2012年7月31日火曜日

企業モラルと社員のモチベーション

企業モラルを問われるような不祥事や事件というのは、なかなか無くなりません。

企業経営は経済活動ですから、基本的には、経済原則が最も優先順位の高い判断基準になるのだと思います。経済原則とは、極論すれば「金銭的にプラスかマイナスか」で、特に経営者は会社の全責任を負い、プレッシャーにさらされながら事業を継続し、利益を上げ続けなければなりません。そうなると、どうしても経済優先の判断に傾きがちです。この行き過ぎが、企業不祥事につながっているように思います。(中には私利私欲の確信犯的な者もいましたが・・・)

一方、企業を取り巻く人たちは、必ずしも経済原則優先ではありません。給料さえ高ければたくさんの社員が集まり、全員が一生懸命働く訳ではありません。値段が安いだけで物が売れる訳でもありません。
仕事そのものへの興味だったり、ブランドの知名度やステータスだったり、価値基準はいろいろです。

企業がモラルを保ち、自浄作用を働かせるために大切なのは、経営者、会社を取り巻く人たちの中で、一番身近な第三者である「社員」の声を聞くことなのではないかと思います。社内事情をよく知り、なおかつ経済原則優先だけでない判断基準を持つ人たちだからです。

もしも業績が上がるからといって法を犯そうとする経営者に、社員一同が諸手を挙げて賛同することは、まず考えられません。しかし、その声を聞こうとしないとしたら、多くの社員たちは、発覚した時のことを想像しながら、内心では「困ったことだ」と思い、それでも「意見が言えない」ということが多いのではないでしょうか。

最近は、内部告発のような形で不祥事が表面化することが多いですが、そうなる前に社内で自浄作用が働いていたなら、問題には至らなかったでしょう。社員たちにとっては、内部告発以外の方法がなく、止むに止まれずの行動だったのだろうと思います。

社員たちが、自分の会社がモラルに反していることを知ったとしたら、そんな会社での仕事にやる気が出る訳がありません。
逆に経営者、会社が、自身の判断の偏りを正すために、「社員」の声を聞こうとするならば、社員たちのモチベーションにもつながっていくのだろうと思います。

「謙虚に身近な人の声を聞く」。
簡単なようでなかなか出来ないことですが、こういう面からも心掛けなければならないと改めて思います。

2012年7月30日月曜日

会社でのもめごと、争いごと

先日の、ちょっとした雑談の中でのことです。

ある会社で、出勤がままならない問題社員の扱いを顧問弁護士に相談したところ、「そんな人は解雇してしまえば良い。争いになったら一緒に戦いましょう」というようなことを言われたとの話を聞きました。

私は今まで「できるだけ争いに発展しないように」との立場でアドバイスを受けることが多かったので、法律家によってはこんな考えもあるんだなぁと、良くも悪くもちょっと新鮮な驚きでした。

私の知り合いに中央労働委員会(労働争議の調整、不当労働行為の審査など行う国の機関)の委員を経験された方がいて、その方は「初めのちょっとした行き違いがエスカレートした事案が大半で、もう少しお互いに相手の立場を考えていれば、ここまで来なくて済んだのに、と思うことがよくある」とおっしゃっていました。

私は、争いごとというのはどちらかだけが一方的に悪いケースはほとんど無く、どちらにもそれなりの原因があることが大半だと思っています。最終的には裁判になるようなことがあるとしても、企業人事の現場としては、できるだけそんな争いにならずに済むようにすることが一番重要ではないかと思っています。

やはり、「日常の中で作り上げる、お互いの信頼感」が重要だとあらためて感じた次第です。

2012年7月29日日曜日

知っているだけでも違う

以前、人事制度作りをお手伝いさせて頂いた会社で、社員代表の方と検討中の人事制度案についての意見交換をしていた時のお話です。

制度運用の手引書の中に、「一般的な人事評価の心得」のような内容を記載したのですが、それを見た社員の方が、「前からこういう内容を知っていれば、もっときちんとした評価ができていたと思う」という話をされていました。

もちろん知っていればできるという事ではありませんが、人事評価を行うにあたっての基礎知識や心構えなど、自分だけではなかなか調べる機会はないでしょうし、ある程度の知識がなければ困るというのもまた事実です。

ある会社では、「評価結果の精度向上が、人事制度の運用上で最も重要である」として、評価者のスキル向上のために、評価者研修などに力を入れているところもあります。
きちんと教えて準備しようということで、それ自体は大変すばらしいことですが、特に中小企業では、研修という機会をわざわざ設けるのが、なかなか難しいことも多いです。また実施効果という点では、どうしても研修と実際は違うという部分もあります。

私が制度作りをお手伝いする時、もちろん研修のような内容を組み込んで考えることもありますが、評価の目線合わせは、実際の運用の中に評価調整会議などを設け、その中で行うようにすることも多いです。別建てで研修をやる実務上の負荷、実施効果などとのバランスを考慮してのことです。

研修などに手間ひまをかけることが可能で、実際のギャップを埋めていることがじっくりとできるなら、それに越したことはないと思いますが、もしそれができないとしても、できないならできないなりに、ただ知識として周知しておくだけであっても、何もしないよりは効果があります。

「うちは研修なんかはやる時間がないなぁ」などと言って何もしないのは、先の「もし知っていれば・・・・」という感想につながります。


どんなことでもそうですが、「自社の身の丈に合わせて、出来ることを考えながらやっていく姿勢」が大切だと思います。

2012年7月28日土曜日

運の良い人

以前、このブログで「キャリアは運に左右される」という話を書きました。

運には、やはり幸運と不運があるわけですが、そんな中でもなぜかいつも運の良いという人がいます。なぜか抜擢される、なぜかトラブルに見舞われない、なぜか上司に恵まれる、等。

私がいつも思っているのは、“運の良い人”というのは“周りから運を運んできてもらえる人”だということです。

例えば、自分の身近にスポーツ選手や歌手志望の人がいたとして、その人に相応の技量があり、礼儀正しくて性格も良く、毎日地道に努力している姿をみていたとしたら、誰もが何とか成功してほしいと願うと思います。自分が力になれることがあるなら、何か協力したいと考える人もいるでしょう。
「自分も他人に助けられている」と感じていればいるほど、相手にも同じように恩を返そうと思うのではないでしょうか。そして、より多くの他人からそう思ってもらえる人が、実は“運の良い人”なのだと思います。やっぱり嫌な奴や不真面目な奴、傲慢な奴には、誰もが関わりたくないし、助けたいとも思わないでしょう。

そう考えれば、自分の行動次第で運を良くすることは出来るはずです。
例えば、「他人を欺かない」「約束を守る」「人が嫌がることでもやる」「決められたことをきちんとやる」「周囲を不快にさせない」など、当たり前のことを日々しっかりやっていると、他人は案外見ています。好感を持たれ、信用されるされるようになれば、周りの人が少しずつ幸運を持ってきてくれるようになります。

さすがに宝くじが当たったりするような運とは違うと思いますが、少しでも“運の良い人”になれれば、自分の可能性は間違いなく広がると思います。

2012年7月27日金曜日

「頑張ります」と「以後気を付けます」を聞き流さない

何か指示をした時に言われる「頑張ります」や、何かミスが起こった時に言われる「以後気を付けます」という言葉は、努力しようという意気込みや謙虚な反省を表すちょっと美しい言葉なので、そのまま聞き流してしまうことが多いのではないかと思います。

ただ冷静に考えるとそれぞれの言葉には別の意味が隠れています。「頑張ります」であれば、無理しないと出来ない、出来るか出来ないかわからない、ゴールが見通せない、出来そうもないけど言えない、など。
「以後気を付けます」であれば、自分のせいだけではないけど言えない、言い訳と取られたくない、原因を考えることを止めている、説明するのが面倒、とりあえずその場を取り繕っておこう、などです。
またどちらにも、できればあまり話したくない、という心理が潜んでいる場合があります。やり過ごしに都合が良い言葉でもあります。

私はできるだけ「頑張ります」と言われたら「頑張ったらできるの?」と尋ね、「以後気を付けます」と言われたら「今までも気を付けていたんでしょ?」、「あなたのせいじゃないかもしれないでしょ?」と聞くようにしています。決してプレッシャーをかけたり責めるというニュアンスではなく、現実的にどこまでならできるのか、具体的なミスの原因はどこにあったのかを考えてもらうことが目的です。

改めて尋ねることで、相手は必ず考え始めます。こちらに聞く耳があると思えば、「ここまでは確実にこなせるがそれ以上は見通せない」、「皆目見当がつかず、やってみないとわからない」などレベルに差はあれ、もう少し具体的な話になってきます。
特に「以後気を付けます」の場合は、すでにミスしてしまっている負い目の気持ちがあるので、人を責めない姿勢が大切です。もちろんミスの原因が個人のパーソナリティに起因する時もありますが、チェック機能が働いていなかったり無かったりする場合や、作業が煩雑でそもそも気を付けていないとミスが起こってしまうような場合は、仕組み自体が悪いのかもしれません。

「頑張ります」目標の到達点を曖昧にし、「以後気を付けます」は、ミスの原因究明を曖昧にしてしまいます。聞き流さずにきちんと事実を確認する姿勢が大切だと思います。
また日頃からお互いの信頼関係を作っていければ、このような曖昧な言い方はなくなってくると思います。

2012年7月26日木曜日

経営センスがない?

主に中小企業での話ですが、いろいろな会社にうかがって社員ヒアリングなどをしていると、「うちの経営者はセンスが無いから」というフレーズを聞くことがあります。

なぜそう思うのかを具体的に聞いていくと、大体は「こんなことがあったが、普通ならこうするでしょう」というような話です。

社員の立場から見える範囲で考えれば確かに一理あると思うこともありますが、はたしてそれは経営センスが無いからそうなったのでしょうか・・・?。

経営センスとはそもそも何なのか、世の中に色々な定義があると思いますが、私なりに考えて見たところでは
「情報収集能力」
「分析、判断力」
「実行する、させる力(もしくは巻き込む力)」
それらの総合力ではないかと思っています。

経営者は、最終的には自らの判断に沿って、他人に実行してもらわなければなりませんが、その前段部分での納得が得られていないと、人はなかなか思ったように動きません。
なぜそのような判断に至ったのか、そのあたりへの理解不足納得不足が「経営センスが無い」という発言につながっているように思います。
どのような情報をどう分析してどう判断した結果なのか、実際ははっきり言えないことが多々あるのも事実ですが、可能な範囲で説明し、納得させていく努力をしなければ“実行させること”につながっていきません。
もしもこの部分を軽視しているとするならば、結果的に現場の生産性は上がらないわけですから、それでは経営センスがないと言われてしまっても仕方がないのかもしれません。

2012年7月25日水曜日

尊敬できる上司

以前、ある先輩からうかがったお話です。

ある時、その先輩の会社に、見るからにその筋かというような風体の人が、クレームで怒鳴り込んできたそうです。
まだ若かりし頃の先輩は、どう応対して良いかわからず、恐怖心も手伝ってただオロオロしていたところ、その当時の上司が「君は良いから」と一言残して相手を別室へ連れて行き、小一時間後にクレーム相手は何も無かったように帰って行ったそうです。

先輩:「大丈夫でしたか?」
上司:「いやぁ大した事じゃないよ(笑)」

その時先輩は、この上司の方を、心の底から単純に「すごいな」と思って尊敬したそうです。

この尊敬の中には色々な要素が含まれています。怖さに立ち向かう勇気と責任感、怖さを感じないだけの経験と自信、相手を納得させた対応方法など、いろいろな能力がバランスよく発揮されていることに気付きます。先輩は自分と上司を比較して、「自分ではまだまだここまではできない」と感じて、尊敬につながったんだと思います。

ただ一方で、上司からすると、「ごく当たり前の普通のこと」「すでに何度も経験していること」だったのかもしれない、とも思います。


他人から認めてもらうには、色々な要素をバランスよく高める必要があることを感じるとともに、自分にとっては当たり前でも、他人にとっては案外すごいと思われることもあるのかな、とも感じました。

小さなことであっても、自分の出来る範囲できちんと対処し、それを経験としてしっかり伝えていくことが「尊敬される人」につながっていくのではないかと思いました。

2012年7月24日火曜日

ささいな観察を相手に伝えたら

私がまだ企業に勤務していた頃の事です。

別の部門に派遣社員の女性がいました。当時は組織が大きく変わったりする中で、やむを得ないところはありましたが、一時期ほとんど雑用ばかりの担当になっているように見え、以前に何度かやりたい仕事内容の話も聞いたことがあったので、「今はたぶんつまらないんだろうな」などと思いながら、彼女の様子を見ていました。

ある日たまたま話す機会があり、何の気なしに「最近雑用ばかりでつまらないでしょ?」と聞くと、思いのほかびっくりした顔で「なぜ雑用ばかりって知ってるんですか?」とのこと。
「見てれば何となくわかるけど…」と言うと、今度は思いのほか嬉しそうに「わかってくれる人がいたんだ…」とのこと。「そういう人がいてくれると思うと、ちょっと気が楽になります」と、何か必要以上に感謝されてしまいました。
「上司は私の気持ちにはまったく気づいてないんですけどねえ…」と愚痴は言っていましたが、それでも彼女の気が晴れたならまあ良かったか、などと当時は思ったものです。

何が言いたいかというと、人はどんな些細なことでも気に留められ、理解されるとうれしいということ。
「観察してちょっと気づいた小さな変化でも相手に伝える」、こんなことの積み重ねも、組織での信頼関係作り、更には仕事そのものにも良い影響を与えるようになるのだと思います。

人をしっかり観察することの大切さを、あらためて気づかされた一件でした。

2012年7月23日月曜日

キャリアは運に左右される

厳しい社会環境の中で、自分のキャリアプラン、キャリアップに注目する人が増えています。「こんな仕事をしてこんなキャリアを身につけたい」と、具体的にイメージしている人も多く見られるようになりました。自分の将来を見据えて考えることはすばらしいと思います。

私が新卒採用をしていたときの応募者に、「御社の××部の△△プロジェクトの仕事が出来るなら入社を希望します」という学生がいました。
会社で仕事をしている多くの方はおわかりでしょうが、新入社員の配属は、本人の入社後の様子やその年の計画など、様々な状況を総合的に判断して決めますので、よほど専門的な勉強でもしていない限り、入社前に配属を確約することは難しいことです。

「それは約束できない」と伝えると、彼はそのまま辞退していきましたが、このように非常に具体的なキャリアを、あまりにピンポイントの狭い範囲で考えているケースは結構多いと感じます。

私が経験してきたことの感想として、仕事上のキャリアは運や偶然に左右されることが非常に多いということです。
「初めは無理やりだったがやってみたら面白かった」とか、「偶然出会った人の影響で志向が変わった」とか、自分では制御できないことで、自分のキャリアが左右されていることが何と多いことかと思います。

具体的なイメージを持つことも良いと思いますが、あまり決めつけずに、とりあえず与えられたことをやりながら考えるという姿勢も必要なように思います。

2012年7月22日日曜日

若手社員からの相談

私がまだ企業に在籍していた頃のある時、入社して1年ほど経つ新卒入社の若手社員から、人事部門のメンバーあてにメールが来ました。

“今一緒に仕事をしているリーダーの態度、接し方、仕事の進め方に納得がいかない、果ては人間性も許せない、他の同期メンバーも同じように言っている”とのことで、「このままではもう辞めたい」などと書いてあります。

メールを受け取った者が本人たちに確認すると、とにかくああだこうだといろいろ話が出てきて、かなり感情的になっている様子。その話を上位のマネージャーに相談したのか聞いたところ、「言いづらい」とか、「任せていると言って多分聞いてくれない」とか、いろいろ言い訳をしますが、要するに話していません。

仕方ないので、人事部門からその上位マネージャーに状況を説明してフォローを頼んだところ、もう翌日には一発解決、本人たちは納得顔で「これからも頑張ります」なんて言っています。要は少し話せば済む程度の事だったということです。(対応した者は「その程度なら最初からマネージャーに言えば良いじゃん・・・」と言ってましたが・・・。)

このように仕事上伝えなければならない事でも、「言いづらい」などという感情でコミュニケーションを避けるようなことが、特に最近の若手社員では時々あります。
気が合う人との狭い友達関係で過ごしてきている者が増えているため(?)ではないかと思っています。今回は新人研修の余韻が残っていたためか、たまたま人事部門には言いやすかったようです。

上司部下のコミュニケーションでの建前としては、「上司は自分から部下に歩み寄って、いろいろな手段でコミュニケーションを取る」となるのですが、このような例を見るにつけ、「若い世代のコミュニケーション能力を強化しないと、これからが大変だ」と思います。

2012年7月21日土曜日

「いいかげん」と「テキトー」

「いいかげんでテキトーな人」と言われれば、大概の人はあまりいい気持ちはしないと思います。
でもこれらの言葉を辞書で引くと「いいかげん」“好い加減”でよい程度、適度という意味、「テキトー」“適当”で目的や要求にぴったり合っている、ふさわしいことであると言う意味が一番初めに出てきます。

最近は、例えば格差社会であったり、勝ち組負け組であったり、過労死と失業だったり、企業でも業績至上主義だったり、株主中心主義だったり、何でもどちらかに極端のような気がします。
これらの言葉の持つ本来の意味が、実は今の企業や社会全体に一番足りないところではないかと思っています。またこのちょうど良い所を見極めるというのが一番難しく、本当の意味で「いいかげんでテキトー」になるには、それなりの経験、感性が必要であると思います。

これからのリーダーやマネージャーが、現場のやる気を盛り上げていくためには、この「いいかげんでテキトー」を磨く必要があると思います。言い換えればバランス感覚ということかもしれません。
自分はどちらかというと褒められない側の「いいかげんでテキトー」なところがあるので、もうマシになるように意識していきたいと思っています。

2012年7月20日金曜日

「チャレンジ目標」と「ストレッチ目標」

いよいよロンドンオリンピックが始まりますね。
オリンピックやワールドカップなど、一流選手の真剣勝負はやはり見応えがありますから、なんだかんだ言いながら毎日テレビに釘付けになってしまいます。

毎度のように日本選手に対してマスコミはメダルメダルと大騒ぎしますが、自己最高のプレーをしてもギリギリ届くかどうかの選手までメダル候補に祭り上げてしまうのは、さすがにどうかと思っています。
そんな中で昔ある研修で聞いた「チャレンジ目標」と「ストレッチ目標」の話を思い出したので紹介します。

要約すると、例えば目標管理などで扱う日常の中での目標は、実現できるかどうかわからないチャレンジ(挑戦)目標でなく、一定期間に実現できる可能性が高いストレッチ(引き伸ばし)目標の方がふさわしい、というようなことです。実現可能な目標を設定して、一歩一歩クリアしていく方が達成感もあってやる気も出るし、結果的に最終目標に到達できる確率も高いということです。

何がチャレンジで何がストレッチなのかの切り分けは、自分の位置づけを客観視しなければならないのでなかなか難しいですが、大きな目標(夢?)に向かうにしても、まずそこへ向かうステップを分割し、身近で達成可能な目標へ落とし込んでいくことが重要なのだと思います。

水泳の北島康介選手は、小学生の頃から「オリンピックで金メダルを取る」と言っていたそうです。その当時は遥か彼方の“夢”だったと思いますが、コーチとともに身近な目標を一つずつクリアしていくことで、“夢”が“チャレンジ目標”なり、“チャレンジ目標”が“ストレッチ目標”になり、それを達成することで今までの快挙があるのだと思います。

これほど高い志しを持つのは無理だとしても、自分の身近な事で、少しでも見習っていければ、などと考えています。

2012年7月19日木曜日

仕事の成果を実感できるように・・・

自分の仕事が組織にどのように貢献しているのか、どんな価値があるのか、社会とどのように繋がっているのかということは、直接顧客と接していたり、自分たちが作った物が使われている場面に遭遇したりする仕事であれば、いろいろな喜びを感じる場面があると思います。
しかし、そうでない仕事の場合は、なかなか実感しづらい人が多いでしょうし、日々の仕事に追われているとなおさらです。

若手社員に、「どんな仕事ならやりがい、喜びを感じるか?」と聞くと、「アリガトウと言ってもらえる仕事」「人から感謝される仕事」 など、“相手の反応が直接わかること”という答えが多いようです。逆に言えば、そうでないとやりがいを感じづらいということが言えるのだと思います。

私が以前システム開発の仕事をしていた頃も、なかなか具体的に見えづらい内容の物が多く、自分たちが開発した物の価値が今一つ感じづらい状況でした。
大体三ヶ月から半年に一度、生産物の顧客納品があるのですが、プロジェクト自体はその後も継続していくスタイルなので、ともすれば「ずっと同じことの繰り返し」に陥りがちな仕事の進め方でした。

その頃私は、納品があるタイミングで必ずしていたことが二つあって、一つはとってもベタですが、メンバー全員で必ず食事なり飲み会なりで打ち上げをするということで、単純に一区切り、お互いの親睦、ねぎらいです。ありきたりですが、やっぱりそれがないと、ゴールがないまま走り続けている感じになってしまうので、けじめのイベントは必要だと思います。

もう一つは、その時の納品伝票を必ずメンバーに見せて、自分たちのプロジェクトがその期間に稼いだ金額を確認するということです。
伝票に書いてある金額は、特に若いメンバーにしてみれば、あまり見たことがないような高額ですから、顧客がそれほどのお金を払って自分たちの技術を買ってくれていること、もしミスがあって穴を開けてしまったらどれほどの損害があるかということなどを感じ取ってくれていたようです。

いちいちこんなことをしなくても、自分なりに仕事の価値を見出している人はいますが、仕事が分業されて全体像がわかりづらい、顧客の反応が直接わかりづらい中では、なかなか自分の仕事の価値や意義ややりがいが感じづらい人が、特に若手の中に多いことも事実です。
やはり、周りから刺激を与える工夫は必要で、方法はいろいろあると思います。いろいろな人からのねぎらいの言葉だったり、顧客と直接接する機会だったり、人づてに聞く評判だったり、自分たちが作ったものを売り込む営業の姿だったり、その他いろいろです。

現場の“やる気“を高めるためにはこんなことも必要であると思っています。

2012年7月18日水曜日

エースを欲しがる中途採用

中小企業で行う中途採用の場合、今までなかなか進められなかった内部改革を、新たな人材に託したいと考えて採用を行っている場面に時々出会います。
現業部門や管理部門の統括マネージャーなど、そこに思い通りの有能な人材が一人いれば、すべてがうまく回るというようなキーポジションでの募集です。

このような場合で思い通りの結果になったケースは、私の経験ではあまりありません。
考えて見れば野球やサッカーや、その他団体競技で、スーパースターを一人入れたからといって、チームがいきなり強くなるわけではないことと似ています。特別扱いされるスターがいることで逆に反感を買ってチームが崩壊していき、かえって逆効果だったなんていうこともあるでしょう。

一方うまくいったパターンもあります。意図的か偶然かの差はありますが、新たな人材のやり方を理解して一緒に動くメンバーがいた場合です。

一つは社内から協力者、共感者が出てくる場合で、これは採用した人材の人間力によるところも大きいと思います。
もう一つはサポートメンバーも合わせて採用した場合で、新規人材の人脈で人を連れてきたケースもあります。

結局どんな優秀な人材でも、一人に何でもやらせようとしたって、それは難しいということです。そもそも人を一人入れたくらいで、それまでずっと出来なかったことが急に出来るようになるなどと考える方が間違っています。

エースを入れることにこだわるより、準エースでも中堅レベルでも一般レベルでも、きちんと協力体制を作って受け入れることの方が重要であると思います。

2012年7月17日火曜日

悪気が無い常識知らず

以前、ある方から伝え聞いた話です。

ある日の昼休み、その人が食事をして帰ってくると、入社したての新入社員たちが、会社の入居しているビルの入り口で、地べたに座り込んでたむろしていたそうです。
そこは他の会社の人たちも通る公共の場所。あまりに非常識と感じてすぐに注意したところ、相手の新入社員たちはビックリした顔をしてとにかく平謝り。後からも改めて謝りに来たそうです。

要するに、こちらから見れば非常識を思われることを、本人たちは何の悪気も疑いも無くやっていたということ、常識そのものの感じ方が違っていた、元々わかっていなかったということなのです。

常識というのは100人いれば100通りとも言えるので、一方的な押し付けはダメだと思いますが、それでも社会常識と言われるものはありますし、この場合は注意して当然だと思います。

ただ新入社員にしてみれば、いつも気にせずにしていることを普通にしていただけで、社会人になって、その会社の一員として他人から見られた時にどう思われるかなどは、全く気が利かなかったのでしょう。一言で言ってしまえば社会経験の少なさから来るのだと思います。
また一方では、注意をされればすぐに意味を理解できて、受け止められる素直さがあるということもできます。教えれば直せるのです。

“今時の若者は・・・”と嘆きたくなる方々も多いでしょうが、“何も知らずに育ってきた素直な若者”と捉えれば、実は教えがいもあるのではないでしょうか。

2012年7月16日月曜日

リーダーの自覚を促す一例

リーダーの重要性がよく言われます。
最近よく見られるフラット化された組織であれば、カバーする範囲の広いリーダーがたくさん必要になりますから、その重要性はなおさらです。

しかしリーダー自身がその重要性を理解しているかといえば、意外にそうでもないケースが多いように思います。肩書が変わっても日常の仕事の中身はほとんど変わらず、権限も実質ほとんど変わっていないか、変わっていても本人が認識できない程度のものだったりするからではないかと思います。私自身も「どうすればリーダーの自覚を促せるか」という相談を受けることがよくあります。

以前、新任リーダーの考課者研修というのをやったことがありますが、その中で「これまでの評価されるだけの立場から、他人の評価をする立場になる」という話をしたところ、思いのほか強いインパクトを感じたという人がいました。立場の変化を具体的に言われたことが初めてで、自分の評価が部下の処遇に直結するという重大さに気づき、初めて役割、責任が大きくなったことを実感したとのことでした。

リーダーの自覚は、結局自分への要求がレベルアップしたり、実務を通じて立場の変化を実感したり、何かが変わったと認識できないと芽生えないものです。
ですからリーダーになって具体的に何が変わるのか、周りから事例などで伝えてやることも大切です。実態として役割変化がほとんどない場合でも、現場の実務レベルで新たな役割を与える、権限委譲するなど、本人に変化を自覚させるように仕向けることはできるはずです。

「アイツはリーダーの自覚がない!」と嘆くばかりでなく、周りから気付きを促すことも必要であると思います。

2012年7月15日日曜日

“従業員満足”の捉え方のいろいろ

“従業員満足(ES)”の重要性が言われるようになってから随分経ちますが、従業員満足について説くと、経営者の方々に中には、「なぜ社員を甘やかさなければならないのか」「社員を甘やかす必要があるのか」という言い方で拒否反応を示す方がいらっしゃいます。言葉のイメージからそのように感じてしまうようです。

このような時に私は、社員は甘やかせば満足するのですか?」と問いかけるようにしています。
例えば、とても困難な目標をようやく達成したことに満足を感じている社員がいたとして、会社はこの人に対して達成困難な目標を与えているわけですから、決して甘やかしているとは言えないはずです。

拒否反応を経営者の方々は、大概真っ先に「満足されるような給料は払えない」などとおっしゃいます。もちろん社員にとって給料が高いに越したことは無いでしょうが、給料さえ高ければみんな満足するのかといえばそうではありません。

“人の満足感”はいろいろな要素が絡み合って感じる主観的なもので、その要素は人によってまちまちです。給料や労働条件、会社の知名度、設備や職場環境、規程や制度、社内の人間関係、仕事内容、自分は評価されているか、必要とされていると感じられるか、他にも多くのことが考えられます。

“従業員満足”というのは、社員に関わるすべての事柄を、会社全体として総合的にレベルアップしていくことです。ただ単に甘やかすことなどと捉えずに、まず出来ることから取り組んでいくと良いと思います。

2012年7月14日土曜日

挨拶の意味を話すことで

「挨拶は大事だ」と常にたくさんの人が言います。でもなぜ大事なのかはなかなか説明しません。「そんなの当たり前」、「人としての基本」などと言われるのがオチでしょう。

「説明しない」というより、「説明できない」と言った方が正しいのかもしれません。多くの人は小さい頃から「きちんと挨拶しなさい」と親に言われながら育ち、無意識のうちにそういうものだとすり込まれてきたからなのだと思います。

私は新入社員を相手に礼儀などの話をする時がありますが、「なぜ挨拶が必要で大事なのか」を理屈、ロジックとして話すことをしています。ここにすべては書けませんが、「動物にも挨拶行動があるが、それがなぜ必要か」というようなこと、「挨拶が、自分の当面の仕事にどうつながるのか」というようなことです。

これを話した後にマナー研修などをやると、明らかに参加者の取り組み姿勢が違います。人が行動するためには納得が必要で、納得がない行動は習慣化しませんが、今までは単に常識と言われるだけだったことを論理的に説明することで、その意味を理解、納得することができ、実際の行動にもつながっていったということです。

“当たり前なこと”として説明を省かずに、あえてその意味を見直し、言葉として伝えるということも、時には必要だと思います。

2012年7月13日金曜日

小さな会社の人事制度

少し前になりますが、社員10数名ほどの、小さな会社の人事制度作りをお手伝いしたことがあります。
その際の打ち合わせでのことですが、社長さんいわく、「社員は人事制度なんて興味がないのかと思っていたら、実はものすごく気にしていたことがわかった」とのことでした。

社員に話しても、いまいち反応が薄いのでそう思っていたとのことでしたが、何かのやり取りの中で、実は社員たちはこれから先の自分の給料がどうなっていくのか、処遇がどうなっていくのか、どんなやり方をするのかなど、不安と期待の両方で、いろいろな事を思っていたことがわかったようです。「人事制度に手をつけておくには、ちょうど良いタイミングだった」とのことでした。

小さな会社の経営者には、人事制度の策定にあまり意義を感じない方も多くいらっしゃいます。経営者の目が社員全員に届きますから、「一人ひとりの仕事ぶりはわかっているし、評価もできる」「給料はお互いに話をして納得して決めている」などとおっしゃり、今まで積み重ねてきた信頼関係、信義に則ってやっていけば問題ないと思っています。

一方社員はどうかというと、もちろん会社を信頼はしていますが、例えば評価基準は社長の頭の中だけにありますから、今までこうだったから将来もこのままという保証は無く、自分がどうあるべきかも何となく感じ取るしかありませんから、やはり不安は感じています。

人事制度は、このレベルの人にはこんな役割を要求し、こんなやり方で評価して給料はこうして決める、レベルアップのためにこんな支援をする、教育をするなどの枠組みを示すものです。社員が目標を定める目安にもなります。不安が薄まり、目標を定められれば、“やる気”につながってきます。やはり組織で動く上では、最低限の形は作っておいた方が良いと思います。

私が時々やる方法ですが、社長の頭の中にあるものを聞き出してドキュメント化するだけで、実はその会社の評価制度になってしまうこともあります。
あまり難しく考えずに、ごく簡単なところから取り組んで見ると良いと思います。

2012年7月12日木曜日

「業務外でのコミュニケーション」イコール飲み会…?

「仕事は仕事、プライベートはプライベート」という方もいますが、仕事仲間との業務を離れた付き合いについて、私はとても大切だと思っています。親交を深める意味だけでなく、そういう場があることで今までわからなかったその人の考え方がわかり、以後のコミュニケーションが取りやすくなったり、時には仕事に影響しているプライベートの問題が発見できたり、という経験もあったからです。

以前、ある会社のマネージャークラスの人達にヒアリングした時のことですが、みんな口を揃えて「部下とのコミュニケーションが大事だ」と言い、「ではどんな方法で?」と聞くと、ほぼ全員が「定期的に飲み会を開く」と答えていました。
“コミュニケーションの場”イコール“飲み会”という発想で、企業風土としても飲み会信仰が強い会社だったようです。

そもそもお酒が飲めない人は、飲み会にはあまり行かない訳で、コミュニケーション手段として、それだけでは全くの片手落ちなのですが、その点を問うと、「では一緒に食事に行きます」とのこと。本人たちは飲み会を通じて職場のつながりを深めたと信じているため、その発想から抜けられないようでした。

本来コミュニケーションにはいろいろな場面、方法があるはずです。直接の業務指示、スピーチ、個人面談、日常の雑談、業務外でも共通の趣味やスポーツ、サークル活動なども考えられます。最近の若手社員は志向が多様化していますから、コミュニケーションの手段も多様化することが必要です。

飲み会に来ないからといってコミュニケーションを拒んでいるわけではなく、異なる場を欲しがっていることもとても多いです。自分の志向や経験だけで考えず、業務内外の区別やその方法ではバランスを取った対処が必要です。最近は、「終業後の居酒屋より、勤務中のスターバックス」なんて言われるようです。

私自身、飲み会も食事会も大好きですが、手段が偏らないようにと、いつも肝に銘じています。

2012年7月11日水曜日

“I”(私)メッセージの効用

“I”メッセージ、すでにご存知の方も多いと思いますが、あまりご存知でない方や最近忘れて活用していない方に、今一度その効用についてお話したいと思います。

“I”メッセージは、自分の感情を上手く相手に伝えて受け止めてもらうノウハウです。
例えば門限に遅れた子どもに対して親が、
「今何時だと思ってるんだ!」
「お前はどうして決めた時間が守れないんだ!」

ついこの様に言ってしまいがちですが、自分が同じ様に言われたら、果たしてどう思うでしょうか。悪いと思っていても素直に聞く事が出来ずに、反発心が先に立って言い返したり無視したりしてしまうのではないでしょうか。

実はこれらの言葉は、主語が全て相手(You)です。つまり相手を主語にすると相手を責めるニュアンスになりがちで、素直に受け入れづらい気持ちにしてしまいます。
これを私(Ⅰ)を主語にして話す事で、自分の気持ちを伝えやすく、相手が受け止めやすい言葉になるという事です。

前の例を“I”メッセージにしてみると
「遅いからすごく心配してたんだぞ」
「時間が守れない事は、とても嫌だと思っているんだ」
ニュアンスが柔らかく、話し手の気持ちがわかりやすいと思います。子供さんも「自分が悪かったかな・・・」と考えてくれるのではないでしょうか。

厳しいビジネスの場では、知らず知らずのうちに相手を思いやる余裕が無くなり、つい強い調子で相手を叱責してしまいがちです。しかし責める言葉が多くなると、「あの人とはできるだけ話したくない」などと、コミュニケーションの量は減っていきます。

信頼関係が築けずお互いの真意も理解できないため、的確な指示であってもやらされ感や不満を持ったり、“やる気”を失ったりしていきます。
話し方、伝え方を少し工夫するだけで、コミュニケーションを増やして、お互いの理解を深める事は出来ます。

“I”メッセージも一つの方法として利用してみてはと思います。

2012年7月10日火曜日

就職氷河期、採用氷河期、そしてまた就職氷河期・・・

ここ数年は、新卒学生がものすごく就職に苦労している“就職氷河期”です。多くの普通の学生さんたちが苦労している様子を私も現場で見ていて、少しでも多くの人が良い企業に巡り合えればと、いつも思っています。

しかし、ほんの少しだけ時をさかのぼれば、企業の新卒採用が難しかった“採用氷河期”という状況でした。バブル期には、学生を囲い込むために旅行に招待したり、高級料亭で接待したりなどという事まで行われていたのを考えると、経済原則だとはいえ、その時の事情によって大きく翻弄されるのは、採用する側にとってもされる側にとっても、あまり良いことではないと思います。

私がずっと新卒採用にかかわる中で一番心がけていたことは、お互いが出来る限りイーブンな立場で接し、自分たちが持つ採用基準は守るということでした。会社と社員が長い付き合いをしていくためには、それが一番良いと思っていたからです。

やっていたのは別に特別なことではなく、

「相手を見下したり媚びたりしない」
「必要以上におだてたり、卑下したり、見栄を張ったりしない」
「馴れ馴れしくし過ぎず、かといって事務的過ぎない」
「自分たちの長所、欠点をきちんと伝え、相手の事もしっかり聞く」
「自分たちの都合だけでなく、相手の都合も考える」

など、良い人間関係を作る上での基本レベルの事です。
しかし、採用が厳しい時期になれば、会社からは採用人数のことを言われるばかりで、残念ながらこういう考え方を積極的に評価してもらった記憶はあまりありません。

採用の現場では、数を追ったり、そうかと思えば質が大事だと言ったり、その時の状況によって立ち位置が揺らぎやすいように思います。就職難で思うに任せず、芽を出せない若者が沢山いる一方で、会社から変にチヤホヤされる人もいます。しかしバブルの頃に散々おだてられ、甘い気分で入社した人がその後どうなって行ったかは、企業もすでに学んでいるはずです。

需給バランスに左右されるのは、経済原則だから仕方がないのかもしれません。しかし長い目で見れば、きちんと立ち位置を定めることが、企業にとっても働く人にとっても重要だと思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。過去から学ぶことはやはり難しいのでしょうか・・・。

2012年7月9日月曜日

ちょっと嫌だった取引先担当者の話

少々昔の話になりますが、私がまだシステム開発の現場でSEの仕事をしていた頃の話です。

ある一時期のことですが、ちょっと嫌だった取引先の担当者がいました。
一流大学出身で出世意欲が旺盛、いつも上から目線で、何か手柄になりそうなことは自分が関与したと言い、不備があれば作業を請け負っている私たちの責任にしてしまう、ドラマに出てきそうな典型的な行動をする人でした。私たちは「あんな奴はいつかバチが当たる」などと悪態をついていましたが、当時の我々の上司は「エリートで出世する人だから取り入っておけ」などと言っていて、その姿勢にもちょっと失望していました。

そんなある日、その担当者の方が別部署へ異動することとなりました。我々は内心大喜びでしたが、その話を聞いた日の客先からの帰り道、電車の中で何やらちょっと興奮気味に上司の不満を言っている集団に出くわします。何気なく聞こえてきた固有名詞から、私たちの元担当者の新たな異動先の人たちだとわかりました。

その当時は「やっぱり嫌われる人はどこへ行っても嫌われる」などと単純に思っていましたが、今になって考えてみると、組織のモチベーションや、人の“やる気”にとっては、個人のキャラクターもとても重要な要素だなぁと思います。

この話には後日談があります。
実はその人は、その後あまり間を置かずに、地方へ異動になりました。どうもその人柄を見られた上での左遷に近いものだったようで、「やっぱり見る人はきちんと見ているものだ!」と当時は感心したものです。(人の不幸を喜んだわけではありません!)

それからしばらく経って、その人は地方から戻ってきて管理職となりましたが、以前の嫌な部分は随分緩和され、ほどほどの出世の中でうまくやっていったようです。これも見るべき人がきちんと見ていて適切に対応し、良い方向に改善した一例なのだと思います。

ともすれば組織から排除したくなるような人物でも、活かし方を考えながら、その時に応じた対処、指導をすることの大切さを感じた一件でした。

2012年7月8日日曜日

自己評価が高い人

自己評価は高いが周囲から見るとそれほどではないという人に、時々出会う事があると思います。特に人事評価などを通じて、いろいろ経験されている方も多いのではないでしょうか。「本人に自覚してもらいたいが、なかなか納得しない」「納得させようとするとどんどん粗探しのようになってしまう、かといって言わない訳にはいかない」…。このような部下を持った上司は悩ましいと思います。

私も多くの人と接してきて、そんな人への対応ではうまくいったことも失敗したこともありますが、その中で一つ共通して感じてきた事として、自分の評価、特にマイナス評価に過剰に反論する人は、その行為で自分の気持ちをコントロールしたり、バランスを取ったりしようとしているように見えることです。

背景には、何らかのコンプレックスや自分基準の思い込みがあり、それは生い立ちだったり学歴だったり人間関係の中での事だったり、仕事とは直接関係ない過去の経験、体験に起因することも多いようです。「自分はできる」と一生懸命言い聞かせているようなところがあります。ですから、こういう人を簡単に納得させようなどと考える事自体が無理なのだと私は思っています。

結婚したり子供ができたり病気になったり、そんな事をきっかけに急に丸くなったなんていう人がいますね。結局本人がいろいろ経験して、自分なりのきっかけで自分自身で解決するしかないということなのです。

そうは言っても仕事への影響を考えると、上司の役割として放置しておくこともできません。
では上司や周りの者としてどうすれば良いのか・・・。結局は相手の立場、人格を認めてコミュニケーションを取り続けるしかないと思います。相手のプライドを考え、話し方に配慮し、相手への期待感、良いものは良い、悪いものは悪いと伝えることです。納得させようなどと考える必要はありません。そんなに簡単に人は変わりません。でも続ければ多少の影響を与えることはできるはずです。

こういう人は自分にとって関わりたくない相手だったりしますが、役割としてコミュニケーションを続けていると、いつか劇的に変わった本人から感謝されるなんていう経験ができるかもしれません。(私自身が相手を困らせないようにとの自戒も込めて・・・)

2012年7月7日土曜日

採用活動への社員参加の効用

中小企業では、通常採用活動スタッフの数は少なく、他の社員の協力を得なければならない場面も多いと思います。そもそもは単なる人手不足の穴埋めだったり、採用スタッフで対応しきれないことへの支援依頼だったりということでしょうが、採用活動に社員を巻き込むことの効用も、間違いなくあります。

これは私が以前在籍していた会社でのことですが、合同企業セミナー(いろいろな企業が自社ブースを構えて訪問者に自社の企業説明を行うというイベント)で、現場の若手社員に会社説明を担当してもらいました。
台本で用意したものを中心にした説明でしたが、終わった後の若手社員たちの感想は、「説明をする中で、自分たちが知らなかった会社のことや、あまり気づいていなかった自社の良さが改めてわかった」と言っていて、「自分は意外と恵まれている」「まあいい会社かも」と自社の愛着へつながっていったようなことがありました。

また実際の面接の場面で、面接官には現場のリーダーやマネージャーを交えて行っていましたが、それまでは「採用される人のレベルが低い」などとクレームをつけていた者が、応募者全体の状況を知ることにより、部下として受け入れられる人の幅が広がったということもありました。(反面、「この人をぜひうちの部署に!」なんていう青田買いも出てしまいましたが・・・)

やはり自分が日頃関わっている範囲だけでなく、異なった視点でものを見る機会があると、自分が簡単に思っていたことが結構大変だったり、案外わかっていないことの多さに気づいたりします。
自分の位置を客観的に見直すには、やはり全体の様子を知ることが大切であり、採用活動という現場の人にとっては非日常的な経験をしてもらうことも、その一環としての効果があるのだと思います。
「全体を知る」ということは“やる気”につながる大事な要素の一つであると思います。

2012年7月6日金曜日

外発的動機と内発的動機

やる気を生み出す動機づけには、「外発的動機づけ」「内発的動機づけ」2つのタイプがあるとされます。

このうち、勉強しろと叱ったり、できたらご褒美をあげるなど、賞罰を使い分けて人を動機づける事を「外発的動機づけ」といいます。 
外発的動機づけは短期的には有効ですが、この場合(報酬を得るためにやる、それをやらないと怒られるからやるなど)では、手っ取り早い方法を選ぶようになったり、チャレンジしなくなったり、人の見ていない所でサボるようになるなど、長期的に見ると様々な弊害が出てきます。
 報酬を得ることや罰を回避する事が目的で、行動はその手段となりますから、常に誰かが見ていてアメやムチを与え続けなければ、行動しなくなっていくといわれます。


これに対して、外的な報酬が無くても、行動することで得られる楽しさや満足感による動機づけを「内発的動機づけ」といいます。この場合(内発的に動機づけられた状態)では、行動する事自体が目的であり、そこから得られる達成感、充足感が報酬になります。楽しいから積極的に参加し、自発的に学習します。内面から湧き出る意欲という事です。

目標管理制度などを使って、個人目標を設定してこれを上司が把握管理し、達成度合いによって報酬を与えるというのが俗にいう成果主義ですが、仕事を主に“外発的動機”によって鼓舞しようという面が強く、それゆえ仕事の本来の楽しさや喜びなど、“内発的動機”を奪う制度であるともいえるように思います。成果主義でかえって仕事に対するモチベーションが落ちたといわれるのも、こんな所に原因があるかもしれません。

私は「内発的動機づけ」を基本的に重視すべきだと思いますが、「外発的動機づけ」を一方的に悪と考えるべきではなく、バランス良く活用する事が大切であると思います。バランスを欠いた使い方をされた事が、成果主義が行き詰まった一因ではないかと思います。

何事もバランスは大事ということですね。

2012年7月5日木曜日

自責と他責

  以前、ある著名な経営者の方からうかがった話です。 
   この方は、社長就任早々に社内の問題を探るべく、社内各署にアンケートを実施したそうです。「自社の良い点、悪い点を記せ」というような簡単な物だったとのことですが、収集してみたところ、圧倒的に悪い点の記載が多く、しかもほとんどが他部門に対する指摘、批判だったそうです。要するに“問題点は他者のせいにして放置してしまう風潮があった”ということです。

  この方は再度同じアンケートを「自分たちがやってきたこと、責任の範疇で」という注釈を付けて実施し、初めて少しずつ本質的な話が出てくるようになってきたそうです。

  その後、社内で“自責運動”(まず自分に責任はないのか、できることはないのかを考える運動)というものをを展開したそうです。
  運動と言っても、会議や懇親、社内イベントなど、社長が顔を出せる場にできる限り顔を出し、事あるごとに“自責!、自責!”としつこく言い続けたという事のようですが、これによって少しずつ、まず自分はどうなのかを考え、他部門の様子にも気を配るようになり、徐々に組織の生産性も上がっていったそうです。
 
 組織は人の集まりですから、人の心理からすれば、何か起こった時には「他人のせい」にしてしまうことになりがちですが、一方的な批判は反発心にしか繋がらず、批判された側もその相手を批判的にとらえるようになり、これでは組織全体の活力、人の“やる気”は失われていくのが当たり前です。

  自分のできる範囲で組織全体の状況を捉え、自分たちの出来ることを考える風土を作っていくことは、社員の“やる気”にとって非常に大事だと思いました。そして何より、「しつこく言い続けることが重要だ」ということです。

2012年7月4日水曜日

褒めることの難しさ(余談)

  前回の褒める話は、少し綺麗ごとといえなくもありませんので、今回はちょっとした余談です。

ある会社で新人研修を担当した社内講師が、新人に対して少し厳しい指導をしたところ、「僕たちは今まで褒められて伸ばされてきて、そういう指導には慣れていないから、萎縮して成長が止まってしまうかもしれないので、やり方を変えて欲しい」と言われたそうです。

  にわかに受け入れづらいかもしれませんが、実話としてこういう話があり、しかも当人は本当にそう思っているわけで、今の企業の現場ではこういう人たちであっても否定せずに指導し、戦力にしていかなければならないのが実情なのです。

こういう発言の背景は、とても複雑です。全体的な傾向や社会的背景や、個人のキャラクターもあるでしょう。つい“今時の若い者は・・・”と言いたくなりますが、やっぱり人それぞれですから、一括りに語ることはあまり適切でないと思います。

この件で思ったことは、
  自分に都合のいいことだけ主張する。(褒めると甘やかすを混同)
本人が嫌なことを我慢できないということ、そうしてしまった親、教師、社会的風潮を含め、周りの大人にも責任があると思います。

  自分の内面に踏み込まれたくないための予防線。
他人から自分のことをとやかく言われたくない、意見の異なる人との煩わしい人間関係は避けたい、という傾向があるようです。(でもこういう人は、煩わしいほどの人付き合いをしたことはないと思いますが・・・)

  厳しくされることに本当に慣れていない。
社会的な関わりに消極的で未熟であるということ、経験値が少ない、成功体験が少ないゆえに打たれ弱いということです。自主性を強調し過ぎて、イヤイヤでも経験してみる機会を失っているように思います。

このような基本的な人間力は、大人になって教育しても、やっぱりなかなか変えられません。前提となる人間力が足りない者を、単に褒めることで果たして育っていくのか、褒める事が大事とわかっていても、本当にそれで良いのかと考えてしまうような話でした。

2012年7月3日火曜日

褒めることの難しさ

  部下マネジメントやコミュニケーション系の研修などでは、相手を褒めることの大切さが強調されます。確かに褒め上手の人は部下育成がうまかったり、人間関係作りが円滑だったりする度合いは高いと感じます。

  ところがそのような研修を受けた上司が、研修から帰ってきた途端に取って付けたように部下を褒め始め、その部下たちは、研修を聞きかじっただけで態度が変わってしまう上司に、かえって失望してしまったという話を聞いたことがあります。口先だけの褒め言葉は見抜かれ、かえって逆効果だということでしょう。

  褒めることの難しさは、受け止め方が人によって違うことです。本人が本当に評価されたと思える褒め方、要は的確な内容とタイミングで褒めることが必要で、前提となる信頼関係が不足しているのに、テクニックだけを使って、取って付けたように褒めても、決して効果的ではないということです。

例えば、自分が誰にも言わずにひそかに努力していることや自分のこだわりを、他人が見つけて褒めてくれたらうれしいですよね。認められたような満足感もあるし、気づいてくれた人の眼力にも信頼感を持つのではないでしょうか。「この人はわかってくれてる!」ってやつです。それはまさにその後の“やる気”につながります。
  「何かあったら常に褒めよう」という意識を持つことは必要ですが、結局はテクニックでなく、本心から褒めていると相手に伝わることが大事です。そのためには、やっぱり個人個人をきちんと見ていること、ひそかな観察が重要になります。本当に些細な小さなことでも、相手の“何か”に気づいて褒めてあげると、人の感情には大きく響くものです。

  とは言え、褒めることはやっぱり難しいですね・・・。 

2012年7月2日月曜日

360度評価は良い仕組みか?

360度評価というやり方が言われ始めてから随分時間も経っているので、それほど目新しい制度ではないかもしれません。導入している会社もありますし、制度としての良し悪しにはいろいろな意見があると思います。
私自身も360度評価は良い仕組みなのか」という質問をされることもありますので、ちょっと自分の考えを述べようと思います。

結論から言うと、「対象者の“やる気”につながるかは運用次第で、マイナスに働いてしまう危険性をはらんでいる」ということです。

例えば、周りの人たちみんなから評価されることによって、お互いの信頼関係が確認され、自分の課題も認識できたとすれば、良い意味の“やる気”につながりますが、単に相手の欠点を指摘する“ダメ出し”のようになった場合、「なにクソ」と思って前向きに捉えられれば良いですが、必ずしもそうはいきません。

もちろん一般的な人事考課でも同じ危険性はありますが、例えば若手の部下や一般社員のように人を評価することに慣れていない場合、評価する相手に対して一方的な不満を抱えているような場合、他部門の同僚で評価できるほどの接点がない場合など、評価の客観性を歪める要素が通常の人事考課より格段に大きくなります。

  このあたりに配慮した制度にしたり、評価者研修をするなど工夫して運用している会社ではうまく機能している話を聞きますが、360度評価を行ったことでかえって社内の人間関係を阻害してしまったと言う話も聞きます。
  特に周囲すべてから評価される管理者のストレスは相当なものです。 どんな人でも一方的にダメだしされればヘコミますし、それが定期的に繰り返されるとすれば、何かに取り組もう、改善しようという前向きな気持ちにはなかなかなれないでしょう。
  もし制度導入を考えるのであれば、マイナスの影響を減らすためのより細かな配慮が必要であると思います。

  ずいぶん以前に聞いた話で、教育改革の一環で、先生たちの評価に360度評価を適用するということがありましたが、様子を聞いているとどうも選別の要素が強く、ダメ出しをしてその人を排除するという考え方のように見えました。
  「選別して排除することで事態は良くなるのか・・・・」。 その点について、私はとても疑問です。

2012年7月1日日曜日

伝えることの難しさ

  前回伝えることの重要性について書きました。

  出来る限り伝えられることは伝えるべきだと述べましたが、私自身の経験でも、実際にはなかなか難しいことがあったのも事実です。
  伝えたことに対しての適切でない理解、無用な心配、あらぬ誤解、何か隠しているのではないかという疑念など・・・。

しかしこれらがなぜ起こるのかを考えてみると、情報を受け止めるための前提となる情報をきちんと伝えていなかったためということに気づきます。一度嘘をつくと、辻褄を合わせるために、更に嘘をつかなければならなくなることに似ています。

  私が関わった会社でのことですが、一時かなりの業績悪化に見舞われて、賞与の大幅削減をしなければならなかったことがあります。

  その時は経営者自身が直接、数字的な背景も含めてありのままの状況を順序だてて話し、社員に協力を仰いでいったところ、大半の社員が思いのほか冷静で前向きに対処していたという経験があり、とても印象に残っています。
  話す態度なども含めてきちんと情報を与えると、仮にネガティブな情報であっても、受け取る側は冷静に、客観的に受け止められるという一例だと思います。

相手が“受け止められない”という原因の多くは、無用な情報制御や隠蔽、事実と私見の混同、理解を深める姿勢や態度の欠如など、伝える側の問題といえるのではないでしょうか。

伝えることの難しさの解決も、結局はきちんと伝えるということから始まるのではないかと思います。