2021年3月22日月曜日

「緩み」という言葉の感じ方

コロナ禍での感染対策に関する広報や評価の中で、「緩み」という言葉がしばしば使われます。

自治体の首長や政治家から一般市民まで含めた様々な人たちが、「気が緩んでいるから感染が増えている」と指摘し、「だから気を緩めるな」と発言します。現状に対する感想を求めると、「周囲の人の気が緩んできている」などと言います。確かにそういう面はあるでしょう。

ただ、私はこの「緩み」という言葉に対して、何か心から納得できない反感を持ってしまっています。理屈が間違っているとかではなく、ほぼ気持ちやとらえ方の感情的な問題です。

 

その反感の理由を深く考えることもないままに時間が過ぎていた中で、ある記事を目にしたときにその理由を見つけた気がしました。それは「緩んでいる」という言葉は、基本的に目上の者が目下に対して言うもので、さらに他人の行動に一方的にダメ出しをする苦言のニュアンスであるとの指摘でした。

だから、必ずしも自分にとって目上とは言えない人たちから「緩んでいる」などと言われても、あまり素直に受け取れずにかえって反感を買うこともあるという話で、コロナ禍においてみんなで協力し合わなければならない時に、この「緩んでいる」という言い方はあまり適当ではないと記されていました。私は自分の気持ちの理由が、この説明で腑に落ちた気がしました。

 

私自身の過去を振り返ってみて、この「緩んでいる」という言葉、さらにもう少し広げて「たるんでいる」といった言葉を直接言われた記憶は、正直思いだせることがありません。もしかすると学生時代の部活動か何かで、先生か先輩にそんなことをいわれたことはあるのかもしれません。

ただ、当時のような明確な上下関係の下で、目上の人から一方的に怒られるような場面でない限り、この「緩んでいる」「たるんでいる」という言葉は投げかけられないでしょうし、自分の口から発したことも、冗談のニュアンス以外ではないはずです。実は対等な人間関係の中では、それくらいめったに出てこない言葉で、そのニュアンスが感覚的に受け入れられなかったように思います。

 

こういったことから考えて、例えば普通の会社の仕事上で、この「緩んでいる」「たるんでいる」という言葉が出てくることは、たぶんほとんどないはずです。もしそれがあるとすれば、上下関係が厳格な会社か権威主義的な姿勢が強い会社で、少なくとも近年好ましいとされている組織運営のスタイルとは、かなり異なるところでしょう。

「緩んでいる」という言葉を発する人には、「自分以外の周りの意識が低いから」など、心のどこかに他責の気持ちがあったり、無意識のうちに相手を自分より下の立場だと見下したりしているのではないでしょうか。こういった本音や本心が、使われる言葉に表れている感じがします。

 

言葉はちょっとした使い分けで相手のとらえ方は大きく変わります。ほんの少しの言い方の違いで、共感を得られたり反感を買ったりします。特にリーダーの立場にいる人は十分に考える必要があります。私自身の自戒も込めて、注意しなければなりません。

 

 

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