2016年1月18日月曜日

「暴力に頼らない指導のその後」で感じる、“教え方を教えること”の必要性



ある新聞のスポーツ欄に「暴力頼らない指導 道半ば」という記事がありました。

それによると、中高生の部活動における体罰が把握された件数を東京都が調査した結果では、その数は年々減少しており、「暴力はダメ」という教員間の認識共有は進んでいるが、「叩かなくなった代わりに、口がきつい顧問が目につく」という話があるなど、これまで常道だった強圧的な指導で従わせる方法が否定され、その後「どうすれば・・・」と指導方法がわからなくなっている部活動指導者がいるということでした。

そんな中で、いくつかの大学では、これから教員を目指す学生に対して、「運動部活動の指導」に特化した講義を始めるところがあり、学生のうちから指導者に求められる資質や理念への理解を深めることで、暴力に頼らないスポーツ指導につなげようという動きがあるとのことでした。

 この「学校の運動部指導」を「企業の人材育成」に置き換えてみると、さすがに会社では、暴力的な指導というものはめったに聞きませんが、実は意外に似ている点があるように感じます。
それは、「自分が受けてきた指導方法を踏襲する」というところです。

指導する立場の人が「自分たちの頃は・・・」と言って、自分が受けた指導方法そのままに、未経験者をいきなり現場に放り出したり、教えないことが当然だと言って突き放したり、逆に手取り足取り細かく教えすぎて、本人の考える力を奪っていたりします。

指導している本人は、「それが自分にとって良かった」と信じているので、自分の指導方法にはまったく疑いを持っていませんし、“別の方法で”と言われても、何をしてよいのかわからなかったり、耳を貸そうとしなかったりします。

また、一部には自分がされてきた指導方法に不満があり、それを反面教師にしようという意識の人はいますが、そんな人であっても、実際の指導方法は、自分が不満に思っていたやり方と大差がなかったりします。
これらのどの場合も、指導する方法は自己流であり、その方法の選択肢や引き出しの数がとても少ないということだと思います。

こう考えると、大学の教員養成の場で始まっている動きと同じようなこと、「教え方を教えること」の必要性が、企業でも高まっているのだと思います。

こういう言い方をすると、例えば「部下指導力強化研修」とか「OJT研修」といったものを受けさせるのかというような話になりがちですが、必ずしもそういうことではありません。
私が思うのはもう少し日常の実務的なことで、例えば、「○○さんの指導方法は、どうすれば一番効果が上がるのか」ということを、指導の関わる複数の人で話し合って共有しようというようなものです。

その人の能力や性格を知らなければ、適切な指導はできませんし、複数の人で話し合えば、指導方法の選択肢は多少なりとも増やすことができるでしょう。さらに研修などで、学術的な知識や手法などを学べば、引き出しの数はもっとプラスすることができるでしょう。

他人に対する教え方は、どうしても自分が受けてきた指導方法に固執しがちになります。
効果的な人材育成のためには、「教え方を教えること」にもっと積極的に取り組む必要があるように思います。


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