2023年7月31日月曜日

「定年なりたて」の人たちの働き方を聞いて

 私自身は会社員ではないので、「定年」はまったく関係ありませんが、身近な同世代の人たちが「定年」を迎えるようになり、現状の働き方や境遇の話を聞くことが増えました。

 

まず、そのままスッパリ退職したという人は、私の知人の中にはまだ一人もいません。

会社にそのまま残って再雇用という人が一番多いですが、ほとんどの場合で給料は大きく下がります。

 

ある技術職の人は、会社の再雇用制度を使うとびっくりするくらい低賃金だそうで、いろいろ話し合った結果、業務委託契約に切り替えて仕事をすることにしたそうです。65歳まで働ける保証はなくなりますが、まぁどうにかなるだろうとのことでした。

 

別の人で、結構な技術と経験を要する職種の人は、自分しかできない仕事がまだいろいろあるそうで、定年と言っても仕事内容はまったく同じで、かえって忙しくなっているそうです。にもかかわらず給料だけは下がっていて、結構不満を言っていました。スケジュールと経費使用はわりと自由で任されているので、多少は仕方がないかなとも言っていました。

 

定年の数年前に転職した人がいて、やっぱり給料は安くなり、その代わり仕事内容はずいぶん楽になったそうです。本人は「あんまり期待もされないおまけみたいな仕事」と言っていますが、数字など気にしなくいいのは気楽だとも言っていました。

 

ごく少数ですが、定年になっても一切何も変わらないという人もいました。

ある人は、とにかく全国に出張が多く、それは定年になっても何も変わらず、さすがに体力的にきつくなってきているので、出張だけは減らしてほしいなどと言っていました。

 

ついでに自分のことを言えば、今のところはこれまでのように変わらず仕事をしています。契約がなくなれば仕事はなくなりますが、これは今に始まったことではありません。まだ当分は仕事をするつもりなので、とにかく依頼された仕事で確実に成果をあげていくしかできることはありません。すべては自分次第なので、不満という感覚は一切ありません。

 

こうやって周りのリアルな話を聞くようになると、今まで意識が向いていなかったことに気づくようになります。

思ったのは、「働く能力が結構無駄にされているのではないか」ということです。

同じ仕事で給料だけ下がれば、当然やる気は失われるのでパフォーマンスは上がりにくくなります。

働く気がある人やその能力がある人から、一律に仕事を取り上げているようなところがありますが、それでは立ち行かない現場を目にします。結果として、仕事内容は今までのままやってもらいたいが、会社の制度上で給料だけは下がるという現象になっています。

 

「定年」というのは、その人の仕事能力や希望とはリンクせず、60歳という一律の年令を基準にして、みんな一律にご隠居扱いする仕組みです。この一律の中には、活かせるものを無駄にしていることが結構ある感じがします。

 

今の人手不足の環境下で、シニアを活かそうとする企業は増えている感じがしますが、まだ全体の大きな流れとまでは言えません。また、同世代から見ても、扱いが面倒くさそうなシニアがいることも事実です。定年で区切りがついて、周りがほっとするようなこともあるのかもしれません。一方では、元気で若々しく、能力も高く、謙虚な人も大勢います。本当に人それぞれです。

 

いろいろ話を聞く中で、「定年」という仕組み自体が、そろそろ時代背景に合わなくなってきているのかもしれないと感じています。

 

 

2023年7月24日月曜日

「心理的安全性」に関する勘違いいろいろ

 「心理的安全性」とは、自分の言動や行動による他人の反応から怖さや恥ずかしさを感じることなく、人間関係が壊れたり罰を受けたりする心配もなく、誰もが安心して活動できるような職場環境やチームの状態をいいます。

大手IT企業のGoogle社が、チームの成功や生産性向上に役立つという調査結果を発表したことから注目されるようになった心理学用語ですが、最近はわりと一般的にも認知されるようになってきた言葉ではないでしょうか。

しかし、言葉が定着してきたことによって、その理解の仕方に勘違いや誤解が見受けられる場面が増えてきた気がしています。

 

つい最近目にした記事ですが、ある会社のマネージャーからの相談で、自分の部下から「マネージャーは心理的安全性がある環境を作っていない」と責められていて、いろいろ取り組んでいるが批判はおさまらず、どうすれば良いだろうかという内容でした。

しかし、そもそも「心理的安全性」というのは、関係しているすべての人が、お互いに自己開示をしながら、徐々に作り上げていくものであり、誰かが一方的に環境を作ることはできません。こういう発言をしてマネージャーを責める部下自身が、チームの心理的安全性を阻害しているとも言え、そこには本来の意味に対する勘違いがあります。

マネージャーやチームの中心人物が、率先して自己開示をしていく必要はありますが、部下にも自分が一緒になって作り上げていくものという認識がなければ、心理的安全性は生まれません。

 

また、最近よく聞くのは、「心理的安全性」が、仕事上の甘えや緩みを生むのではないかという話です。仲良しグループの甘い環境では、ミスを気にしなくなったり、責任感が失われたりするのではないかという懸念が言われます。

しかし、こちらも大きな誤解であり、「心理的安全性」は、ただ楽で居心地が良い職場環境ではありません。心理的安全性があるからこそ、お互いに言いにくいことが言い合える環境になり、報告、連絡、相談、提案、ミスや誤りの指摘などのコミュニケーションが活発に行われるようになります。相手と意見が違っても、対立を恐れずに自分の考えを伝えることができるなど、お互いが本音で率直に話し合うことができ、その結果として、成果や生産性向上につながるものとされます。

ある意味では厳しい仕事環境ということもでき、もしもメンバーの緊張感が失われていたり、居心地の良すぎて馴れ合いになっていたり、生産性が低下していたりするのであれば、それは心理的安全性が高い環境ということはできません。

 

「心理的安全性」という言葉が浸透するにつれて、ただお互いにやさしい言葉ばかりをかけ合い、誰も厳しいことを言わず、明るく楽しく穏やかな職場であれば、心理的安全性が高いと思う人が増えている気がしますが、心理的安全性の本質はそうではありません。

無用な忖度、遠慮、委縮などをせず、自分が本音で周りの人に接することができるような環境が、心理的安全性の高さです。

 

そもそも、他人にそれを要求したり、相手を疑ったりしている時点で、それは心理的安全性にはつながらないことに気づかなければなりません。

 

 

2023年7月10日月曜日

「従わせる」より「したくなるように仕向ける」

 マイナンバーカードに関する様々なトラブルが批判されています。

デジタル化の推進自体に反対する人はそんなに多くはないはずで、今回の問題は、その進め方に関する稚拙さや強引さといったことに原因があると思います。

 

情報をアナログからデジタルに変換する際には、多くの場合で何らかの入力作業が必要になるはずで、必ずそこがミス発生のポイントとなります。

ミスをゼロにすることはできませんが、減らすためのシステム上の措置や期間的な余裕を見込むのが一般的ですが、「デジタル化を進めるためにカードを普及させる」という手段が目的化していて、ミス発生への考慮や制度設計そのもののあいまいさから、いろいろ無理が生じているように見えます。

 

中でも私が気になったのは、定期的な通院の際に「マイナンバーカードの提示がないと、今月から自己負担金が余分にかかるようになる」と言われた時です。でも従来の保険証と両方提示しなければならないそうです。こちらに降りかかるのは負担金が増えるというデメリットだけで、良くなることは当面何もありません。

このやり方は、利用者の利便性を向上させるのではなく「使わないと損になるぞ」という脅しによって「従わせる」という発想です。トラブルなく使える環境が整っていないにもかかわらずです。

強制されることが大嫌いな私は、利便性が確立されて普通に使えるようになるまで、このカードは絶対持ち歩かないと心に決めました。

 

私自身、マイナンバーカードは発行開始当初から持っていて、理由は自営業なので確定申告が楽になると期待してのことでした。ただ、当初はパソコン用のカードリーダーを自分で買わなければならないとか、添付書類は結局郵送しなければならないとか、いろいろ面倒なので使わずに放置している状態でした。

実際に使うようになったのはここ数年のことで、確定申告で書類添付が不要になったり、各種証明書のコンビニ発行ができたり、ついでにコロナ禍で様々な給付金の手続きが便利だったりするなど、いろいろ制度が整ってきて利便性が増したと感じられるようになったからです。「使おうと思えるような環境が整った」という理由が大きく、使いたくなるように「仕向けられた」と思います。これが今起こっている問題に対する対応とは、根本的に違っているところです。

 

企業の中でも、指示命令によって「従わせる」という風土が強い会社に出会うことがあります。

一見すると判断が早く、その後もスピード感を持って進められるように思えますが、実際には社員がそもそもの意図を理解、納得できていないために、動きが鈍かったりミスやトラブルが多かったりします。そういう会社では、社員が自分で考える姿勢が薄く、自律的な考え方をする社員は居心地が悪いため定着していなかったりします。

 

一方、社員が「したくなるように仕向ける」ということに長けている会社があります。それぞれの社員から意見を聴いたり、話し合いの機会を作ったり、社員にとって何らかのインセンティブを設けたり、やる内容は様々ですが、その目的は「自分がそうすると決めた」と思わせることです。そういうプロセスを踏むことで、それぞれの社員が自律的で前向きに行動するようになります。

 

心理学の中に、すべての行動は自らの選択であり、その時の自分にとって最善と思われる行動を選択しており、行動を決めるのは自分だけなので、相手の行動を直接変えることはできないとする「選択理論」という考え方があります。

すべての場面で応用することは難しいかもしれませんが、この考え方に基づけば、圧力や威嚇、脅しなどで「従わせる」より、その選択を「したくなるように仕向ける」ということが重要になります。

このことを理解していれば、マイナンバーカードのトラブルもずいぶん軽減されていたのではないでしょうか。

 

 

2023年7月3日月曜日

任せられない?任せてくれない?

 ある会社でこんなことがありました。

多くの会社と同じく、次世代人材の育成が課題になっています。「候補者がいない」「成長が遅い」など、いろいろ理由が出てきますが、私から見るともう一つ上のレベルの仕事をやらせていないように見えます。

能力よりも少し上の仕事を経験させて、力量をストレッチしていく取り組みを続けなければ人材は育ちませんが、あまり権限委譲に積極的でない人たちが多いように感じます。

そのことを指摘すると、みんな「必要なことはわかっているのですが…」と考え込み、「でもまだ任せるのは早く感じる」「任せられない」といいます。でも自分たちの感覚よりはもう一歩進めて、「仕事を任せること」を意識していかなければ、人材は決して育ちません。

 

別の会社で、これとは反対の出来事がありました。

ある社員が、面談の中で「上司が自分に仕事を任せてくれない」といいます。自分でもできると思う顧客との商談や交渉などを、最後は上司がまとめる形になることが多く、「信用されていない」と感じてしまうそうです。ただ、本人の経験年数や性格、顧客とのかかわり度合いといったことを聞いていると、その状況に合わせて適切に任されているように思えます。本人の自己評価が少し過大なのか、それとも任されていないと感じてしまう何かがあるのか、詳しいことまではわかりません。

 

この「任せられない」と「任せてくれない」のせめぎあいは、多くの会社で見かけます。

本人が仕事を「任せてほしい」と思う気持ちは好ましいことであり、その気持ちをできるだけ満たしてあげることが良いとは思います。

その一方、過剰な負荷にならないようにフォローすることも当然必要で、どこまで任せてどこからフォローするかという線引きには難しさがあります。この点は上司の判断基準次第で、大胆な人も慎重な人もおり、一応できるだけ権限委譲を進めるべきという一般論はありますが、適正な判断基準を一概にいうことはできません。そのさじ加減が本人の気持ちと違っていると、場合によっては「任せてくれない」と感じてしまう可能性はあります。

 

「任せられない」と「任せてくれない」の対立を解決するには、結局は当事者の上司と部下が、お互いによく話し合って、お互いが歩み寄りながら対応していくしかありません。

任せてほしいという気持ちは大切ですが、任せられないことには「まだ早い」「まだ無理」など、何か必ず理由があります。任せてほしければこの上司の懸念を払しょくして、「任せても良い」「任せてみよう」と思わせなければなりません。

 

上司は権限委譲の意識をしっかり持つこと、部下は実績作りや日々のコミュニケーションなどから、信頼を得ていかなければなりません。

両者が歩み寄って認識を合わせていくことしか、解決方法はないように思います。