2017年9月20日水曜日

小田急の沿線火災の件で思った、「意思決定の速さ」がリスクマネジメントにつながるということ



小田急線の沿線火災が車両に延焼した事故で、いろいろな検証記事が出ています。私はいつも利用している沿線住民なので、他人ごとではないということもあり、それぞれ興味深く見ています。
そもそも沿線の火事が電車に燃え移るという事故は、未だかつて前例がないそうで、まったくの想定外だったそうです。

大ざっぱな状況は、現場で電車に火事を知らせる目的で踏切の非常ボタンが押され、システムで電車は自動停止し、その停車位置が火災現場の真横であり、そこからあらためて電車を動かすには指令本部の確認、オペレーションが必要で、運転士は現場を確認して連絡する手順になっていたが、迅速な対応ができなかったということです。

記事を読んでいると、例えば非常ボタンはあくまで「踏切支障」を知らせるものなので、その使い方が良くなかったとか、現場で警察や消防が現場でその都度口頭で指示していて混乱したとか、いろいろ理由はあったようですが、鉄道での安全確保のそもそもの発想として、何か起こったらとにかく電車を「いかに“早く”止めるか」ということと、「安全確認ができないうちは“発車させない”ということだったので、今回のように「いかに“安全な場所に”止めるか」ということと、「その場から逃れるために“すぐ発車させる”という状況は想定されていませんでした。

システム頼りということの怖さや、何か起こってから初めてわかるというのはありますが、この件についてある専門家が言っていたことで、私が印象的だったことがあります。それはシステムがどうこう言うような複雑な話ではなく、「警察や消防からの第一報が指令本部に入るルールになっていれば防げた事態ではなかったか」ということでした。
特に緊急時のコミュニケーションでは伝言ゲームを避ける工夫が必要で、それはわりと原則的なことですが、今までの手順にはそれが必要な事態の想定はなかったということです。

この手の話は会社の中でもよくあることで、例えば真っ先に知らせるべきリーダーへの連絡が遅れて対応が後手に回ってしまった、責任者に知らせずに処理しようとしたが対応しきれず問題が大きくなってしまったなどということがあります。どちらも全体状況を把握し、なおかつ現場に直接アクションできる人への伝達がされていない、もしくは遅れているということで、どちらの場合も問題は結果的に大きくなってしまいます。

今回起こったことは電車での事故ですが、運行再開には「慎重な意思決定」が優先され、それに向けた対応だけしか決められていなかったことで、結果として想定外ということになってしまいました。
似たようなことは組織のマネジメントでも起こり得ることですが、「慎重な意思決定」に慣れてしまっていると、いざという時にスピードアップすることはなかなかできなくなります。
「意思決定の速さ」は、平常時よりも緊急時やトラブル発生時により強く求められるということで、そのためにはやはり日頃から準備をしておかなければなりません。

今回の件から、「意思決定の速さ」はリスクマネジメントにもつながることで、常に意識していなければならないものだと痛感しているところです。


2017年9月18日月曜日

「正しさ」より「わかりやすさ」でリーダーを選ぶらしいことの危うさ



脳科学者として著名な中野信子氏のインタビュー記事を読んでいた中で、「本当に正しい人」より「わかりやすい人」が選ばれるという話に目が留まりました。

ある実験で4人の学生に数学の問題を解かせ、答えの選択肢の中で、最初にAさんが「これが正しい」と答えると、他の2名がそれに追随し、そのあと少ししてDさんが「こういう計算結果だから正しいのはこの答えだ」と言う形でのトライアルを繰り返していくそうですが、それを続けると、4人の中ではDさんの答えが正しく、一番数学が得意だということがわかっていきます。
そして最後に「どの人をリーダーに選ぶか」と尋ねると、正しい答えを出すDさんではなく、真っ先に自信をもって答えるAさんが選ばれるのだそうです。

これは毎回そういう結果になるそうで、中野さんは「集団の意思決定では、回りくどい正しさよりも、簡潔にみんなを納得させられるリーダーシップが重要視されるということだ」とおっしゃっていました。

こういう話を聞いてから、以前のことをいろいろ考えてみると、私も同じ経験をしたと思われることが、意外に多かったのではないかということに気づきます。語っている内容はともかく、自分の考えを一番先に述べる人が、結果的に組織のリーダーになっているということです。
これは特に経営者には多い感じがしますが、組織のリーダーだから先に自分の考えを言うということばかりではなく、先に自分の考えを言う人だから、その結果としてリーダーに選ばれた、もしくはリーダーとして認められていったということがあるのかもしれません。

ここから考えていくと、リーダーに選ばれる、もしくは認められるためには、人の意見を聞くよりは、もしくは正しいことを言うよりは、真っ先に自分の意見を言うことが重要だということになります。
今まで多くの組織を見てきて、こうやって「先に自分の意見を言うわかりやすい人」がリーダーになっているケースは、確かに多いと感じます。

ただ、この「真っ先に言う自分の意見」が“正しいリーダーシップに基づくもの”であれば問題はありませんが、私が見ている限りでは、後になってから問題を起こすリーダー、見込み違いだったと失望を買うリーダーには、どちらかといえばこのタイプの人が多いと感じます。

これはある会社で見たことですが、「自分の意見を持っていて行動力があり、リーダーシップがある」と評価されている人材をマネージャーに抜擢したところ、「自分の意見」として発信される内容が、自分の都合で周りに無理を強いるものであったり、私欲と見られても仕方がない行動があったりするなどの問題が見られるようになり、そこから部下の信頼を失い、結果としてマネージャーから外さざるを得なくなったということがありました。
マネージャーの「自分の意見」が偏っていることに気づいて、早めに処置することができたということでは良かったのでしょうが、そこに気づくことができずに、リーダーにふさわしくない人材がリーダーを務め続けているというケースは、たぶんたくさんあることでしょう。
「組織が向かう方向を示せない」「物事が決められない」など、リーダーとしての能力そのものが欠けているのは困りますが、「誤った方向に引っ張る」というリーダーも困りものですし、一見するとリーダーシップがあるように見えてしまうということでは、こちらの方が問題かもしれません。

人間の心理として、「わかりやすい人」がリーダーになりやすいことはある程度仕方がないとしても、リーダーが誤った方向に向かってしまうと、その後からの揺り戻しが大きくなります。
やはり、リーダーの発言の「正しさ」も、きちんと見極めていかなければならないということを痛感します。


2017年9月15日金曜日

「人の好き嫌い」という感情で仕事が左右されている自覚はあるか



誰にでも人の相性はあり、得意な人や好きな人、苦手な人に嫌いな人はいると思います。
私自身のことで言えば、鈍感なところがあるのか善意の解釈ができるのか、幸い決定的に嫌いというような人に出会うことはめったにありません。

私の場合は、一方的に自分の都合を押し付ける人、強引な人、上から偉そうな態度で接してくる人が嫌ですが、そういう人があまり周りに寄ってこないのは、私があまり言うことを聞かなさそうに見えるのか、それとも生意気そうに見えるのか、その理由はよくわかりませんが、そういう人たちが近づきにくい何かしらの雰囲気があるようです。これは自分にとっては都合が良いことなので、これはこれで良しとしています。

人事の仕事をしていると、この「人の好き嫌い」という話には、意外によく遭遇します。仕事上での「人の好き嫌い」というのは、建前で言えば「大人であれば、それは仕事として理性的に振る舞うことが当たり前」となりますが、いくら理性などと言っても実際にはそう簡単ではありません。会社の公式な人員配置や職務分担でも、人間関係の要素として「人の好き嫌い」を配慮することがあるくらいですから、建前だけではどうしようもない部分です。それぞれの人の感情は簡単に変えられるものではありません。

よく「苦手な人と仕事をしていくためにはどうすれば良いのか」などと質問されることがありますが、これについては建前と同じような答えをするしかなく、「嫌いなものを好きになることは難しいので、無理に感情を変えようとせず、理性的に仕事上で必要なコミュニケーションをとっていくこと」しかありません。

ただ、私が今までの経験でよくあったのは、他人から見ると感情的に嫌っている様子が態度や言動からも明らかにわかってしまうにもかかわらず、本人はすこぶる理性的に振る舞っていると思っている場合が多いということです。

これはずいぶん前にあったことですが、ある会社の一部署での席替えを検討していたとき、一人の社員が「○○さんが近くにいると目障りで仕事がはかどらないので、自分の視野に入らない場所の席にしてほしい」と真顔で言ってきました。
こちらは「そんな個人の感情だけの大人げない一方的な話には配慮しない」と突っぱねましたが、その社員は「なんでこんな当然なことをわからないのか」と言わんばかりに、明らかに納得できない不満そうな顔をしています。

その時はあえて説明せずに押さえつけましたが、その社員の態度を後からよく考えてみたときに、たぶん本人は自分の仕事に悪影響があるということを、あくまで理性的、論理的に話したつもりだったのではないかということです。私は「目障り」などと言ってくること自体、感情まかせの歪んだ態度と思いましたが、社員にはそれが感情的などと言う自覚はまったくなかったのではないでしょうか。

このように、自分自身の考え方が理性的なものなのか、それとも感情から出たものなのかを自覚するのは、なかなか難しいことのようです。本人は理性的で妥当な判断と思っていることが、実は感情主導だったということはままあります。好きな同僚や部下を自分の配下にまとめていたり、逆に苦手な同僚や部下とはコミュニケーションが少なかったり自分から遠ざけていたりして、その理由をいかにも合理的、理性的だと説明しますが、私が経験した「目障りで仕事の能率が落ちる」といったレベルの話だったりします。

私は人の好き嫌いがあることも、それで感情に左右されることがあるのも仕方がないと思っています。ただ、その感情をいかにも理性的だと言って覆い隠すことは感心しません。
理性も感情も、自覚する努力をしなければ、その偏りはどんどん大きくなります。そしてあまりにも感情に偏っているとみられると、その人は仕事の上での信用を失います。感情に左右されすぎていないかを自覚することは、難しいことですが大切です。