」とは、かの本田宗一郎氏の名言です。

短期で目に見える成果がなくても見る人は見ている、やめてしまえば権利なしだけど、参加していればチャンスはあるということ、続けていれば目に留まることもあるという事です。

なかなか手ごたえが感じられなくても、続けていることで良いことは必ずあります。
皆さんも「もう無理かな」と諦めかけていることがあるならば、もうひと踏ん張り頑張ってみても良いのではないかと思います。
私も、自分の活動をもっと多くの人から興味を持って頂けるように、もっと役に立つと思って頂けるように、「続けて」取り組んでいきたいと思います。