2021年9月27日月曜日

「失敗に学べ」と言われるけれど・・・

失敗を前例として、その後の行動に活かすのは大事なことです。ただ、私自身のことで振り返ってみると、これが結構難しいことではないかと思っています。

 

そもそも私には、明確に「失敗した」と自覚した記憶があまりありません。ただし、それは今までの経験を何も振り返っていないということではありません。

ここはイマイチだった、ここはまあまあ良かったなど、常に振り返って反省することはあります。ただ、そのイマイチだったようなことを、必ずしも「失敗」とは思っていません。反対に、クライアントから「良かった」などと言ってもらえることも、そのまま成功として受け入れることはありません。みんなが「うまくいった」「良かった」といっているようなことでも、必ずそうではない何かを探しています。

 

今までいろいろな仕事を経験してきている中で、すべてが成功だったということはなく、何かしらの反省材料は必ずあります。その一方、すべてが失敗だったという経験もありません。ここは計画通りだったとか、ここはうまくいったとか、そういう部分は必ず含まれています。

 

結局は「失敗は何か」という感じ方の違いで、そこから学びがあるか、そうでないかは変わってきます。失敗に対する感じ方は人それぞれで、本人が失敗とは思っていなければ、そういう視点での学びはありません。逆に失敗を強く自覚する人は、うまくいかなかったことからの学びは常にあるかもしれませんが、そうなることを恐れたり、自信を失ったりすることが多いのではないでしょうか。

 

私の周りには、とても成功しているように見える経営者やビジネスパーソンが大勢いますが、その人たちが「失敗も学んでいるか」と言われると、あまりそうとは感じられないことが多々あります。

前向きにいろんなことに取り組んで、「これはうまくいった」という話を聞くことはよくありますが、事業の縮小や撤退、プロジェクトの低評価といったことに遭遇しても、「失敗した」という話を聞くことはまずありません。何かしら前向きな理由を言い、そのための仕切り直し、リセットのような言い方とします。強がりもあるかもしれませんが、少なくとも「失敗から学んだ」という態度ではありません。

明らかに失敗している状況に対して鈍感すぎるのは問題ですが、こういう例のように、実際に仕事をしていて「これは失敗だった」と明確に意識していることは、実はそこまで多くないのではないでしょうか。

 

失敗体験が大事と言いますが、仕事を教えるときに「ちょうど良い失敗」をさせるのは非常に難しいです。失敗は偶然の産物であることと、その人によって失敗という自覚の度合が違うことからです。周りから見た大失敗が、本人にとっては何でもないことだったり、大したことのないミスが本人にとっては大失敗の認識で必要以上に落ち込んでいたり、状況はいろいろです。

そんなことから、失敗させることを通じて仕事を教えることは、ほぼ無理なことではないかと思えます。

 

こうやってみていくと、失敗体験というのは、人材育成の面でも自己啓発の面でも、確実な学びにすることは難しいように感じます。

失敗から学ぶには、「本人が失敗を自覚すること」で初めてそれが可能になることを理解しておかなければなりません。

 

2021年9月16日木曜日

無意識だと同じ行動を繰り返す

コロナ禍のため自宅で仕事をすることが多くなり、人との会話や身体活動が減ってしまうので、その気分転換と運動のために、よほどの悪天候でない限りは毎日の散歩が日課になっています。同じような人も多いのではないでしょうか。

そんな中でふと気づいたことですが、この散歩ルートは無意識のうちにいつの間にか、毎日ほぼ同じ道を歩くようになっていました。特に行先もなければそうなってしまうのは仕方がないのかもしれませんが、同じ行動を繰り返していては、毎日の景色は変わらず、何も変わったことは起こりません。

 

私自身の意識に、「同じことをしている限りは同じことしか起こらない」というものがあります。

会社勤めなどでは特にそうですが、毎日同じ時間に家を出て、同じ時間の電車に乗り、場合によると車両も乗車位置のドアも同じだったりします。

同じオフィスに向かって、顔見知りの同じメンバーと一緒に、日次、週次、月次で繰り返されるような同じ仕事をしていたりします。定例〇〇のようなものに多くの時間を割かれます。

そんな中では、刺激的な出会いも、好奇心をくすぐられるようなことも、面白い経験もする機会はほぼありません。身近な行動を変えなければ、悪い変化に出会うことは少なくて済むかもしれませんが、良い変化にも遭遇することはできません。

企業の中でも、意識改革や組織変革を声高に言う人に限って、毎日同じような行動パターンを続けていたりします。本人が変化しようとしないのに、周りだけ都合よく変化することはありません。

 

もちろん、同じことを繰り返すのは、決して悪いことではありません。例えば同じ品質のものを作り続けるような仕事では必要なのかもしれません。

ただ、これはあるベテランのパン職人が話していたことですが、温度や湿度、気圧といった環境は毎日違い、原料の品質も少しずつ違ったりします。そういう中では、前と同じ仕事をしたからと言って、同じ製品にはなりません。その時の状況を見極めて、それに合わせて変化しないと、同じものは作れないと言っていました。生み出すものは同じでも、常に変化が必要なのです。

 

また、技術や文化、人の気持ち、流行、その他時代の変化は常にあり、同じ行動をやり続けていることは、気づかないうちに徐々に退化していることになります。わずかであっても変化する意識は必要です。

ただ、「同じことをしている限りは同じことしか起こらない」と意識していたつもりの自分でも、無意識のことでは同じ行動の繰り返しに陥ってしまっていました。人間は無意識だと同じ行動になりやすく、意識していないと行動を変えるのは難しいということです。

 

毎日規則正しく過ごすことが大事という人はいるでしょう。特に日本人には多いようです。

ただしその行き過ぎには弊害があります。同じ行動は同じ結果しか生み出しませんから、前の日と同じ行動をしている限り、今日もほぼ同じことしか起こりません。悪い変化は少ないかもしれませんが、良い変化もありません。そしてそれは徐々に退化していることです。

 

もし明らかな危険がないならば、歩く道順をちょっと変えるだけでも、何か面白いことに出会うかもしれません。それが大きな可能性につながることもあり得ます。

まずは身近な少しのことから変えてみると、意外な幸せが待っているかもしれません。意識しなければ行動は変わりません。

 

 

2021年9月13日月曜日

「自発的行動」がやり方次第では困ること

指示待ちにもそれなりに理由があるという話は、以前書いたことがありますが、やっぱり「指示待ちは困る」という声は相変わらずのことです。

ある会社のマネージャーですが、一人のメンバーの女性のことで困っているそうです。「いちいち細かく指示を伝えないと、自分で考えて行動できない」というので、ある意味指示待ちと同じようですが、よく聞くと「余計なことに時間をかけていてとにかく仕事が遅い」そうです。

一つ一つの動きが遅く、並行して作業することが苦手なようで、手際の悪さはあるようです。また、最後にまとめてやればいい確認作業を途中で何度もしていたり、変更されることがわかっている書類をその都度印刷していたり、要はいちいち指示しないと、穴を掘っては埋め、そしてまた掘るような無駄な作業を、よく考えずに延々とやってしまうそうです。

確かにマネージャーの困る気持ちは理解できます

 

ただ、よく聞いていると、この女性メンバーの仕事ぶりは、問題点ばかりというわけではありません。まず、基本的に手を抜いたりサボったりすることはなく、どちらかというとそれほど重要ではないこと、無駄なことに時間をかけて、過剰にやっていることがほとんどです。

指示するとその通りの手順を守り、自分勝手にアレンジすることはありません。手際が悪いので時間がかかるという問題はありますが、「言われたことを言われた通りにサボらずにやる」という特性があります。

 

マネージャーは「もっと自分で考えて行動してほしい」といいますが、私はこのマネージャーに「自分で考えて行動される方が困ることがある」という話をしました。それは、その人が自分で考えて行動した結果が、こちらの意図とは必ずしも違うこともあり、それを正すのは「指示待ちの人を指導すること」以上に多大な労力を必要とするからです。

 

自発的行動をする行動力があるタイプの人は、仕事の進め方ではいろいろ自己アレンジをしますが、それがサボりや手抜きにつながっていることが、往々にして見受けられます。「効率の良さ」と「手抜き・サボり」は背中合わせなので、そこの判断基準を間違って自分で行動されると、直接的なトラブルにつながります。

さらに、こちらからの指示は守ったり守られなかったりします。その指示に対して「自分で考えて行動するから」です。命令違反として抑えつけることはできますが、それで行動が変わるとは限りません。指導し続ければ改善するかもしれませんが、思ったようには変わらないかもしれません。

こういう人材の育成は、マネージャーの仕事として取り組まなければならないことですが、目の前の仕事を確実にこなすということを優先して考えれば、「指示通りに動く」という人は頼れる存在になります。

 

「指示と同等の行動を自発的にできる」のはベストです。「指示されても行動できない」のは根本的な部分に問題があるでしょう。

ただ、「指示とは違う行動をする」と「指示されればその通り行動する」を比べれば、後者の方が圧倒的に好ましく、仕事ができる人と位置付けられます。

 

この話の結論は、「その人の能力、特性に合わせて指示したり考えさせたりすること」となりますが、こと「自発的行動」というのは、そのピントがずれていると仕事の上ではとても困ります。

「指示通り行動できる」という特性は、もう少し評価されてもよいのではないでしょうか。

 

 

2021年9月9日木曜日

「話を聞かない」と自覚している人は少ない

最近、リーダーのコミュニケーションに関する様々な記事を目にすることが増え、その反面教師のような形で現首相(退陣が決まりましたが)の様々な行動が指摘されています。

言質を取られないことを最優先にするかのように、質問に答えなかったり、それ自体を制限したりする姿勢は、確かに誠実さに欠けると思います。不真面目な人には見えませんが、コミュニケーションを拒めば周囲から理解されることが難しくなるのは当然でしょう。

 

また、他人からの意見を聞く耳がないとの指摘もあります。自分が興味のあることしか反応しない、違う意見を受け入れずに恫喝するなどといったことですが、事実がどうなのかは確認しようがないのでわかりません。ただ、同じようなタイプのリーダーは、企業の中でも目にすることはあります。

 

このタイプのリーダーたちが、自己評価で「他人の話を聞いていない」「意見を取り入れようとしない」と自覚して反省するようなケースは、たぶんほとんどありません。

本人としては、常にアンテナを張って情報収集をしていて、いろいろな人からいろいろな話を聞いていて、そんな幅広い意見を取り入れながら適切な選択、判断をしていると思っています。そういう人に「人の話を聞かない」「聞く耳を持っていない」「頑固で柔軟性がない」などと指摘しても、通じるはずもありません。本人がそんなことをこれっぽっちも思っていなければ、それは仕方がないことです。

 

なぜそう思わないかと言えば、本人は本人なりに意見を聞こうという意識があって、それを実行している自負もあるからです。

ある会社の社長ですが、社員との食事会や意見交換会と称したイベントをいつもやっていて、社員とのコミュニケーションを重ねている自負がありました。ただ、部外者の私が社員たちを見ていて、決してコミュニケーションがとれている状況には見えません。

 

一度、意見交換会の様子を見せてもらったことがありますが、社員の意見を聞くというよりは、社長自身が思っていることやマイブームではまっている話を、一方的にしている場面がほとんどでした。時々、社長から社員に質問を投げかけていますが、それまでの前振りで模範解答が見えているような話であったり、あくまで社長の興味の範囲で、社員たちが言いたいこととはかけ離れているような内容だったり、とにかく意見交換をしているという雰囲気ではありませんでした。

 

社長は「いい話ができた」と満足した様子でしたが、私が感じたままのことを伝えると、とてもびっくりして、何がまずいのか、どう改善すればよいのかといったことを、私に一生懸命に聞いてきました。

きっと人の話を聞いて、それを取り入れようとする姿勢や、異論を受け入れることができる謙虚さも持ち合わせた社長だったのでしょうが、そんな人でもあまりコミュニケーションが取れていない現状への自覚はありませんでした。

やはり自分が意識するだけでは、話を聞く相手は自分が聞きやすい人に偏り、内容は自分の聞きたい話に偏り、雰囲気は耳ざわりが良い話しか出ないものに偏っていました。

 

やはり、一定以上の立場になると周りが苦言を呈することはなくなり、相当自覚していないと、話をする相手は自分と気が合う人ばかりに偏りがちになります。それでは「話を聞かない」のと同じことです。

「話を聞かない」と自覚している人は少なく、それを自覚すること自体が難しいことです。組織内で立場が上の人ほど、自分と異なる視野を持ったご意見番に、身近にいてもらうことが重要だと思います。

 

 

2021年9月6日月曜日

「うれしい電話」と「面倒な電話」

最近は、人と対面で会うことが、なかなか気軽にはできなくなっています。

そんな中、メールなどではたまにやり取りをしていながら、ほとんど会うことも話すこともできていなかった知人と、実はたまたまの間違い電話がきっかけで久しぶりに話をしました。

携帯のアドレス帳を間違って押してしまったというだけですが、まったく用事はないもののお互いに声を聞くことができて、そんな消息確認だけですが、やけに「話せてよかった」という気持ちが湧いてきました。

会えれば本当はそれが一番ですが、こういう時期では電話であっても声を聞いて会話することが、とても意味があるのだとあらためて感じることができました。

 

その一方、私自身は「電話が面倒だ」と思うことが最近増えてきています。特に仕事上でのことが多いですが、単純に「その話は電話じゃなくても良くないか」「できればメールにしてほしい」といったことです。

「電話したいけど大丈夫?」「何時ごろなら出られる?」などと事前に聞いてもらえることが増え、やはり「電話は相手の時間に割り込んで奪う」ということに気を遣う人が増えたのだと思いますが、それでもやっぱり何でもすぐ電話で済まそうとする人は、少数ですが相変わらずいます。だいたい決まった人です。

 

先日も電車での移動中に何度も着信が入るので、急いでいましたが仕方なく下車して折り返してみると、案の定あまり急ぎの話ではなく、しかもこちらがメモを取らないと聞き取れないような話を取り留めなくしてきます。

「移動中でメモを取れる状況ではないので、内容をメールで送ってください」といって電話を切りましたが、こういうことがちょくちょくあります。

私の中では「この人からの電話はたいして重要でも急ぎでもない」とインプットされていて、電話応対ができない時はほとんどそのまま放置していますが、それで困ったことは今のところありません。

そもそも、先方が文書を書いてメールしてくれればそれで済むことを、電話してこちらにメモさせようとしているのは、明らかに自分が面倒だからそうしているわけで、そのせいで私の時間は余分に奪われています。

 

私が「電話が面倒」と思うことが増えたのは、メールやチャット、ショートメッセージなど、それ以外のコミュニケーションツールが増えたことで、電話をしてくる人が「相手に時間を取らせること」に対してどのくらい気を遣っているかが、はっきりわかるようになったからです。

 

折り返しても相手が出ない、折り返されてもこちらが出られない、それでいつまでも行ったり来たりするような非効率は電話ならではのことですが、電話で話さなければ伝わらないことは、仕事の中ではごく一部しかありません。

要件を言わずに「折り返してほしい」というだけの伝言が入っていることがありますが、いつ連絡するかは要件によって自分で決めたいのが私の本音だったりします。その判断ができるか否かが相手の伝言の仕方次第になってしまう「電話」というツールは、私にとっては不便で仕方がありません。

ただこれは、代表電話などで誰かが取り次いでくれていた時にはなかったことで、携帯で本人に直接かかるようになったからでしょう。

 

私の感じ方は少し極端かもしれませんが、これからもいろいろなコミュニケーションツールが増えてくる中では、その使い方に関するマナーもどんどん変わっていくのだと思われます。私自身も気をつけていないと、いつかついていけなくなって、知らないうちにいつの間にかマナー違反や非常識な行動に陥らないとも限りません。

 

少なくとも電話に関しては、うれしいものが増えて面倒なものが減ってほしいと切に願っています。