2018年12月13日木曜日

行列店の店主がいう「得する客」と、ビジネスでの態度の共通点


「行列日本一」と言われ、予約を取らないことで有名な焼肉店の話を読みました。
予約を取らない理由は、以前に店主ご自身が行ったことがあるお店がそのスタイルをとっていて、「予約しても時間通りに来ないし、だいたい1、2人が遅れてきて時間通りに揃わないから、予約のために前から席を遊ばせておくのがもったいない」ということだったそうで、自分もいつか人気店になることができたらそうしようと思っていたそうです。
芸能人や政治家であっても行列に並んでもらうそうで、それでも通ってくる著名人がたくさんいるそうです。

店主がおっしゃるには、「最近の芸能人は昔と比べて気取っておらず、逆に一般のお客さんより総じて腰が低くて、気取らないのはいいことだと思う」「昔からそうだが、偉そうな客はダメ。飲食店で知ったかぶりしてもいいことはない」とのことです。
「芸能人は昔から変わらず食通が多くて食べ上手」だそうで、「食べるのが下手な人には、どうせわからないと思っていい物は出さない」「食通はいろんな意味で得をしている」と言っていました。
私自身も食べることが好きでいろいろな店にお邪魔しますが、お店の言いなりにしていた方が、おいしいものが食べられるのは間違いありません。
ごくたまに、調理のしかたや素材のことで、ああだこうだと注文を付けているお客を見かけることがありますが、この店主が言う通り、そういう振る舞いは損をしていると思います。

ここで目に留まったのは「気取らない」「腰が低い」「偉そうでない」「知ったかぶりをしない」ということです。ここでの「気取らない」はたぶん「上から目線でない」「お高くとまっていない」という感じですし、「知ったかぶり」は偉そうな態度の一種だと思うので、どちらも「腰が低い」「偉そうでない」に重なるニュアンスでしょう。

私は飲食店に限らず、「威張る」「高飛車」「偉そう」といった態度は、ビジネスの世界でも必ずその人が損をすると思っています。相手からそう思われてしまうと、前述の店主が「どうせわからないから、いい物は出さない」というのと同じように、本当に最高のものは提供してもらえなくなるからです。それが「金額」なのか、それとも「品質」や「納期」、その他の「サービス」なのか、何が該当するかはその時によって違うでしょう。

私の知人で、自称「交渉上手」という人がいます。ビジネスの中で、何でも相見積、値引き要求、その他一方的な要件で交渉を仕掛け、その態度も威圧的なことが多々あります。
そうやってバトルした結果、本人は「値引きさせた」「安くなった」と言って、うまくいっている感覚のようですが、一方で、その知人と継続的な取引や付き合いをしている相手はほとんどいません。交渉といってもWin-Winの関係にならない一方的なものが多いので、周りの人たちはすぐに離れて行ってしまいます。たぶん本当に良いものや最高の条件を手にすることは、できていないのではないでしょうか。

先の店主の話に戻って、「最近の芸能人は昔と比べて気取っていない」というフレーズがありましたが、これも「そういう人柄だから売れる」と言えるのでしょうし、特に最近はそういう部分が重視されるようになってきたのかもしれません。

やっぱり、威張って偉そうにしていても良いことはありません。また、そういうことほど、本人は気づいていないものです。今一度、自分自身の態度も振り返ってみなければなりません。


2018年12月10日月曜日

「特別」でない会社はないが、「原理原則」が当てはまらない会社もない


人事や組織の支援をしていると、主に社長や役員、管理職の方からこんなことを言われることがあります。「うちの会社、業界、職種は“特別だから”」ということです。

確かに会社の特徴は10社あれば10通り、どんな会社もみんな特別です。似ている会社はあっても、まったく同じにはなりません。特別でない会社があるとすれば、それは「何も特徴がない会社」となりますが、そんな会社はあるはずがないでしょう。
謙遜や少し卑下するニュアンスを含んで、「うちは特徴がない会社」と言われることはありますが、それは商品やサービスの競争力などの面からそう言っているだけで、良いことも良くないことも、何かしらの特徴はどんな会社にもあります。社風も組織の成り立ちもみんな違いますから、「特別」でない会社はありません。
そういう意味では「うちは特別だから」というのは、間違いありません。

ただ、「特別だから」と言われる場面の多くは、例えば一般論であったり、他社との比較であったり事例であったり、そこで示されたものを、自分たちの会社に受け入れられない、もしくは受け入れたくないと思った時です。「うちの仕事は特別」「うちの業界は特別」「うちの会社は特別」といい、だから「その事例は当てはまらない」「うちには合わない」「それはできない」となります。
確かに事例や一般論を鵜呑みにしてもうまくいくはずがなく、「合わない」「当てはまらない」が正しい面もあります。他の会社でうまくいったから、効果があったからといって真似をして、結果的に大失敗という会社は、私もたくさん見てきました。

特に人事や組織作りの中での一般論は、「これが絶対」というものはそれほど多くありません。ある会社の成功事例をそのまま持ちこんでも、同じような成功を得られるとは限りません。
しかし、人事・組織の世界でいわれる一般論や事例のほとんどは、「必ずうまくいくとは限らないが、その考え方に沿ってやれば、7割くらいの確率で効果がある」というもので、わたしはこれを一種の「原理原則」と捉えています。「セオリー(定石)」と言い換えても良いかもしれません。

例えば、スポーツの世界であれば、人によって体格も体力も性格も違いますが、早く走ろう、遠くまで投げよう、高く飛ぼうなどと思ったとき、そのやり方には一定の原理原則があります。「こうやった方がおおむね効率が良い」「目標に到達できる確率が高い」というセオリーです。
早く走るために、後ろ向きや四つんばいで走る人はいません。競技のルールが変わったり、道具が進化したりする中では、セオリーも変わっていきますが、ある一定のより良い方法、すなわち「原理原則」は必ず存在します。

同じように、人事や組織作りの中でも、この「原理原則」「セオリー」があります。環境が違っても、その考え方に則った施策をとれば、良い方向に向く確率が高い、マイナスの働くリスクが低いというものです。その中には業界や業種、職種にかかわらず当てはまるような普遍的なものもあります。
どんな業態、業種でも、働いているのは人間ですから、認められて褒められればうれしいですし、その方がやる気が出ます。理不尽な強制や不公平な扱いがプラスに作用することはありません。認められて悲しい人や、不公平がうれしい人はどんな特別な会社であっても存在しないでしょう。

このように、「特別」でない会社はない一方で、「原理原則」が当てはまらない会社もありません。
一般論と言われるものは、当てはまるケースが多いなど、それが一般化された理由があります。自分たちが「特別だ」というのは、そこから目を背ける理由にはなりません。
「できない」「合わない」と安易に拒否せず、まずは一般論の「原理原則」を受け入れて見て、それを基本に自社なりのアレンジを加えていくことが、人事・組織の改革には早道だと思います。


2018年12月6日木曜日

古い物でも残し続ければ価値をうむ


少し前ですが、資生堂が歌舞伎俳優などが使う伝統的な舞台用化粧品を、「売上が限られている」との理由で生産終了の発表をしたところ、多くの著名な役者たちから「品質の良さ」や「代用品がない」などと撤回を求める多くの声が挙がり、その結果、資生堂は「伝統文化をしっかり支援する」との言葉とともに早々に生産終了の撤回を発表したという話題がありました。多くの舞台関係者が胸をなでおろし、資生堂の決断に感謝の言葉を述べていました。

たぶん商品の売上は微々たるものだったと思われ、そんな状況からは「もう生産を止めても影響はない」と判断してのことだったと思いますが、思った以上の反響と、商品が無くなることの影響の大きさに気づき、すぐに撤回したのでしょう。
会社がすぐ判断をしたのは素晴らしいと思いますし、売上だけではわからないその商品の価値の大きさを、あらためて理解したのだと思います。

また、こちらは最近のことですが、ポケベルのサービスが終了されるという話題がありました。
「今でもまだあったのか」という感じですが、新規受付は5年ほど前からすでに中止されており、現在の契約者は1500人を割っていて、ほとんどが医療関係者とのことでした。
ただ、こちらは同じ電波を利用した防災無線や防災ラジオに事業はシフトしているそうで、ポケベルから携帯電話に移り変わって、文字通信はあっという間に音声通信に取って代わられてしまいましたが、防災となると文字通信の優位さがあるそうです。
サービスは終了しますが、いままでやり続けていたことのノウハウが、これからも活かせるということで、古いサービスや技術でも、しっかり価値を見出していたのだろうと思います。

浅草の道路沿いで、お祭りのおみこしの製造販売をしているというお店がありました。たぶん限られた一部の人しか利用しないと思います。
でも、同業者は日本中でもそれほど多くないでしょうし、必要とする人はどこかに必ずいるはずで、そのニーズがまったくなくなることはありません。ある時期には淘汰されて同業者が減っていったことはあるでしょうが、それを乗り越えて生き残ると、今度は絶対に欠かせない存在になります。

IT会社で聞いたのは、非常に古いレガシーなシステムが今でも利用されており、一方でそれに対応できる技術者はどんどん減っていますが、いずれなくなると考えれば若手技術者に習得させるものでもなく、定年を過ぎた高年齢の技術者に対応してもらっているそうです。
ITのように進歩が速い世界でも、やはり古い物はどこかに残っていて、その対応が必要になっています。利用者側も単に予算などの問題だけでなく、使い勝手が良いなどと評価して、あえて古いシステムを好んで使っていることがあります。

最近のカフェやファミレスは、セルフサービスのところが多いですが、かつてどんどん減っていた昔ながらのフルサービスの喫茶店は、座席がゆったりしていて落ち着けるなどと言われ、あらためて注目されているそうです。年齢の高い人が昔のスタイルを好むことや、若い人でも用途に応じて使い分けるので、古いと言われたスタイルがまた受け入れられています。

古い物が、それを知らない世代には新しいものとして、あらためて受け入れられることがあります。自分たちにとっては原点回帰だったことが、周りからは新しい取り組みと見られたりします。

このように、古いと言われて淘汰されていったものでも、最後まで残し続けると、その価値を失われないばかりか、逆に輝きを増すようなことが数多くあります。古い物と新しい物との融合で、それまでとは違う新しい価値を生むこともあります。

古い物でも、それを残し続ければまた価値を生むことがあります。新しい物へ目を向けるのと同じように、古い物にも目を向けていくと、同じく新しい物が見えてくるかもしれません。