2015年12月30日水曜日

「注目されるとやる気が出る」という話



あるテレビ番組で「人に注目されるとやる気が上がる」という話をしていました。
「ホーソン効果」と呼ばれるもので、アメリカのシカゴ郊外にウェスタン・エレクトリック社という企業のホーソン工場というところがあり、そこの労働者を対象に実験を行ったということに由来しています。

その実験結果は、賃金、休憩時間、作業場の照明などといった客観的な勤務条件や職場環境にかかわらず、そこの労働者は、働きぶりを注目されることによって、やる気や責任感が引き出されてパフォーマンスが向上したというものです。

この実験中に、ある一つの工場で心理学者が観察していることを知らせたところ、その工場の労働者の意欲が上がったなどということがあるそうです。

働く人の士気をどう高めるかは、様々な方法が語られ、人事管理の上では重要な要素だと思いますが、なかなか簡単に解決できることではありません。

このホーソン効果も、実験が行われたのは1924年から1932年と、かなり昔のことですが、今あらためて見直してみると、いろいろな示唆はあると思います。

作業の効率は、客観的な職場環境よりも、職場における個人の人間関係や目標意識に左右されるということ、会社組織は、公式(フォーマル)組織と、非公式(インフォーマル)組織が重なって存在していて、それぞれがうまくかみ合っていないと生産性はあがっていかないことなどです。

この実験に対する評価は、賛否いろいろあるようですが、「人間関係論」が生まれるきっかけになったことであり、その後、組織においては、論理的な側面だけでなく、非論理的な側面である感情表現なども必要であると言われるようになりました。

昨今の企業の人事施策を考える上でも、社員同士の人間関係や感情面にも適切に対処することが必要になってきています。社員同士のコミュニケーションや良好な関係作りを促進する施策を取り入れる企業が増えています。
その方法は企業によって様々で、工夫のしがいもあるところです。

 あらためて「人間は他の人間と関わってこそ人間なのだ」と思っているところです。


2015年12月28日月曜日

「バイト恫喝店長」に「土下座強要クレイマー」など、弱者につけ込む風潮の憂鬱さ



某飲食チェーン店の店長が、学生アルバイトに対するほぼ脅迫と言ってもいい暴言の音声を聞きました。
録音されていた内容は、ちょっと常識では考えられないようなものでしたし、それ以外にも4カ月間休みなしで働かされたとか、十数万円の自腹購入を強いられたというような話もあるようです。

このチェーンの他の店舗では、非常に良い運営をしているところもあるようですし、ごく一部の者の不届きな行為という場合、本部側ではなかなかつかみづらいという面はありますが、それでも本部側には相当な責任がありますし、私はこのチェーン店全体の経営を揺るがしかねない大問題だと思っています。

そんな話の一方、これとは正反対の話で、最近の人手不足の状況から、自分たちがいなくてはお店が運営できないことにつけ込んだアルバイトの人たちが、責任者である社員を自分たちに都合よくあしらったり、つるし上げたりという事例を聞いたことがあります。

さらに同じような系統の話としては、クレイマーの問題があります。様々な店舗の従業員に対して、一部顧客が何だかんだと難癖をつけ、恫喝したり土下座などを強要するというようなものです。

これらの話はどれもこれも、相手を弱者と見た上でそこにつけ込んで、一方的に圧力をかけているという点は共通しています。

どうも最近、こういうたぐいの話題を耳にすることが多くなりました。相手との関係性で、自分よりも少しでも下だと捉えると、そこに容赦なく徹底して突っ込んでくるようです。たぶんいじめのような問題も、私が感じる最近の風潮と根底ではつながっているような感じがします。

これらの問題は、人が働く現場で起きていることが数多くあります。かつては多少嫌なことがあっても、我慢したり受け流したり、適当にやり過ごすことで何とかなってきていたように思いますが、最近はそれではどうにもならないような、つけ込み方の度が過ぎたようなケースが増えていると感じます。

企業の労務管理ということでは、こういう問題にいかに対処していくかということが、これからは大きな課題になってくると思います。

お客様のみんなが神様というわけではないから、そういう時にどんな対応を取るべきか、ブラックバイトに遭遇してしまったら、どんな対応を取るべきかなど、事前の準備が必要になってくるでしょう。
8割以上は性善説で問題なくやっていけますが、残り2割は性悪説も考えておく必要があるということです。最終的には、「いかに毅然とした態度を取るか」ということになるのでしょう。

他人に威圧的に接したり、クレイマーのような態度を取ったりする人に共通しているのは、相手との力関係にとても敏感に反応し、それが露骨に態度に出るということです。下と見た人には一方的につけ込む代わりに、上と見た人には必要以上に媚びるようなところがあります。上司の立場であれば、相当良く見ておかないと、実態を見誤る危険性があるということです。

企業での人材マネジメントは、徐々に個別化の方向に進んできています。そこには個人の特性や行動を把握していないと、大きな問題に発展する危険性があるということであり、今回の件もその同一線上にある問題です。

企業として取り組んでいかなければならない大事な課題ではあるものの、弱者につけ込む人たちを見ていると、どんどん憂鬱な気分になってしまいます。


2015年12月25日金曜日

考えてどうにかできることと、できないことを見極めることの大切さ



年末の忘年会の席で、ある人が自分の勤める会社の愚痴を話し始めました。

お話によれば、昨年異動になってから担当している仕事は、自分に向いていないし、やりたいことではないのだそうです。
ご本人曰く、「あるプロジェクトが失敗したせいでの異動だと思うが、そもそも会社として体制が整えられなかったことが原因で、どうしようもなかった」とのことです。

さらに、その異動先の上司と、どうも肌が合わないのだそうです。自分からの依頼がペンディングになったり、打ち合わせ等でもなかなか自分の意見が理解してもらえず、時間ばかりかかってしまうそうです。以前の上司は、もう少しいろいろな事を任せてくれていたのだそうです。
今はとにかく仕事のやる気が出ないということでした。

会社勤めの人であれば、わりとありがちな話のように思いますが、少し問題だと思うのは、出てきている話の大半が、“考えてもどうにもならないこと”であるということです。

そもそも会社に雇われている限り、自分が相当に努力していたとしても、成果を上げていたとしても、どんな仕事を与えるかを決めるのは会社なので、不本意な仕事への異動という可能性は常にあります。
後から掛け合っても、撤回されることはほぼないでしょうから、本当に嫌なら辞めるくらいしかできることはありません。不本意な異動の確率を減らすには、社内の上位の立場になっていくしかありません。

また、プロジェクトの失敗の話も、理由はどうあれ過去のことなので、今さらどうすることもできません。
上司についても同じようなことで、上司が部下を選べることはたまにはありますが、部下が上司を選べることは、基本的にはありません。

こうやって考えると、サラリーマンというのは、“考えてもどうにかできないこと”の比率がずいぶん多いと感じます。
私たちのような独立事業者でも、そういうことはいろいろありますが、他人の意志や行動に、一方的に振り回されるということはほとんどありません。仮に振り回されたとしても、「今回は振り回されておいてやろう」と自分で決めています。

もしも今回話題にあげた愚痴の人が、自分でどうにかできることを増やそうとすれば、まずはこれからどう行動すれば良いかを考えるべきですし、過去を反省する中からであれば、「自分の評価をしたり異動を考えたりする上司と密にコミュニケーションをとる」「プロジェクトの失敗理由を上申する」などという行動が考えられるので、これを実行していくことで、考えてどうにかできることの比率を上げ、できることとできないことのバランスを多少整えることができるはずです。

自分で考えてどうにかできることと、どうにもできないことを見極めることと、そのバランスを取ることは、特にメンタルの維持という面からも、実はとても大切なことだと思います。


2015年12月23日水曜日

損害が見えにくい人事制度の不都合



私のところでよくご依頼を頂くテーマとして、「人事制度の見直し」があります。見直すということは、何かしらの不都合や、思い通りになっていない状況があるからです。

「うまくいっていない」ということは、表現を変えれば「失敗している」とも言えるはずですが、現状の人事制度に対してそういう評価をしている会社には、ほとんど出会ったことがありません。
考えてみればそれも当然のことで、「うまくいっていない」という部分を定量的に捉えることが難しいからです。

人事制度をはじめとした人事施策というのは、そもそも成功か失敗かなどということで、白黒がはっきりつくものではありませんし、さらに人事制度の不都合によって、いったいどれだけの損害があったのかは、はっきり見えないことがほとんどです。

ですから、人事制度に関しては、社員からの意見や評判などを中心とした定性的な評価と、人事部門の感覚的な問題意識だけをもって、うまくいっているとかいっていないとかということを言い、その感覚的な情報から課題を抽出し、人事制度の見直しということを言っています。

そもそもがはっきりと数値化できるものではないので、これはこれでやむを得ない部分はありますが、それでも最近の傾向として、定性的にあいまいなままで捉えていたものを、できるだけ定量化して捉えて行こうという動きがあります。

例えば、人事制度導入後の業績推移を、時期毎や部門毎に突き合わせて見て行ったり、制度運用にかかった稼働状況(運用コスト)を、制度導入の前後で比較してみたりするなど、データとして扱える情報を集めて、そのデータと人事制度との間に相関関係があるのかないのか、制度運用の仕方によって業績などに違いがあるのかということを見ていくことで、人事制度の「うまくいっていない」という部分を、より具体的に捉えようとしています。

人事制度、その他人事関連の施策というのは、その成否が感覚値で語られることが多いものです。裏を返せば、そのことによる損害があったとしても、はっきりとは見えにくいということです。損害とまでは行かなくても、不足している部分や現状に合わなくなってきた部分についても同じようなことが言えます。

「人事制度が失敗した」とは、関係者をはじめとして、誰もなかなかそうは言いません。だからこそ、何がどのくらいうまくいき、何がどのくらいダメだったのかを、できるだけ具体的に把握しようという努力が必要だと思います。
制度見直しのスタートは、まずはそこから取り組んでみてはいかがでしょうか。


2015年12月21日月曜日

「情報共有」に自信を持っている社長のちょっとずれた感覚



私の考え方として、会社全体での情報共有、認識共有は、業績向上のために重要な要素の一つだと思っています。

そんなお話をしたとき、それに賛同してくれる社長とそうでない社長がいますが、あまり肯定的に捉えてくれない社長が言うのは、ほとんどの場合が「情報を伝えてもどうせ理解できない」ということです。

そんな時に私が必ずいうのは、「情報を出さなければ理解者はゼロだが、出せば少数でも理解できる人がいるかもしれない」ということです。情報共有、認識共有のためには、まず伝える努力をしなければ何も始まりません。

そんな中、先日お会いしたある会社の社長と、社内の情報共有に関して話をしていた時、この社長は、「うちの会社はどんな情報も隠さずに社員に公開している」と自信をもっておっしゃり、胸を張ります。
ただ、一見したイメージでは、そういうタイプの方には見えなかったので、もう少し細かく聴いてみました。

そこで公開していると言った資料は、期末の財務諸表のB/SとP/L、あとは月次の売上と利益の集計値という資料で、それもエクセルシートにただ数字が並んでいるようなものでした。

この資料に対する社員からの問い合わせは未だかつて一度もなく、これをベースにした議論も無いようで、社員がこの資料の内容を理解しているとは言い難い状況のようですが、社長がおっしゃるには、「これだけの情報を見せているのだから、これを理解できない方が問題」「これくらいのことは読み取れるように勉強することが当然」とのことです。

社長はこの発言のように、社員たちが自分と同等のレベルで会社状況を理解している前提で振る舞うようですが、社員たちの意識は当然そこについてくることができません。
それに対して社長は、「うちの社員は意識が低い」「理解力が足りない」と言い、ご自身の発想に基づく施策を、わりと一方的に打ち出します。そうなると社員たちはさらにそこについていけないという悪循環になっていますが、社長自身はこの状況に対して改善が必要という意識はありません。

確かにこの社長の言う通り、公開している情報を読み取る力が社員には足りないという言い分はわかります。ただ、結果的には会社全体での情報共有、認識共有にはつながっていません。

ここでの一番の問題は、社長自身が持っている様々な会社情報を、結局は「伝えようとしていない」ということにあります。
決算時の財務諸表では、様々な会計上の調整もされるので、仮に読み取り方を勉強していたとしても、実態を知るには、その内容について相当突っ込んで聞かなければわからない部分がありますし、ただ数字が並んだエクセル帳票を見せられて、さらにその解説も無しでは、特に一般社員などはまったく意味が分からないだろうと思います。

この会社での情報共有の中心を担っているのは社長ですが、「伝えようとしていない」というような情報開示では、実施する意味はほとんどありません。

これは極端な例かもしれませんが、情報共有、認識共有を考える時、「伝えたか」よりも「伝わったか」ということが重要になります。この結果は、結局業績として経営者にはね返ってきます。
こんな所にも、「相手にしっかり伝わったか」という相手目線の意識が必要だと思います。