2018年7月16日月曜日

“必要な”試行錯誤と“無駄な”試行錯誤


このところ、人事制度の見直しや組織改革に関するご依頼や提案要望を数多くいただいています。
たまたまかもしれませんが、どの会社でも直接の担当者以外の方々が数多くミーティングに参加してくるので、その理由を聞いてみると、会社としてそれくらい重要視しているテーマなので、みんな気合を込めてやろうとしているのだといいます。
私自身は、その分野の専門家として常にその重要さを認識している立場なので、そういう動きは歓迎しています。

お話を頂くほぼすべての会社は、自分たちなりにいろいろ情報を集めて調査し、自社内で様々な検討を重ね、その上で様々な取り組みをしてきた経緯があるものの、思い通りに進まないことやうまくいかないことが多数発生していて、やはり専門家の支援が必要だと考えたという会社です。

この「自社なりにいろいろ考えてやってきた」というのは、とても大事なことです。自分たちなりにいろいろ考えて、そこからの試行錯誤をした経験がある会社とない会社では、様々な面での取り組み姿勢が大きく違います。それほど多くはありませんが、丸投げや言いなりという姿勢が強い会社は、いろいろ施策を講じてもあまりうまくいきません。

自分たちで考える姿勢と、そこからの試行錯誤がどうしても必要になるのは前提として、私が今まで多くの企業をご支援してきた中で思うのは、その試行錯誤の中には必要な物と無駄なものがあるということです。
ここで無駄と言っているのは、すでに世間一般では検証が済んでいて、その良し悪しが明らかになっていることなのに、ただそのことを知らない、情報がないために、わかりきったことを試行錯誤しているような場合です。

これはあるところで聞いたお話ですが、ある国に数学の天才と言われる少年がいて、その子に会いに行った大学教授は、その優秀さにとても驚いたそうです。ただ、その子の住まいはかなりの田舎で、なおかつ貧しい家庭の子だったようで、満足に学校に行くことも難しかったようです。
その後数年たって、先生はまたこの少年に会いに行ったそうですが、その時少年は嬉々として「こんな法則を見つけた」と先生に言ってきたそうですが、その内容は、少年よりも年下の子たちが、すでに学校で普通に習っている内容だったそうです。
優秀だからこそ自力で見つけられた法則ですが、それはもうすでにみんな知っている内容のことで、習うことができなかったために、知識習得が大きく遅れてしまっていたという話です。

これは、私がお手伝いするような人事や組織に関する施策、制度構築や運用方法についても、同じようなことがあります。すでに世の中の評価が固まっているようなことでも、そのことをよく知らなかったために、自分たちで真面目に一生懸命考えて試行錯誤をし、その結論は結局すでにわかりきったことだったという場合です。私からすれば、事前に一言相談してくれればそれで済んだのにと思ってしまいます。

その一方、どうしても“必要な”試行錯誤があります。どんなに優秀な専門家が見ていても、やってみて結果を検証してみなければ次に進めない、やってみないとわからないというような場合は必ずあります。試行錯誤が全く不要で、すべてがすんなり問題なく進むようなことはほぼありません。俗にいう「PDCA」を何度か回さないと、良い結果にはつながりません。

こういった試行錯誤から、すべての “無駄”をなくすことはできませんが、減らすことは確実にできます。
ただし、そこでの大きな問題は、当事者の多くが、そこで行われている試行錯誤を“必要な”ものだと思っていることです。自律的で自発的に、真面目に一生懸命考えている人ほど、“無駄な”試行錯誤には気づきません。
こればかりは、すでに知識を持った人からの示唆や指導を受けるしか、避ける方法はありません。

少なくとも、その試行錯誤は無駄か、それとも必要なことなのかは、常に注意しておかなければならないことです。

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