2016年1月13日水曜日

「無礼だ」と怒る人に共通して感じること



最近交流させていただいている、ある会社の元社長の方が、「年明け早々から嫌なことがあった」とおっしゃっていました。何でもご自身のお知り合いの方から、怒りのメールが届いたそうです。

その原因をうかがうと、“送った年賀状の宛名が逆さまに印刷されていた”ということだそうで、先方は「こんな失礼、無礼なことはない!」と、結構お怒りの様子だったようです。

送ってしまった側としては、「確かにこちらの不注意だし、失礼なことには間違いないし・・・」と言いますが、話を聞く周りの者としては、「そういうことをわざわざメールしてくるのですね」とか、「そんなに怒らなくてもいいのに」「普通に軽く指摘すればいいのに」といった感想でした。

私自身も、そんな「無礼だ!」というたぐいの怒りをぶつけられた経験が何度かあります。
最近ではほとんどないですし、そもそもそういうことを言う人が、身近にいなかったこともありますが、それでも口の利き方や態度といったよくあることから、会合の出席者選び、スピーチの順番、会議や宴会での席次、団体旅行の部屋割り、その他様々な場面で、「なぜ自分がその位置なのか」「私に対して失礼だ」などと苦情を言われたことがあります。

もちろんこれらのことは、ビジネスマナーとして大事なことですし、こちらの非は直さなければなりませんが、必ずしもそういう状況ばかりではありません。配慮の上で決められたことだと受け流せば済むようなこともたくさんありました。

こういう場面に遭遇したとき、私は「自分を偉い人と扱え!」というような態度に共感できず、「なぜそんなことを言うのか」と、ついつい相手の様子を冷静にながめてしまったりするのですが、そういう中で共通して感じていたことが二つあります。

一つは、自分への無礼を受け流せない人は、何らかの理由で自分の心の余裕をなくしている人が多かったということです。
仕事が順調、成果が出ている、昇進したなど、昇り調子の人からこの手のことを言われたことは一度もなく、だいたいがこの逆の状況で、何らかのストレスを抱えている人たちでした。ここには家庭の事情などが関係している場合もあると思います。

もう一つは、自分の居場所の安定が揺らいでいると思われる人でした。
転職した、役職を降りた、定年が近い、部署や上司が代わって身近な理解者がいなくなった、継続雇用の契約社員に代わったなどという人です。ここでも、家族内で孤立気味とか、地域社会になじめないなど、仕事以外の要素もあると思います。

もちろん他にも個人的な性格など、これらだけでは説明できないことが多々あると思いますが、私が感じた二つのことも、怒りの表現に関係していることは確かだと思います。

私は「他人への敬意」は常に持つべきものだと思いますが、「自分への敬意」を相手に要求することは、私自身の価値観として行いたくありません。
敬意を持たれないのは自分に問題があるということですし、過去に示されていた敬意が無くなったのだとすれば、それは地位や役職など、自分の人間性に対するものではなかったということだからです。

そんな価値観を持ち続けるためにも、自分自身の心の余裕と居場所づくりが、何よりも大事なのだと思っています。


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