2021年3月11日木曜日

「奪い合うと足りないが…」という震災の教訓の話

東日本大震災から10年ということで、当時の話がいろいろ記事になっている中で目に留まったことです。千葉県の県紙である「千葉日報」の記事です。

 

この時のディズニーリゾートでの来場者に対する対応が素晴らしかったという話は、いろいろなところで語られていますが、やはり日々の準備と訓練がその基本となっていたようです。

当時のパーク内では、来場者に非常用の食料などが無料で配られていたそうですが、そこには阪神大震災の被災地での経験が活かされていたそうです。

 

パークの防災担当者が、より実経験に基づいたマニュアルを作るために神戸市を訪れて、避難所の運営方法などを学んだ際、そこで感銘を受けた言葉として、「物は奪い合うと足りないが、分かち合うと足りる」というものがあったそうです。

物資を取りに来てもらうと奪い合いになるが「災害弱者から配る」ときちんと伝えて人の手で配ると混乱は起きないと教わりました。

震災では実際にこの経験が活きて、パークで配る食料が人数に比して個数が足りなかったときに、神戸で教わったように「お子様やお年寄りを優先します」と明言して手渡して回ったところ、「自分たちは大丈夫」「小さな子にあげてください」と譲り合う人が相次ぎ、足りないはずが半分以上余ったということでした。

 

「奪い合うと足りないが、分かち合うと足りる」という言葉は、私もいろいろ感じることがあります。

「奪い合い」は「競争」と言い換えることもできますが、例えば企業の人事施策としての評価や昇格昇進といったことには、「競争」という要素が多く含まれています。企業間も競争ですし、そもそも資本主義経済が競争前提なので、常に「奪い合い」の中で生きていることになります。

これは全体のパイがそれなりに広がって成長していれば、仮に負けてもそれなりに幸せに過ごすことができます。競争が活力を生み、その結果として幸せの波及する範囲が広くなります。業績が伸びている会社、市場の拡大、国の経済成長など、全体の枠が広がっていれば「奪い合い」をしても物は足ります。

 

しかし、これが業績頭打ちの会社、飽和状態の成熟市場、経済成長しない国家となると、この事情は違ってきます。「競争」つまり「奪い合い」によって、二度と立ち直れない負けや絶対に埋められない格差が起こってきます。「競争」をあおっても、みんなが幸せにはなりません。「奪い合うと足りない」という状態と同じように思えます。

 

企業の人事施策でもそうですが、昔ながらの方法として、「上昇志向をあおる」という面が多分にあります。「競争して上を目指すこと」で会社も社員も活力を得ようとしていました。

ただ、様々な環境が変わって、今はそれでは通用しづらくなっています。「管理職になりたがらない若手社員」などは、これを象徴したことでしょう。

 

「奪い合うと足りないが、分かち合うと足りる」と言われると、現状は昔のままに「奪い合っている」から、いろいろな物が足りなくなっている状況に見えます。伸び盛りの成長期には「奪い合う」ことでも良いですがが、成熟期やピンチの時はそうではありません。少し考え方を変えて「分かち合う」ことを考えた方が、良い方向に変わってくるように思います。

企業の社会的貢献や社会的起業と言われるものが増えているのは、分かち合うことが大事なことに気づき始めているからではないでしょうか。個人でなくチーム成果重視、競争よりも協働といった流れは、「分かち合うと足りる」に通じていると感じます。

 

「物は奪い合うと足りないが、分かち合うと足りる」は、これからの施策を検討していくうえで、重要な考え方になるのではないでしょうか。

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿