2020年11月12日木曜日

「前任者の評価」を一変させる上司を見ていて

企業の人事評価の中で、「評価が固定化して変わらない」という問題を言われることがあります。

ある評価者から見て、良い人はいつまでも良く、悪い人はいつまでも悪いという固定化は、ある意味仕方ないと思うところと、事実に基づかない思い込みで評価していると感じることの両方があります。

 

結果主義の要素が強い評価制度の場合は、評価が良かったり悪かったりという変動は結構ありますが、プロセスも考慮するような評価制度では、そこまで激変するという感じではなくなります。

評価制度はその会社の仕事内容によって、結果とプロセスの相関関係が強ければ、結果のみで公平に評価することが可能ですが、反対に手抜きでも結果が出てしまう結果オーライや、結果が出なかった真面目な取り組みを無視すると不公平感が増してしまうような場合は、結果とプロセスのバランスを見ながら評価することが必要になります。

やっぱり評価される側からすると、結果が良い時には結果を評価してほしいですし、結果が悪い時には最善を尽くそうとした努力のプロセスを評価してほしいと思いますから、結果とプロセスのバランスを見ることは重要です。

 

プロセス評価は、日々の仕事振りの観察から、事実に基づいた評価をしなければならないと言われますが、そこではどうしても評価者の感覚に左右される部分が出てきます。この感覚が大きく変わることは少ないですし、評価される側の仕事振りも、同じくそこまで明らかに変わることが少ないのも事実です。「評価の固定化」は仕方がないのと、思い込みがあるという両面を感じるのはこんなことからです。

 

そんな中、評価者の上司が変わって、それまで前任者がしてきた評価を一変させることがあります。その一部では「過小評価を見直した」と良い評価に変わることがありますが、大半はそれまで「普通」「標準」「並み」と評価されてきた人が、マイナス評価に変えられてしまう場合です。

 

新しい上司に評価の理由を聞くと、だいたいがその人に対するダメ出しのオンパレードになりますが、そこでは同じ仕事を地味にコツコツ続けてきたような人が、やり玉に挙がっていることが多いと感じます。「提案がない」「意欲がない」「改善がない」「積極性がない」などという言葉がよく出てきますが、要は上昇志向のようなアグレッシブさがないと言っていることがほとんどです。

そして、こういうことを言う人のほとんどが、自分に上昇志向があって、ちょっと攻撃性を含んだアグレッシブさがあって、わりと気が短くて、人の好き嫌いがはっきりしているような人という印象があります。

要は自分の感覚的に歯がゆい人材を、「前任者が見過ごしていた」という批判とともに、その人の評価をマイナス方向に一変させているのです。「評価の固定化」にも「一変する評価」にも、同じように問題があります。

 

「評価の固定化」には閉塞感、一方「一変する評価」には恣意性という問題があり、そのどちらも評価者の感覚や思い込み、そして好き嫌いという主観の問題を含んでいます。

公正な評価は大事で、そこに向けたできるだけの努力は必要ですが、人が人を評価する限りは、どうしようもない限界があるようにも思います。

 

 

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