2016年1月27日水曜日

「複数の人の目で確かめる」が大切だということ



個人的な話で恐縮ですが、ここ最近、いろいろなメディアで原稿を書かせていただく機会が増えてきました。文学的な才能もなく、子供っぽい文章しか書けないにもかかわらず、そのような依頼を頂けるのは、とても光栄なことだと思っています。

ただ、そんな中、少々反省しなければならないことがありました。
まったく別々の媒体で、内容も異なる記事ですが、その文章を確認していただいたご担当の方から、それぞれ文章の中に誤解を生むかもしれない表現があるので、その部分を直してほしいと指摘をされることが、二度ほど続けてあったのです。

一つは目次レベルの確認段階でのこと、もう一つは掲載前でのことだったので、実害があったということではありませんでしたが、迷惑をおかけしたことには変わりはなく、反省することしきりです。

ここで指摘されたことは、それぞれ自分としても表現の仕方をどうするか考えたり迷ったりしたところで、このくらいのニュアンスなら大丈夫だろうと自己判断をしたところでした。

自分として、何か文章を書くときに常に心掛けているのは、見えている事象だけでただ一方的に批判したり、誰かを傷つけるような文言だったり、不快な感情を抱かせてしまうような表現だったり、そういうことは絶対に避けるということです。
ただ、その自分のさじ加減では、読む人によっては十分ではなかった訳で、指摘されて初めて「なるほどそうだな」を気づいたということです。

私のように組織に属さず、個人をベースに仕事をしていると、何でも自分の考えで決めていかなければならないので、なかなか誤りを指摘していただける機会がありません。自分なりにそういう機会を求めていかなければなりませんが、そもそも意見を求めるかどうかの判断も、結局は自分が決めますし、自分だけの判断は、慣れなどに伴ってどうしても甘くなりがちです。

これが会社などの組織に属していれば、一つの仕事を他の誰の目にも触れさせずに完結させるようなことはまずあり得ませんし、よほど不正なことでも考えない限り、そんな行動はできないでしょう。

会社という組織の中では、一つの仕事を複数の人の目で確かめ合ったり、考えを述べあったりすることができます。組織で仕事をすることが当たり前になっている人にとっては、逆にそれが面倒だったり、うっとおしかったりするのかもしれませんが、そのおかげで個人の甘い判断が正されたり、誤りを見つけることができます。

「複数の人の目で確かめる」は大切なことであり、組織に属しているならば、お互いの仕事に関心を持って確認しあうことを嫌がらず、属していないならば、なおさらそれを自覚して行動しなければならないと感じた一件でした。


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