2021年3月15日月曜日

「老害」と「長老」のわずかな差

ここ最近、高齢の政治家の振る舞いや言動を発端にして、「老害」の言葉をよく聞くようになりました。非難された当事者や同世代の政治家から、「老害という言葉は嫌い」「老害は差別用語」といった反論もありました。

確かに老人でも優秀な人はたくさんいますし、すべての高齢者に対して言うのは失礼なことでしょう。

 

この「老害」の定義を調べると、項目としてはいろいろ挙がっており、

・古い価値観を修正しない。

・頑固で自分の意見を曲げない。

・怒りっぽい。

・他人に対して攻撃的。

といったものがありました。

私の周りには明らかに「老害」と言えるほど言動や行動のひどい人はいませんが、地位や権限にいつまでもこだわって、立場を明け渡さずに居座り続けようとする人には、この「老害」の傾向があるように感じます。「後進に道を譲らない人たち」に対する批判を込めて「老害」という表現をしているのだと思います。

 

これとは反対に、ベテランを敬う意味合いの言葉として、「長老」というものがあります。

そもそもは、経験豊富でその組織や団体、社会の中で指導的立場にある人、年長で徳の高い僧侶などを指して言うようで、主に経営者もしくはその経験者、技術や経験が必要な職人、ある分野を極めた熟練者などが対象とされることが多いようです。好ましいニュアンスとして使われることが多い言葉でしょう。

 

「老害」と「長老」は、高齢者のとらえ方としては正反対ですが、その最も大きな違いは「周囲からの期待の有無」です。

「長老」と言われる場合は、その人の知見や経験が周りから求められている、あてにされているのに対して、「老害」と言われる場合はそうではありません。周囲は望んでいないのに独りよがりで思い込んでいたり、「自分の方が知識経験が上」と過信していたりして、その思いのままで行動しています。

 

しかし、「老害」の定義に挙げられていた「古い価値観」という点は、「長老」であっても別に新しい知見を求められるわけではないので、価値観は同じく古いでしょう。「怒りっぽい」「攻撃的」という点は、期待の周囲がないことへの反発だと考えれば、「長老」も同じ境遇に置かれれば同じ反応になる可能性があります。

考えれば考えるほど、「老害」と「長老」の違いは紙一重であると感じます。ちょっとしたことでどちらにも転換することがあり得ます。

 

周りが「老害」といって排除することで、なおさら反発して「老害」の度合が増します。期待を持って相談するようにすれば、承認欲求が満たされて「老害」のような行動は減るはずです。周りの扱いが「老害」を助長したりおさめたりすることがあります。

一方、本人には「あの人に相談してみよう」と周りから思われるような経験と知見、そして人格が必要です。「教える」のと「押しつける」のは違い、一度でも押しつけるような態度を取ると、周りはもう二度と「相談しよう」とはなりません。「老害」と言われるのは、本人の振る舞いに大きな原因があります。

 

「老害」では本人の問題が大きいことは間違いありませんが、周囲の接し方の影響もそれなりの大きさであるでしょう。

「老害」を減らして「長老」と呼ばれる人を増やすには、周りがその人の知識経験に期待を持つことと、本人の過信や横柄さのない自覚した振る舞いの両立が必要です。

 

 

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