2016年1月22日金曜日

「欲しければ自分が先に与えなければならない」ということ



これは私が独立してから経験したことで、何度も思う機会があったことです。

つい最近もあったことですが、起業したばかりの営業コンサルタントの人で、会うたびに自分の商材やサービスの関する営業の話ばかりをする人がいました。

いい人ですし、一生懸命な様子もわかっていて、私としては応援したいとも思うのですが、周りの人たちは、その一方的な営業の姿勢を見て、何となく避けるようになってしまっています。あまりにも自分の話ばかりなので、周りがそんな感じになるのも仕方がないと思います。

私自身のことを振り返ると、自分ではそこまで意識はしていませんでしたが、特に起業したての頃は、自分の都合ばかりの一方的な話をしていたことが、結構あるような気がしています。自分がこんな仕事をしているとか、こんな専門だとか、仕事を紹介してほしいとか、そんな内容の話です。
しかし、そんな話が自分に都合よく回るはずもなく、何かを自分に与えてくれるような人はいませんでした。

そんな中、ある日ちょっとしたつながりから依頼された仕事を、知人のコンサルタントに紹介したことがありました。特に見返りも考えない気軽な気持ちでしたが、どうも紹介した相手にとっては違っていたようで、その人はその後ほどなくして、私に対して別の仕事を紹介してくれました。

もちろん有り難いことなので、お礼をした時に言われたのは、「お互い様だから」という話と、「紹介がものすごく有り難かった」という話でした。
 話を聞くと、ちょうどその頃あまり仕事がなく、困り始めていた時だったようで、たまたま私が紹介したことが、本人にとってはとても大きなことだったようです。こちらの思った以上に恩義に感じてくれていたようでした。

こんなことがあってから、私自身の心がけとして、まずは相手の得になることを先にやろうと考えるようになり、自分のできる範囲で少しずつ実行するようにしていきました。そうするようになってからは、徐々にですが自分に何かを与えてくれる人が増えてきたと感じています。
これは仕事以外のことでも同じで、先に何か行動すると「前回はあなたがやったから」などと言って、次を担ってくれる人が出てきたりします。

前述の営業コンサルタントに話を戻すと、結局は自分に対するメリットを求めるだけで、相手に何かを与えることはしていません。こういう人で、いつの間にか消えて行ってしまった人を、今までたくさん見てきましたが、やはり誰からも与えられることがなく、仕事が成り立たなくなってしまったのではないかと思います。

聖書に「与えよ、さらば与えられん」と書かれているそうですが、実感としてそれが大切なことだと思います。
自分の心に余裕がない時ほど、求めるばかりで与えることができなくなってしまいます。そんな気持ちを乗り越えて、自分が何かを先に与えれば、誰かが必ずそれに応えてくれると思います。


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