2019年5月30日木曜日

「弱い人」には「強い人」が増えているのか


川崎市で、また多くの子供たちが巻き込まれる通り魔事件が起こってしまいました。亡くなった方々や周囲の方々の気持ちに思いをはせると、本当に憤りしかありません。

また、これは私が思い込んでいるだけかもしれませんが、最近起こる事件では、女性、子供、お年寄り、障害者といった「弱い人」が被害者になることが多いと感じています。殺人や傷害のような凶悪犯罪や性犯罪、詐欺、暴力や体罰といった事件での被害者は、多くがそうではないでしょうか。
「弱い人」をだましたり、傷つけたり、食い物にしたりというのは、本当に卑怯で許せません。

こんな犯罪の話とは大きく次元が違いますが、いろいろな会社を見ている中で、これらの話と少し共通するのではないかと気になっていることがあります。それは、自分よりも「強い人」には従順だったり、無抵抗だったり、ときには媚びを売っていたりするのに、力関係で自分より下になるような「弱い人」に対しては、強い態度で横柄とも見える振る舞いをする人が、増えているように感じることです。

もちろんそういう人は昔からいますが、例えば、典型的な「強い人」の上司は、自分の上に対しても同じように強く接している様子を、かつてはよく目にしました。要は相手が強かろうが弱かろうが、本人の態度は一貫しているわけですが、そんなタイプの「強い人」を、最近見かけることがほとんどありません。

誰に対しても態度が一貫している人は大勢いますが、それは「強い人」というよりは、穏やかで、分け隔てをしない「フラットな人」です。こちらの比率が圧倒的に多いですが、それとは反対に、相手によって態度を変えるような人を見かけることも増えた気がします。自分よりも「強い人」と「弱い人」をはっきり区別しているのです。誰にでもフラットな人と、力関係で区別する人が、それぞれに二極化しているように思います。

ここでどういうことが起こっているかというと、特にリーダーがメンバーに接する姿勢の違いです。
最近の傾向として、民主的、合議制という考え方を原則にして、できるだけメンバーの納得を得ようと、丁寧に説明し、意見を聞くリーダーが増えています。これも時代の傾向だと思いますが、問答無用で「黙って俺についてこい」的な人は少ないです。
トラブル対応のようなピンチの時では、決断の速さが要求されるので、トップダウンの強いリーダーシップが必要になりますが、そんなときには物足りなさを感じることもあります。良くも悪くもナイーブです。

その一方、相手によって態度を変えるリーダーは、上司に対してはほとんど反論することもなく従順ですが、相手の方が下、もしくは弱いと見ると、態度が一方的なものになります。メンバーに、「会社の意向だから」「上司の命令だから」などといって、割と一方的に指示命令を出します。一言で言えば、権威を盾にしたリーダーです。

ただ、私はこれも時代の傾向としては共通していると思っています。こういう対応をする人の方が、自分に自信がなく、性格もリーダー的ではありません。そもそも上下関係に敏感な人は、周囲の人間関係をよく見ていて、周りの空気を読んでいます。フラットに接するリーダーよりも、さらにナイーブなことが多いです。
そういう人がリーダーとなったとき、その拠り所が「権威」となってしまうことがあります。権威を使うために、相手との上下関係に敏感になり、上には従順、下には強引というそれぞれへの態度が、無意識でも増幅されているのではないでしょうか。

自分より「弱い人」には「強い人」のように、相手と自分との力関係によって態度を変える人は、「強い」「弱い」で相手を区別しないフラットの人と、実は根本のところでは似ているように思います。少なくとも「相手をよく見て」「空気を読んで」という点は同じです。それぞれが考えているベースは似ているのに、そこから先の行動が違うことは、誰でも正反対に転換してしまう可能性があるということです。

クレイマーやハラスメントの問題もそうですが、「弱い人」には「強い人」が増えていないかと、私はとても気になります。
そんな世の中は、やっぱりあまりうれしくありません。

2019年5月27日月曜日

「自分が上だ」と思うとハラスメントが起こりやすいという話


ある調査で、自治体病院の看護職員の4割の人がパワハラを、2割がセクハラを受けた経験があるとする調査結果が公表されました。
「上司から受けた」が最多で56%。次いで「医師から」が32%、「同僚から」が13%と続き、「患者、患者の家族から」は合わせて14%でした。
7割以上は仕事にやりがいを感じていると答えた一方、8割近くが「仕事を辞めたい」と答え、最も多い理由は「人員不足で仕事がきつい」とのことでした。
つらさの中には、ハラスメントの問題が大きく影響しているように思われます。

セクハラ、パワハラ、その他ハラスメントと言われるものは、最近事例を増やしてしています。些細なことでもハラスメントだと指摘されて、納得できないという声も聴きます。
ハラスメントというのは、相手の感じ方の問題なので、行為を指摘された側が「納得できない」というのも仕方がない面はありますが、それが「いけないこと」というのは、きちんと理解しなければなりません。

この「ハラスメント」が起こる背景として、それを引き起こす前提となるのは、お互いの間に「上下関係があること」だといいます。
最近は、部下から上司へのハラスメントがあるといいますから、単純な見た目だけではわからないこともありますが、「お互いの力関係の差」がハラスメントの要因であるのは確かです。

前述の調査結果であれば、「看護師が下」と見ている患者や医師がいるということであり、さらに最近の状況からすれば、無条件に「部下を下」と見ている上司や、「店員や業者を下」と見ている消費者や発注者が大勢いるということになります。

「ハラスメント」については、多くの会社で問題意識が高まり、その防止のために様々な対策が行われていたりしますが、この「上下関係」のような認識が原因だとすれば、考えなければならないことがたくさんあります。
一方的な優越感や相手を見下すような意識を抑えなければなりませんが、そうなってしまった理由を考えなければなりません。

サービス業の中であれば、やはり過剰といってもよいサービス提供があって、それを顧客が勘違いしてしまったことがあるでしょうし、企業の中のことであれば、そもそも上昇志向をあおって、上下関係で上に立つことをインセンティブとしてきたところがあります。
会社に限らず、いま構成されている組織の多くは、その中に必ず上下関係を含んでいますから、ほぼすべての組織が、ハラスメントを誘発する土壌を持っているといえます。

ここからすれば、世の中で起こる様々なハラスメントを防ぐには、過度な「上下関係」に陥ることを避けるという方法が重要になります。「偉い」「偉くない」「強い」「弱い」といった関係が助長されるほど、ハラスメントが起こりやすい環境になります。

一定の上下関係や、上下のケジメは、私は必要だと思いますが、その考え方がどこかでハラスメントにつながっているかもしれないことは、認識しなければなりません。
上下関係や力関係だけで相手を動かそうとしても、それは難しい環境になってきています。

2019年5月23日木曜日

自分の都合で「相手の選択」は変えられない


最近よく聞く話題で、御朱印ブームによるトラブルがあります。
御朱印は、参拝の証しとして一人一人に手書きの書で頂けるそうですが、そのために時間がかかることに対して「早く書け」「遅い」などと苦情を言ったり、神職や巫女さんに暴言を吐いたりする者がいるそうです。
また、スタンプラリーの感覚なのか、一方的に御朱印帳を神社に送り付けて返送を要求してきたり、高額で転売したりする例もあり、頒布をやめた神社もあると聞きます。

ある神職の方は、「初穂料は頂いているが、一人一人とお話をしながら、心を込めて一つ一つ丁寧に書いているのに、罵声を浴びせられてまで書く必要はないと思ってやめた」と言っていました。
明らかに御朱印をもらう側の人が、自分の都合だけを一方的に押しつけて相手を責めていることで、マナーが悪化しています。

この御朱印の話からは外れますが、一方的な自分の都合という話で、以前こんな話を聞きました。
ある大手企業に勤める部長ですが、知人のお子さんがその会社に就職を希望していて、縁故での紹介を頼まれたそうです。
紹介とはいっても、何か採用結果に影響を及ぼせるはずもなく、ただ人事部に書類を渡すくらいしかできません。そもそも大手企業は、縁故や紹介などでつながりがある応募者でも、採用を厳格に行うための応募手続きなどが、きちんと決められていることがほとんどで、社長であっても権限がない会社もあるくらいですから、頼まれた人ができることはほとんどありません。

しかし、この部長に対して、応募者の親である知人は、遠回しな物言いですが「親身でない」「冷たい」「もっと面倒を見てくれてもいいではないか」などと言ってきたそうです。そこまで深い付き合いの知人ではなかったそうですが、その一方的な苦情に「そもそもこちらには紹介するメリットは何もないし、たいした付き合いでもない人からあれこれ言われるのは不快だ」と憤慨していました。
これも、自分の都合だけで一方的に相手を責めています。

私は企業の中で、様々な人事に関わる施策を、その企業の人たちと一緒に考えますが、必ず意識するのは「会社と社員の両方にメリットがあるか」「お互いがWin-Winになれるか」ということです。
人事施策というのは、往々にして会社の都合で一方的な話になりがちですが、社員にとっては、自分たちにメリットがなければ、前向きに行動することはありません。

人事制度などの運用が形骸化している会社は数多くありますが、それは人事制度が社員にとって「ただ面倒な手続き」になっているからです。「評価されれば報酬が上がる」は確かにメリットですが、そのメリットは享受できる人とできない人がいて、制度運用のしかたとは直接リンクしないので、形骸化は防げません。
それよりは、「マネジメントがしやすくなる」とか「コミュニケーションが取りやすくなる」とか、真面目に運用した方が報われる仕組みでなければうまくいきません。
「賞与一律減額」などというのは、社員にとってはデメリットしかありませんが、少しでも納得してもらうには、その背景にある業績回復や雇用維持といったことを、社員にもメリットと捉えてもらえるように説明するしかありません。

そういうことを抜きにして、一方的な上意下達の指示命令で、会社や自分の意図に沿った行動を求める経営者や管理者は大勢いますが、社員はそれで表面上は従っているように見えても、本質的なところでは違います。

心理学に「選択理論」という考え方があって、「すべての行動は自らの選択である」とされ、行動は「自分がその時に最善だと思ったものが選択された結果」だと考えられています。
ただ「命令に従った」のではなく、「命令に従うことをその人が選択した」のであり、それが最善の選択でなくなれば、その人は命令に従わなくなります。最善となるようにメリットを提示し続ける必要があり、メリットが片方にしか存在しなければ、その状態を続けるのは難しくなります。

一方的な自分の都合でねじ伏せようとするような態度は、決して長続きしません。また、相手の選択は威圧、罵倒、強制、命令などでは変えられません。
どんなことでも「相互メリット」「Win-Win」を考えることが、特に最近は必要になっている感じがします。