2013年4月30日火曜日

「お金」でも「地位」でもない若者たち


ある会社でうかがったお話です。

その会社で給与体系の見直しを行うことになり、社員向けに内容の説明をしたときのことだそうです。

どんな話をしたかというと、
「こういう役割だとこういう給料になる」
「早く上位ランクになればそれに見合って昇給し、いつまでも同じランクに滞留すると昇給しなくなってしまう」
「きちんと昇給できるようにランクアップを目指して頑張ってほしい」 
というようなことだったそうです。

 しかし、それに対する若手社員の反応は、
「今の給料でも倹約すれば生活できるので、別にいいです」
「そんなに偉くなりたいとは思いません」
という感じで、あまりにも向上心がないと感じ、ビックリとガッカリだったそうです。

私が見ている中でも、最近こういう傾向は増えていて、特に若手社員の中では強く感じることがあります。
ただ、彼ら彼女らの中で、お金や地位に執着しない人が増えているのは事実ですが、決して向上心が無い訳ではなく、モチベーションを感じる対象が違ってきているだけだと私は思っています。ストライクゾーンが以前とは変わってきているということです。

もちろんこれは人に寄りけりですが、どちらかというと自分の経済的な裕福さや個人的な上昇志向ではなく、“友人”、“仲間”、“家族”、“チーム”、“社会貢献”、“他者貢献”、“環境”、“弱者救済”、といった事柄の方が優先されることが多いように思います。
社会起業家のように、単に収入を得ることを目的として事業を興すのではなく、使命感を持って社会の課題を自らの手で解決すること目標とした起業などとも共通する印象があります。自分自身のことにしても、“自己実現”といった、自分の欲求欲望を満たすこととは違うニュアンスで表現されることが多いと思います。

上司、管理者の世代の人たちは、自分たちの感覚と比較して、「向上心が無い」と嘆きますが、これは人それぞれの持つ価値観によるものですから、他人に言われて急に変わるものではないからですし、嘆いても何の解決にもなりません。
やはり、相手のツボに合わせたモチベーションアップを考える必要があり、実はそれはちょっとした目線の違いだけではないかと思います。

先日私とお話した方は、「何でいいもの食べたいとか、いい車に乗りたいとか思わないんだろう・・・」とおっしゃっていましたが、今の若い世代からすると、たぶんそんな浪費は敵、無駄なことなんだろうと思います。

「出世していい給料をもらおう」ではなく、ちょっと言い方を工夫して「君がリーダーになるとチームのみんなが仕事しやすくなるぞ」なんて言った方が、やる気が出るのかもしれません。


2013年4月27日土曜日

精緻な制度と運用コスト


会社組織に制度、仕組み、システムは必須です。制度化、仕組み化、システム化を進めることで、徐々に効率が上がっていきます。ただ、こういう流れに慣れてしまうと、往々にして行き過ぎが出てきます。 
細かく制度化、仕組み化、システム化をすることで、誰がやっても同じ結果になるようにすることを目指すのですが、実際にはそれが効率化に貢献しない、つまり効率化される以上に運用コストがかかるという状態です。

身近で起こりがちな、わかりやすいところでは、

○ 似たような中身の手続き書類がたくさんある
○ 書類に押されるハンコの数がやたら多い
○ 社内の報告会がイベント化し、管理職が何日もかけて報告書類を作っている
○ 何を話し合うか決まっていないが、とりあえず出席しなければならない会議がある
○ 「決まりだから」という理由だけで、やらなければならない作業がある

などというところです。

私が出身のIT業界では、仕事の性質上もあってシステム化に対する意識が高い事が多く、その反面で「理屈ではそうだけど・・・」「それはやり過ぎでしょう」というところに陥りがちな傾向があります。そもそもの目的を見失って、「その作業、手続きを行うこと」が目的化していたりします。

実際の話、例えば野球やアメフトのように、ワンプレー毎にベンチから指示が出せるような競技であればまだしも、サッカーやラグビーのように、ゲームが始まったら多くの部分を選手自身が判断しなければならない競技では、すべてをパターン化して事前に教え込もうとしても、それは難しいはずです。これをビジネスの世界で考えれば、業種や仕事内容によって差はありますが、圧倒的に後者のケースが多いはずです。

そもそも誰がやっても同じにできるなら、マネージャーなど不要でただの監視役がいれば良いことになり、個人の資質も能力も関係ないということになってしまいます。無人化できる工場のような仕事内容ならいざ知らず、そういう仕事は会社の中ではごく一部のはずです。

会社での制度化、仕組み化、システム化は「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。個々の社員の能力を見極めた上で、どこまで決めてどこまで任せるのかを、バランス感覚を持って考える必要があります。
私は「人は機械ではないので、もっと信じて任せてみれば?」と思います。



2013年4月26日金曜日

人に好かれる最強の方法・・・?


今回のタイトル、「人の好かれる最強の方法は?」としましたが、その答え、皆さんは何だと思いますか・・・。

答えはなんと「犬に学べ!」なんだそうです。
人によっては「何言ってんだ!」と怒られそうですが、まぁ軽い小話程度、そんなこともあるかもね、という程度で捉えて頂ければと思います。

私も昔、実家で飼っていたので、いちおう様子はわかっているつもりですが、犬というのは家人が出かけていればその帰りをずっと待ち、家に帰れば真っ先に寄って来て、ちぎれんばかりに尻尾を振って喜びを表し、散歩に行けば喜び、みんなに構ってもらえればまた喜び、餌をもらえるのを待ち、もらえれば喜び、というような感じで、なおかついつでもその通りの同じような態度なのではないでしょうか。(もちろんもっとテンションの低い、冷めた感じのヤツもいるかもしれませんが・・・)
いつも自分のことを待っていて、いつも自分がすることを喜んでくれ、それがいつも気分の差が無く同じ態度な訳ですから、飼い主にしてみればかわいいに決まっているでしょう。

実は人に好かれる方法も、これと同じだというのです。
例えば会社で、自分の周りの人がこんな感じで接してきたとしたらどうでしょうか。いつも自分のことを心に留め、いつも一生懸命で、いつも明るくうれしそうに接してきたとしたら・・・。友達ならイイ奴だと感じ、部下や後輩だったら、かわいくて仕方ないでしょう。困っていたら助けてやりたい、どうにかしてコイツを育ててやりたい、何とかモノになるようにしてやりたい、などと思うのではないでしょうか。(下心がありそうとか、気持ち悪いとか言わないでくださいね!)

反対に、喜怒哀楽が激しかったり、その時によって態度が違ったり、無愛想だったり暗かったりする相手だったらどうでしょうか。やっぱりなかなか好きになれないし、その人に対する思い入れは違ってくるでしょう。

また、前述のような好かれやすい態度の人が元気のない様子ならば、「何かあったのか」「具合でも悪いのか」と心配されるでしょうが、後述の好かれづらい感じの人であれば、「どうせ機嫌が悪いんだろう」「いつもの事だ」と遠巻きにされるのがオチでしょう。

このあたり、好かれる態度って何なのかと考えてみれば、「いつも明るく」「いつも同じ態度で」「いつも誠実に接する」という感じではないでしょうか。 
・・・でそれを確実に実行しているのが犬たちと言えるのかもしれません。

一人前の大人に向かって「犬を見習え」とか「犬のようになれ!」とはさすがに言えませんが、こんな捉え方をして少し見習ってみるのは、確かにアリかもしれないなぁと感じた次第です。


2013年4月24日水曜日

「競争」と「協調」-あなたはどちら優先?


最近、特に電力業界の話題などを見ていると、やっぱり企業間に競争がないとダメなんだなぁと感じます。一方、企業という人の集まりで成果を上げようとすると、それはチーム力の勝負であり、協調という要素も大切になってきます。会社が業績を上げていくには、競争と協調を両立させることが必要であるとつくづく思います

競争ということでいうと、企業の人事制度などでは、他人との競争心を刺激することによって社員をモチベートしようという部分がありますが、最近このあたりが機能しづらくなっています。
例えば、ゴルフの石川遼選手のような若い世代のアスリートは、負けず嫌いだし勝負にもこだわりますが、競争相手はライバル選手というような「人」が対象ではなく、自分自身の心や技術や、ゴルフの場合だとコースなどが競争相手と思っているように見えます。野球選手でもサッカー選手でもそうなのですが、「誰々には負けたくない」というような、他人に対する単純な競争心ではない思考の人が多くなっているように感じます。

これは企業の中でも同じで、「アイツには負けたくない」というような感情が希薄になっていることはもちろん、他人と比較されることでかえってやる気を失う者もいるようです。
しかし、上司の側は未だに「同期の○○はもうリーダーなんだから、お前も頑張れ」「アイツにできるんだからお前にもできる」など、他人との比較を持ち出すことがまだまだ多いように思います。人事制度の方でも、相変わらず他人との競争をあおることを主眼としているようなものが、まだまだたくさんあります。

最近よく取り上げられる有名なエピソードで、なでしこジャパンの佐々木則夫監督が、合宿中に練習に遅刻してきた選手に対し、本人を叱責せずに「どうして皆で誘い合って練習にこないのだ」と、グループとしてのまとまりに欠けた他の選手達に反省を促したという話があります。女性はグループで目標を立てて皆で協力し合った方が成績が伸びやすいという特性があるそうで、理にかなっているのだそうです。協調を打ち出した方が結果も良いということでしょう。

これに対して、男性は各々で目標を立てて競争し合った方が成績が伸びやすいのだそうですが、最近の様子を見ていて私が感じるところでは、競争心自体が薄れて少し女性的になってきているのでは、と思うことがあります。

先に述べたように、競争心の対象が「他人」ではなく、「自分自身」に向かう傾向になってきていますが、これはともすれば相手との関係性で変化してしまうような相対目標でなく、もっと絶対的な目標を求めているがゆえのことでもあると思います。他人との軋轢を好まず、協調性を重視する傾向によることもあるでしょう。

そうであれば、競争のさせ方にも工夫が必要であり、その工夫とは、競争はあくまで目標に向け、人に対しては協調的な事であり、最終的には「本人が納得して取り組める目標設定」ではないかと思います。これは、どこの会社でもすごくポピュラーに行われている目標管理制度(MBO)の、まさに原点ともいえます。

単に「アイツに負けるな」と言ったって、そこで「何くそっ!」という気持ちが起こっても、しょせんは負のパワーを使ったモチベーションで、短期的な効果しかありません。競争の中身を考え、「競争」と「協調」の適切なバランスを考えて行きつくのは、やっぱりずっと言われ続けてきた原理原則という部分のようです。


2013年4月23日火曜日

助成金という方法の良しあし


世の中には様々な助成金の制度があります。目的も企業支援、産業支援、労働者支援、教育支援、その他いろいろです。私の仕事上の話では、数年前に「雇用調整助成金」を受給中、申請を検討中という会社の話をよく聞きました。基本的には休業補償を補助するようなものです。

助成金というのは、決められた基準に合致して、申請書類さえ整っていれば支給されますから、特にリスクはないし積極的に活用している企業も多いでしょう。私も使えるものは使えばいいと思いますし、そんなご相談を受けたりすることもあります。

そんな中で、ある会社の社長さんがおっしゃっていたことで印象に残っていることがあります。その方は「助成金は麻薬のようなものだから、うちは使わない」とおっしゃっていました。
もちろん助成金の中身や支給のされ方(一時金か定時支給か)にもよるとは思いますが、一度そういうものをもらってしまうと、いつの間にか支給されることが当たり前になり、それが会社の収益構造の中に組み込まれてしまい、その後、助成金制度の改定や終了で支給が受けられなくなってしまった時に、会社としてどうすることもできなくなってしまう恐れがある。だからあえてもらわないということでした。

確かに助成金というのは、それで助かっている人がいる反面、悪く言えばお手当、お小遣いです。黙っていても一定額のものが入ってきます。それらがいくら事前に予告されたとしても、無くなってしまうとしたら、それに対応するというのは難しいものです。例えば「あと半年で仕送りは止めるから」と言われたとして、それに見合った収支バランスに生活を変えていくのが大変なのと同じでしょう。

企業に対しても個人に対しても、行政からの支援では、助成金という形をとるものが結構あります。支給基準や金額が議論になることもよくありますが、もう少し進めて、助成金という“毎月のお手当”のような形自体の良しあしも、支給する側、される側ともども考えてみる必要があるように思います。


2013年4月20日土曜日

「自己ベスト」を知れば目標設定がうまくいく


多くの会社では「目標管理制度」など、何らかの目標を設定して、その達成度をはかるという形での人事考課、人材育成を行っているのではないかと思います。
しかし、実際にはそれがなかなかうまく機能していないことも多く、その原因は目標設定の段階にあることがほとんどのようです。目標のレベルや難易度や取り組み内容が、あまり適切ではないということです。

例えてみると、サッカー選手に「ホームラン○本」というような分野違い、趣味のマラソンに「オリンピック出場」というような高望み、東大生に「九九をマスター」というような平易すぎるものなどがあります。
会社の中でも同じで、「○○等級だからリーダーの役割を果たさなければならない」など、制度で決められたものを画一的に適用する、「○○資格を取る」など、評価が見えやすいものを設定することなどがあります。

もちろん「役割をこなす前提での給料」ですから、それを要求されて当然ですし、目標に対して結果がはっきり見えるということも大切ですが、個人のキャラクターを考慮せずに、ただ「リーダーを目指せ」といったり、必ずしも仕事に直結しなくても、評価しやすいから「資格を取れ」といったりすることは、やはり目標として適切とは言えないと思います。
結局のところ、こういう目標設定になってしまうということは、その人の役割、到達レベル、持ち味などを、上司は把握できておらず、本人も自覚できていないということです。

そもそも目標設定する上で考えるべきなのは、いろいろな視点があったとしても、その人にとっての「自己ベスト」を目指すということだと思います。そのためには、その人の今の時点での「自己ベスト」はどこなのかを、上司と本人が共通認識する必要があります。
得点、タイム、スコアなどの明確な指標はないかもしれませんが、出来ていることと出来ていないこと、出来そうなことと出来そうもないことを、具体化が難しければ抽象的なイメージだけでも意識合わせをすると良いでしょう。

あるべき論、形骸化、高望み、簡単すぎ、おざなりの目標にならないために、「自己ベスト」を知るということは、上司にとっても本人にとっても大事な事だと思います。
「目標は自己ベスト」を意識すれば、人事考課も人材育成も目標管理も、今よりはもう少し機能するようになるのではないかと思います。


2013年4月19日金曜日

教えることが強制に・・・?


ビジネスの現場では時間に限りがありますし、経営者や管理職の方々は皆さん忙しいですから、何事にも早い答えを求めがちになります。部下や後輩が質問をしに来たら、たぶん答えを教えて疑問を解決させようとするでしょうし、「自分でやった方が早い・・・」なんて思いながらも、部下後輩にやり方を教えてやらせるということもあるでしょう。

こんな「質問に答える」「やり方を教える」という、ごく一般的に行われている普通のことでも、実は「相手に強制している」のと同じになっているということがあります。ストレートに答えを与えることによって、「自分で考えて判断する」というプロセスが省略されてしまい、“自分で決めた上での行動”にならないからです。

指示する側の立場である上司、先輩にとって、答えがわかりきったことだったりすると、「お前、それはな・・・」とついつい教えたくなりますが、強制でなくするためにはそこをぐっと我慢して、できるだけ相手に質問することを心掛け、「君だったらどうする?」「なぜそう思う?」「どんな効果がありそう?」「こんな時はどう対処する?」など、とにかく本人に考えさせるようなやり取りをします。
良いと思う考えは「そうだね!」「それいいじゃん!」と肯定し、良くないと思ったら一方的に否定せず、違う角度から質問を続けます。ある程度の答えに誘導している部分ももちろんあります。

少々手間はかかりますが、こういうプロセスを取ることで見つけた答えは、部下後輩にとっては「自分で考えて上司にも認められた行動」になり、小さな成功体験になります。またこういうプロセスを繰り返すことで、人に聞く前に自分で考えてみることが習慣づいてきます。

人を育成する上で「教える」ということが絶対に必要ですが、それが単に「答えを与える」ということになっていたとすると、逆に部下後輩の成長や自発的な行動を阻害している可能性があります。これは時間がなくて考えさせるプロセスが省略されている場合だけでなく、ものすごく面倒見の良い上司先輩が、事細かに手取り足取りの部下指導をしているような場合にも起こり得ます。

「相手が答えを見つけるのを待つ」というのは、ものすごく根気と忍耐が必要な事です。実際の現場で100%行うことは難しいかもしれません。ただ、こういう部分を少しでも意識しているのといないのとでは、部下後輩への接し方は大きく違ってきます。
まずはできる範囲から、「自力で答えを見つける」ように“仕向けて”みて頂ければと思います。