2016年8月3日水曜日

「それが当たり前」の意識になると不満だけが残る



最近は、社員の能力発揮の向上、人材流出の防止、職場の活性化などを目的として、従業員満足(ES)に力を入れる企業が増えてきました。その一環として、福利厚生の充実を図ろうという企業も多くなっています。

健康管理や冠婚葬祭ほかライフイベントのサポートといった一般的なものだけでなく、社員食堂をすべて無料化したり、社内にお酒も飲めるBarスペースを作って、社員は自由に利用できたりといったユニークなものもあります。

ただ、こういう取り組みには少し否定的な声も耳にします。
これは数々の先進的な取り組みを進めている、ある有名企業の社長が言っていたので、特に印象に残っていることですが、例えば社員食堂を無料化している会社を見ていて、初めはみんなが評価して喜んでくれていますが、徐々にタダであることが当たり前という意識になってしまい、そのうち「おいしくない」「まずい」などと文句をいう者が出始めるのだそうです。

客観的に見れば、自分たちは相当に優遇されているにもかかわらず、それが当たり前になってしまって不満を言い出すようになってしまうことが許せない、だから自分は無料にはしたくない、タダと決まっていて食べるものより、誰かが不意にごちそうしてくれることの方がよほどうれしいだろうとと言っていました。

社員にとってせっかく良いことをしているつもりでも、それが当たり前になってしまうと、そこから出てくるのは不満ばかりになってしまいますが、当たり前になっていない良いことは、うれしさや好感を持って捉えられます。そういう気持ちを活かしたいから、既得権は作りたくないとおっしゃっていました。

「当たり前」という言葉は多くの人が口にしますが、個人の主観で異なるということでは、捉え方が難しいものだと私は思っています。さらに主観であるにもかかわらず、「当たり前」が不足したときに生まれるのは、不満の感情しかありません。
「こんな当たり前のことがなぜできない」などと相手を責める感情、今の環境が当たり前になっていて、優遇されていることに気づけなくなっている慣れといったことです。

組織運営の中での様々な施策を考えたとき、「当たり前」という既得権は、多くの場面で障害になります。
毎回高い人事評価を受けていることが当たり前になり、いい評価にもかかわらず不満を言う社員、社員を思って苦労しながら続けている施策が後退した時の不満、上司から部下への指示や、部下から上司への期待で、「当たり前」が達成されなかった時の叱責や不満など、「それが当たり前」の意識からは、プラスの感情が呼び起こされることは、あまり多くないように思います。

「当たり前」というのはあくまで自分の主観であり、それにこだわっても不満しか生まれないことは、意識をしておく必要があるのではないかと思います。

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