2021年7月8日木曜日

「仕事内容」と「報酬」の不平等をあらためて感じたこと

仕事内容が同じであれば、同じ額の賃金を支払うという「同一労働同一賃金」の制度は、主に正規、非正規雇用の不公平な待遇差解消を目的に、法律はすでに施行されています。

ただ、実際の取り組みは、明確に指摘されている一部手当の格差などを除き、どんどん進んでいるという感じではありません。

何をもって同一労働というのかの定義は難しく、ほとんどの判断は企業に任されていますし、給与以外の勤務体系や休暇取得、設備の利用など、雇用形態の違いを理由に、さまざまな扱いの格差が維持されているのが実態です。今でも派遣社員は使えない休憩所や更衣室があったり、最近ではテレワークができる、できないの差があったりする話も耳にしました。

不合理な格差をなくすべきという総論には賛成ですし、今後も判例や通達などで具体的な基準が示されていくのでしょうが、果たして「同一労働」という言い方でこれが実現できるのだろうかと、ちょっと疑問を感じます。

 

最近のことですが、私の家族がオリンピック関連の1日限りの短期バイトをしてきました。施設入口での検温業務だったそうで、感染症対策で新たに必要になった業務ということでしょう。

ここで思ったのは、このバイトという立場で働く人と、無給のボランティアでオリンピックにかかわる人たちとの関係です。同じ業務の中でバイトとボランティアが混在することはたぶんないのでしょうが、例えば通訳とか医療関係とか、特殊技能で価値の高い業務にかかわるボランティアは無給で、一方わりと簡単な検温のような業務ではバイトが有給で働いていることになります。同一労働ではないですが、仕事の難易度や重要性を見たとき、報酬という面では逆転しているわけです。

開催環境が当初から大きく変わってしまったことで、すべてボランティア頼りの想定が狂ってしまったのかもしれませんが、少なくともボランティアで参加する人にとっては、あまり気分の良いことではないでしょう。それでもあえてボランティアをするのは、その人なりの意義を感じてのことでしょう。

 

これは昔からあることですが、同じような肩書、役割で仕事をしているのに、中途採用の転職者の方が給料が高いといったことがあります。前職以下の待遇では採用することができないからですが、不合理な差であることは間違いありません。私も実際の現場で、既存社員から「自分が辞めて転職で入社し直したら給料は上がるのか」と言われたことは、一度や二度ではありません。

また、そうやって給与に下駄をはかせて入社してもらった人に限って、入社後の評価がいまいちといったことは結構多い印象があります。こうやって自社の基準をゆがめるのは、結局あまり良い効果は生んでいません。これも同一労働とまでは言えませんが、不合理、不公平な格差であることは間違いありません。

 

このように仕事内容と報酬の関係を、本当の意味で平等、合理的にすることは、たぶん不可能です。では何をもって平等とするのか、合理的な格差とするのかの基準は、私にもよくわかりません。

ただ一つだけ言えるのは、仕方がない、やむを得ないなどの消極的なものも含めて、本人に納得感があるかどうかが大事ということです。ここには自分なりの目的、仕事の意義、組織への愛着といった感情的なものもかかわります。

 

正直言って、相当な大企業でも「同一労働」といえる人というのは、実はそれほど多くありません。みんなそれぞれの適性、能力、価値観などによって、それぞれ少しずつ異なる役割を担っています。

仕事内容と報酬の不平等を、同一労働同一賃金のようなロジックだけで解決しようとするのは、私はなかなか難しいように思います。

 

2021年7月5日月曜日

信頼がなければ「叱っているつもり」であっても伝わらない

「怒る」と「叱る」の違いという話は、よく言われることです。

「怒る」は、自分の感情的な怒りを一方的に相手にぶつけるもので、「叱る」は、相手のことを思っておこなう注意や忠告、指導、アドバイスだとされます。「怒る」は自分の感情、「叱る」は相手の成長などを考えた理性ともいえます。

そして叱ることは遠慮すべきでなく、上司や先輩の責任として、躊躇せずにおこなうことが必要だと説いているものをよく目にします。嫌われても煙たがられても、叱るという意味でいうべきことはいわなければならないとのことです。

 

上司をはじめ、指導する側の立場であれば、それは確かにその通りでしょう。ただ、もし私自身が「叱られる側」の立場で、誰かから「私のことを思って」の忠告や指導を受けたとして、たぶんそのうちの一定部分は、私の心に響かないと思います。それは、相手としては叱っているつもりでも、受け取る側にとっては怒っているとしか見えない時があるからです。

 

「叱る」という言葉には、「目下の者の言動のよくない点などを指摘して強くとがめる」という意味があるそうですが、表面的な振る舞いだけをみれば、「怒る」という様子との区別はつきません。「叱ってくれている」と思うには、自分のことを思ってくれている人、成長を願ってくれている相手と認識している人からの言葉でなければなりません。要は「信頼関係がある相手からの言葉である」ということです。そういう人からの言葉の中身をよく聴いて考えて、初めて「叱ってくれた」ととらえます。

 

叱られる側の姿勢として、誰からの話も謙虚に受けとめるのは必要なことですが、叱る側の姿勢で注意しなければならないのは、「嫌われても叱ることを躊躇するな」という話です。このことばかりにこだわって相手との関係を見誤ると、こちらは「叱っているつもり」でも、相手は「感情的に怒られている」ととらえられていることが多々あるからです。

 

お互いの信頼があって初めて「叱る」「叱られる」という関係が成り立つわけですが、この信頼は「上司だから」「先輩だから」「役職者だから」「教育係だから」「目上だから」「知識があるから」など、形式的なものだけでは決して生まれません。本当に自分のことを知ってくれて、親身になって考えてくれているという日々の態度が伝わりながら、徐々に作られていくのが信頼関係です。それがないのに“躊躇せず”にきついダメ出しを食らっても、それを「自分のためを思って叱ってくれた」とはなりません。

 

特に最近の若手から中堅社員は、キツさを感じる上からの物言いは、押しなべて感情的というとらえ方をして、かえって話が通じにくくなる傾向があります。信頼されるのは落ち着いて理性的に話せる人で、自分の一方的な思いだけで厳しい指摘を躊躇せずにおこなうような人は、そもそも信頼されづらいといえるでしょう。それはせっかく話していることが伝わらないということでもあります。

 

「この話は感情的に言っていることではない」と思ってくれる信頼関係の前提がないままでは、「叱っているつもり」でも、その意図は伝わりません。自分の思いよりも相手がどうとらえるかの方が重要です。

 

 

2021年7月1日木曜日

あえて「上は目指さない」という会社

 

もう10年近く前の話になりますが、その当時知り合った会社で、社長が「業績向上や規模拡大など、今より上はあえて目指さない」というところがありました。

技術系の会社でしたが、社員の今までの経験の範囲内で、新しい技術ではなくありふれた既存の技術で、社員は増やそうとせず、業績もその時の社員数に合わせて現状維持ができればよいという方針でした。

 

社員の顔ぶれを見ていると、みんな真面目ですが口数が少ないようなおとなしい人が多く、リーダー的なタイプに見える人はほとんどいません。どちらかといえば変化についていくのは得意でなく、与えられたことを今まで通りにコツコツ地道にこなすことが向いているような社員がほとんどです。

 

 会社は、その人たちがストレスを感じずに、自分の能力の範囲内でこなせる仕事を選んで請けてきます。その仕事が継続する間はできる限り続けて受注するようにし、部署異動や担当替えも基本的には行いません。

 

それぞれの社員に向上心がない訳ではありませんが、会社はあえてそれを求めず、その人の能力に見合った仕事にアサインし続けます。上昇志向や競争心がある人にとっては歯がゆくてやる気が起こらない環境かもしれませんが、競争や変化が苦手、コミュニケーションが不得手で不器用な人にとっては、安定して穏やかに仕事をし続けることができる環境です。

たぶん他の会社に行っても評価されづらい社員ばかりですが、そういう社員たちが仕事をする場を生み出しているということでは、意義がある考え方かもしれないと思っていました。

ただ、これから先もそれで事業継続ができるのだろうかと、その当時は半信半疑の気持ちだったという記憶があります。

 

それからしばらく経って、同じような考え方を再び目にする機会がありました。京都にある1日100食限定の飲食店「佰食屋」の社長のインタビュー記事です。

「意欲的で意識が高い人材」は採用しないそうで、それは「今いる社員と合わないから」だそうです。

「売上増や多店舗展開は捨てている」と公言し、1種類のメニューで100食限定というやり方も、拘束時間や仕事量が増えて社員に負荷がかかることを避けたい目的があったと言います。働く人が対応できる規模の範囲で店を続けるという価値観です。

 

最近はコロナ禍で、4店舗のうちの2店舗を閉店せざるを得なくなるなど、厳しい状況にあったようですが、それでも様々な営業上の工夫をすることで生産性が上がり、黒字回復することができたとありました。無理な売上拡大をしてこなかったことで、早い回復が可能だったとのことです。

 

「新しいことを学ばない」「チャレンジしない」「上は目指さない」「現状に甘んじる」といってしまうと、いかにもやる気がないダメなことのように見えてしまいますが、考え方を変えれば別にみんなが上を目指す必要はなく、向上心は必須ではなく、できる仕事を確実にこなして、それが売上拡大や規模拡大につながらなくても構わないというのは、決しておかしなことではありません。

 

「社員の身の丈に合った雇用を作り出す」と考えれば、それは十分に素晴らしいことであり、そこでは成長至上主義である必要はありません。

成長しない日本という国全体が、どんどん貧乏になっていくような心配がある一方、それぞれの働き方には多様な考え方があって良く、ただ上を目指すことが必ず幸せにつながるとは限らないのもまた事実です。

 

あえて「上は目指さない」というやり方は、これからの働き方を考えていく上ではいろいろな示唆を含んでいるように思います。