2016年1月4日月曜日

議員の育児休暇の話で思う、個人と社会が折り合う大切さ



与党の国会議員の男性が、同じく国会議員である妻が2月に出産予定ということで、一緒に育児に関わりたいとして、1~2カ月間ほどの育児休暇を取得する意向なのだそうです。

国会の規則に出産休暇の規定はあるものの、育児休暇の規定はなく、男性議員が育児を理由に国会を一定期間休む例は初めてということで、身内である与党内でも賛否両論あるようですし、世間一般でも、賛成論や慎重論、否定論など、様々な意見が出されています。

私自身もいろいろな意見を目にしますが、極端な感情論のようなものでない限りは、どれもそれなりに納得できる部分があると思っています。

男性の育休取得率がなかなか伸びない現状で、「国会議員が率先して育児参加する手本となるべきだ」という賛成意見などからは、確かに率先垂範は大事だと思いますし、その一方で、議員は選挙で選ばれた国民の代表であり、雇用されているサラリーマンとはまったく異なる立場であることから、数々あがる否定的な論調も、それぞれうなずけるところです。

今回の件に限らず、会社や組織などの社会と、そこに属する個人との関係を考えるにあたって、私自身は、その間をどのような形で折り合いをつけるか、それをどうやって調整するかということに尽きると思っています。さらにそこでは、それぞれの場合によって異なる、個別の事情がかなり大きいということです。

例えば、育児休業よりももっと身近な有給休暇のことで言えば、比較的自由に取れる会社から、たった一日取るのも躊躇してしまうような会社までいろいろありますが、ここに大きく影響するのは、多くが会社側の事情です。

特に属人性が高い仕事環境の会社や、常にギリギリの人数で仕事が回っているような会社では、誰か一人が一日いないだけでも、結構大きな問題になります。そうならないような組織体制を作るのが必要なことはわかっていても、業績の問題や要員の能力的な問題などから、なかなかそれを進めることができなかったりします。

そして、そんな事情に社員の側が折り合った結果、有給休暇はあまり取らないという暗黙の雰囲気ができてしまいます。社員ばかりに負担を求める形になり、あまり好ましいことではありません。

その一方、どんなに忙しい時期であっても、「休暇は労働者の権利」とばかりに、どんどん有休消化していくような社員も見かけます。確かに法律で定められた権利ではありますが、そうやって会社側に折り合いをつけさせるばかりでは、自分のキャリアを長い目で見た時に、マイナスに働くことも多いでしょう。

今回の件で思うのは、議員の側はただ一方的に休むと言い、かたや議会の方はこれまで何の準備もしてきておらず、今になって他のいろいろな議員が、良いとか悪いとか個人的な意見を述べているだけで、お互いに何も折り合おうとしていないように見えます。(実際はそうではないのかもしれませんが・・・)

国会議員という有権者の負託を受けた立場でありながら議会に出席しないのは、投票した人への義務を果たしていないと思いますし、そう言い切ってしまうだけでは、議員である人たちの家庭人としての立場を無視することになってしまいます。

率先垂範を考えるならば、個人と社会がいかにして良い形で折り合うか、そのプロセスと結果を見せることの方が、よほど望ましいと思います。議論しながら折り合って結果を出すことが議会と議員の仕事です。本業にならえば折り合うことができるはずだと思いますが、いかがでしょうか。


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