2014年12月29日月曜日

黒田博樹投手の「戻りたい気持ち」と広島カープが作った「戻りたい組織」


ニューヨークヤンキースに在籍していた黒田博樹投手が、年20億円とも言われるメジャー球団のオファーを蹴って、その5分の1程度と言われる条件で広島に復帰することが決まりました。

私は特に広島ファンということではありませんが、黒田投手の決断はすごいことだと思いましたし、いろいろなメディアで「男気がある」との賞賛されていることも、本当にその通りだと思っています。

黒田投手の行動がすばらしいことは間違いありませんが、それ以上に私は、かつて在籍していた選手をこのような気持ちにさせる、広島カープという球団組織に注目しています。

戦力的に強豪とは言えず、資金も決して潤沢ではない地方球団ですが、ドラフトの指名選手が第一志望だったと言っていたり、黒田投手以外にも出戻りの選手がいたりします。無名選手が活躍するという面でも、他球団より目立っている感じがします。

広島カープという組織に、なぜそれほど人を引き付けるだけの魅力があるのか、私にはメディアを通じての断片的な情報しかありませんが、それでもその一端として感じることがあります。

例えば、昨年のドラフト一位指名選手は、「たいしたことなかった頃からずっと見てくれていた」というコメントをしていましたし、黒田投手についても、戻ってくれるならということで、毎年オファーを出し続けていたそうですが、これらのことから感じたのは「相手に対しての誠意を、態度をぶらさずに見せ続ける」ということです。

私が人事の仕事に関わる中で、人の採用、確保というのはどの会社でも大きな課題です。今は思うように人が採れない会社も多いですが、そんな状況にもかかわらず、人がどんどん辞めていく会社、社員を敵に回す会社、その他、社員が居つかないような会社が沢山あります。

そういう会社を見ていて感じるのは、この「人に対する誠意」とは正反対の部分です。
必要以上に駆け引きをしていたり、実態よりも良く見せようとして伝える情報をゆがめていたり、会社の都合だけで一方的な主張をしたり、同じく自分の都合で相手を持ち上げたり見下したりということをします。時と場合によって、相手への振る舞いが違うので、相手からは本音の部分で信用されません。

外資系企業では出戻りがわりと一般的ですが、最近は日本の企業でも、辞めた社員の出戻りを認め、実際に元の会社に出戻る社員の数も増えてきています。
出戻りが成立するためには、お互いの信頼関係がなければなりません。そこには当然、その人が辞めたときの経緯や在籍中の仕事ぶりという要素もありますし、会社が社員に対して行ってきた行動、言動、対応という要素もあります。

会社側からの視点であれば、出戻りを認めないまでも、辞めた人も含めて「この会社で働きたい」と思われるようでなければ、今いる人が定着することは見込めません。それは決して給与など金銭面だけの問題ではありません。

広島カープのような「戻りたい組織」を作るには、「人に対する誠意」というのは、結構重要な要素なのではないかと思います。


2014年12月26日金曜日

「売りたい人」からは買いたくない心理


これは私の仕事柄もありますが、様々な団体の懇親会や異業種交流会といったイベントに、ときどき参加することがあります。

良い出会いに巡り合うためには、人と出会う機会を増やさなければなりません。様々なイベントに参加してきたおかげで、ビジネスパートナー、経営者同士の友人、飲み友達など、いろいろな仲間と出会うことができました。

そんなたくさんのうれしい出会いの一方で、人と出会う機会を増やそうとすればするほど、自分にとってはわずらわしいだけの、お相手には失礼ですが、無用な出会いというものもあります。ごく一部の人ではありますが、時間をかけて信頼関係を結ぼうという付き合い方ではなく、目先の商売だけが目的の人です。

私が最も苦手なのは、ただ一方的に「売りたい人」です。相手の事情は大して聞かず、強い押しで自分が扱っている商品やサービスの売り込みをしてきて、しかもそれが一方的でしつこかったりする人です。
30分前に名刺交換をしただけなのに、もう携帯に電話をしてきて、会いましょうとかお話がしたいなどと言われます。

少なくとも私は、大した知り合いでもないうちから、一方的な売り込みをしてくるような人からは、絶対に物は買いません。これはその人が売っているものがどんなに高品質であっても、その時に必要と考えていたものだったとしても、それは変わりません。
理由は単純で、ビジネス上でWin-Winの関係を築けない人とは、ビジネスをする気はないということです。

この手の「売りたい人」に共通しているのは、圧倒的に相手目線が足りないということです。そしてさらに、あまり余裕のなさそうな人たちが多いということです。

経営が厳しいとか、ノルマに届かないとか、その人なりの事情はあるのでしょうが、やはり自分に余裕がない人に相手のことを気遣う余裕などあるはずもないでしょう。
自分の都合ばかりが先行してしまい、その結果として、ビジネス上の成果にもあまりつながっていないという悪循環に陥っている感じがします。

そのことに気づかず、少なくともご本人は良かれと思ってやっている場合もあるでしょうし、実はそのことには気づいていても、しつこく売り込むことしか方法を思いつかず、やむを得ずにそうしている場合もあるように思います。

この押しに負けて商品やサービスを買う人がどれだけいるのかはわかりませんが、私の感覚では、たぶん多くの人は、押しが強く売り込まれるのは、あまりうれしくないのではないかと思います。

強引でも売り込むことが良かれと思っている人はともかく、歓迎されないことに気づきながら、方法が見つけられないという人は、今一度相手目線に立って工夫をすることで、ずいぶん結果は変わるように思います。

私にとっても無用な出会いが少なくなれば、それが一番うれしいことなのですが、世の中の様子を見ていると、まだまだそうはならないのかもしれません。


2014年12月24日水曜日

約束した時間をすぐ変える人


私自身は、どちらかといえば約束や時間を守ることにはうるさい方だと思います。
もしもお相手の方とアポイントを決めたら、よほどの緊急事態ややむを得ない事情でも起こらない限り、それを変更することはありません。
私の周りの方々、クライアントの皆さんも、ほとんどが同じような考えの方々です。

ただ、先日ある方を通じて予定されていたアポイントが、先方の都合で変更になったということがありました。そもそもは先方が指定してきた時間での予定だったにもかかわらずです。
その仲介をしていたベテラン営業の方は、「あの会社のやつらはいつもそうなんだよ」などとおっしゃいます。

そこで私が思い当たったのも、せっかくアポイントをとっても、後からその時間を変更して欲しいと言ってくる人はいつも決まっているということです。しかもそれが結構な頻度で起こります。

そんな中である日たまたまですが、その人がまさに約束を変更している場面に遭遇したことがあります。
見ていてわかったのは、その人はどうも他人の序列をはっきりとつけていて、その相手によって約束の時間を変えているということでした。

自分よりも上と見ている人が何でも優先で、自分よりも下と見ている人とのアポイントを上書きして変えてしまっていました。例えば受注している顧客を優先して、発注先業者とのアポを変えてしまう、上司の予定を優先して、部下との予定は後回しにするなどということをしています。
先に入れた予定優先ではなく、相手と自分との力関係が優先なのです。

そんな目で、その方が他の人と接する様子を見ていても、上の人には必要以上に腰が低く、逆に下の人にはやけに横柄という感じがします。相手によって態度の違いが大きいようです。

これを見た時、私は「やっぱりこの人は信用できないな」と思いました。たぶんどんな内容のことでも、相手が自分よりも下だと見れば、一度合意したことでも、ゴリ押しして変えてしまうような人だと思ったからです。ビジネスをしていく上での信頼関係を結ぶことができそうにありませんし、こちらが一方的に損をするようなことにもなりかねません。

ほんの一つの小さなことであっても、よく見ていると、やっぱり一事が万事で同じような行動を取るものです。小さな約束を破る人は、大きな約束も破ります。

私は、この手の人と会うのははっきり言って面倒なので、よほどの用件がなければ会いには行きませんでしたが、それは「自分が変な損害を被らない」というビジネス上の判断としても、実は正しかったのだと思ってしまった一件でした。

2014年12月22日月曜日

「意見を持っていない」のか、それとも「意見があっても言えない」のか


ある会社での、部長とリーダーのやり取りからです。

部長はリーダーに、「もっと積極的にいろいろな提案をして、自分から動いてほしい」と言っています。全般的に自分から率先して動き出したり、周囲を巻き込んでいくような行動というところが、少々不足しているようです。

これに対するリーダーの反応は、「はい・・・」「そうですね・・・」と今一つな感じです。ちょっとおとなしそうで内向的なタイプにも見えるので、自分が先頭に立って動くようなことは、あまり得意ではないのかもしれません。

ちょっとお邪魔かと思いながらも、そのやり取りに対して私がリーダーに尋ねたのは、「意見があるけど言いづらくて言えない場合と、そもそも自分が気にも留めていないことで、意見自体を持っていない場合と、どちらの場合が多いですか?」ということです。

それに対してのお答えは、「うーん・・・。半分半分くらいですかね・・・」とのこと。まぁ私にとっては想定通りの答えです。
だいたいこの質問は、誰に聞いたとしても「言えないことも考えてないことも、その時と場合によって両方がある」というのが一般的な答えです。
その割合については、本人の性格や能力によっていろいろですが、少なくとも「全部言えないことばかり」か、もしくは「何一つ考えていない」という両極端の人にだけには、いまだ出会ったことがありません。ほぼすべての人が、この両方の要素を持っています。

これがどういうことかというと、「意見を持っていない」ということについては、考える能力を身につけさせなければならないということで、業務経験や教育研修、その他の経験などを通じて、時間を掛けなければ変わっていきません。そもそも能力的に厳しいのかもしれません。

一方、「意見があっても言えない」ということについては、自分なりに考える力はあるということであり、少し環境を変えればそれを表現できるかもしれないということで、短期的に変われる可能性があるということです。そしてどんな人でも、一部にはすぐに変われる可能性を持っているということです。

こういう話をしたときに、上司側の反応で多いのは、「そんなのは甘やかしすぎ」「リーダーほどの立場なら、それくらいは自分で何とかすべき」というようなことです。
確かにこれは間違っていません。私だって「いい年の大人でそれなりの経験もあって、相応の立場になっているんだから、それくらいは自分でどうにかしようよ」と言いたいところです。

しかし、そう言い切ってしまうのは、「相手が変わらない限り、自分は変われない」と言っているようなもので、結局は現状をそのまま放置するということにつながります。

それよりは、意見を持っているならそれを吸い上げる環境を作り、言っても大丈夫なんだという成功体験をさせ、自発的に考える習慣づけを徐々にしていった方が、会社としての情報収集の面でも、リーダーの人材育成の面でも、プラスが多いように思います。

相手がリーダークラスともなると、ついつい「自分で何とかしろ!」と言いたくなってしまいますが、会社の変革や進歩のためと割り切れば、私は多少の甘やかしと思われることでも実行した方が得策だと思います。

どこの会社でもありそうなやり取りですが、皆さんの会社ではどのように感じられるでしょうか。


2014年12月19日金曜日

「良い失敗のさせ方は難しい」という話



ある会社の社長さんとお話をしていて、たまたま人材育成の話になりました。

まずお互いに言ったのは、「失敗する経験って大事だよね」ということです。
失敗をしないで済むならば、それに越したことはないのかもしれません。しかし、失敗しなければ身に染みてわからないことはありますし、失敗を通じてでなければ学べないこともあります。
自信をつけるためには成功体験が大事ですが、失敗体験とそれに対する反省がなければ、自分の引き出しは増えていきません。やっぱり人間というのは、痛い目を見ないと懲りないというところがあると思います。

そんなやりとりの後、そこでまたお互いに言ったのは、「でも失敗のさせ方って難しいよね」ということです。
その難しさには大きく二つのことがあります。「失敗の内容を制御する難しさ」「失敗を認識させるやり方の難しさ」です。

まず“失敗の内容”ということでいえば、単に失敗と言っても、その中身はいろいろあります。会社の経営を揺るがすような失敗は、これをさせる訳にはいかないですし、かといって、何でも初めからレールを敷いてしまうのは、本人が自分で考える機会や考えたことを検証する機会を奪うことになるので、その人の成長にはつながりません。

指導をする側からすれば、失敗をするかもしれない想定範囲を認識しておく必要がありますが、そうそうこちらにとって都合の良い失敗ばかりをしてくれるはずがありません。ある程度の想定はできたとしても、結局は読み切れないことであるという根本的な難しさがあります。

それよりさらに難しいのが、本人に“どうやって失敗を認識させるか”という方法の難しさです。
失敗に対する反応というのは、個人個人のタイプや性格によって大きく異なります。その人によって対応を変えなければならない、完全な個別論の世界になってきます。

指導する側にとっての困った反応として、「失敗に学ばない人」「失敗を恐れる人」の二つがあります。
例えば、あまりショックを与え過ぎないようにオブラートに包んで対応したら、本人は全くこたえておらずに再び同じことをしたりとか、逆に失敗を恐れすぎて、上司がいちいち指示しなければ行動しなくなってしまったりということもあります。

また、こちらがオブラートに包んだつもりでも本人にとっては大ショックだったり、逆に相当きつく伝えているつもりなのに、本人はあっけらかんとしていることもあります。自覚の程度には、本人の性格だけでなく、失敗の内容や周囲の人との関係など、様々な要素がかかわってくるので、さらに難しいところだと思います。

結局、「良い失敗のさせ方はどうすればいいか」についての結論は出ませんでしたが、しいて言えば、個々の状況をよく観察し、その状況に応じて教えていくしかないということだと思います。よほど突発的な失敗でない限り、途中で制御することはできますし、どうやって自覚させるかという方法も考えられます。

実際、教える側にはかなりの忍耐が必要でしょうし、場合によっては顧客に向けた謝罪など、尻拭いをしなければならない場面もあるでしょう。ただ、例えば本人をそういう場に立ち会わせるだけでも、それなりの教育効果はあるはずです。

「良い失敗のさせ方」は難しいことですが、常に考えておく必要があるテーマではないかと思います。

2014年12月17日水曜日

「人」に関する戦略と実行が縦割りにされる弊害



最近、人手不足の問題をあちこちの企業から聞くようになりました。
私はIT業界にかかわりが深いので、そこから話を聞くことが多いですが、最近の技術者不足の傾向はかなり顕著なようで、プロジェクトの要員体制を組もうにも、なかなか思い通りに行かないことが多いようです。案件はたくさんあるが、やる人がいないという状況のようです。建設関係の業界の方からも、同じような状況のお話を聞きます。

人材動向をマクロ的な視点で見ると、状況が大きく変わってくることは明らかです。
国内で見れば少子高齢化ですし、人口も減少に転じていますから、日本人の労働力は徐々に減っていきます。そもそも日本人の中に若手がいなくなっていきますから、今までのように新卒採用で生え抜きを育てるような方法は徐々に難しくなっていきます。これは中途採用でも同様で、少なくても今までのような「業務経験がある30歳前後の若手」などという採用基準はもう成り立ちません。

不足する人材の穴埋めをどうするかを考えていかなけれななりませんが、これには女性や高齢者の活躍推進、外国人の登用、ITを活用した省力化や自動化など様々な方法が考えられ、しかもそれを業界動向や市場動向、自社の状況などに合わせて組み合わせていく必要があります。

より良い仕事内容とより良い職場環境を整備して、人材を引き抜くことができるような企業競争力をつけることも必要でしょうし、未経験者でも早期に戦力化できるような育成ノウハウも必要でしょう。IT化に向けた投資や海外人材の受け入れ態勢も、必要になってくることがあるでしょう。

中長期的な視野で、「人」という経営資源をどうしていくかという、俗にいう“人事戦略”が重要になってくるということで、これは企業規模を問わず、どんな会社でも同じだと思います。

しかしこういう話を、比較的企業規模が大きい、いくつかの中堅企業の人事の方々へしたときに言われたのは、「それは人事部門の仕事の範疇ではない」ということでした。

ある会社では「それは経営企画の仕事だ」と言い、ある会社では「役員クラスが考えることだ」と言います。では人事部門が何をするのかと尋ねると、しいて言えば今期来期あたりの採用目標数や研修の企画を決めることぐらいで、中には「現場の要望を集めてそれを合算するだけ」というような企業もありました。あくまで現場で作業する実行部隊という認識のようでした。

私は企業の人事戦略作りとその実行をお手伝いすることがあります。
うまく進めるためには、戦略を立ててそれを実行しながら直していくということが大切になりますから、戦略の企画と実行が近い距離にあることが必要になります。

しかし、、そういう体制が取られている企業は、実はあまり多くありません。企画部隊と実行部隊は分離されていることがほとんどです。
相応の規模の会社であれば、先に述べたように部門で縦割りにされていますし、小さな会社であっても、社長が指示して担当者はそれを実行しているだけというようなことが多いです。

CEO(最高経営責任者)、CFO(最高財務責任者)、CIO(最高情報責任者)と同じような位置づけで、人事の責任者をCHO(最高人事責任者)と呼ぶことがあります。
まだまだ一般に認知されているとは言い難いですが、今後の「人」に関わる戦略の重要性を考えると、このCHOのように全体に目を配るという位置づけは、これから必要性が高まってくると思いますし、私たちがすでにこういう形でご支援するような企業も出てきています。

「人」に関する課題は、時間がかかるものも多いです。そろそろ準備が必要な頃ではないでしょうか。

2014年12月15日月曜日

「協調性」が行き過ぎて「依存性」となっている人の多さ


チームで動く方が大きな成果が得られますし、私自身はチームスポーツもやっていましたので、チームで何かを達成する喜びは知っているつもりです。
仕事の上でも何から何まで自分だけでできる訳はなく、いろいろな方々からの支援や助言を得ながらやってきましたので、他者と協調することの大切さは身に染みてわかっています。
あくまで自己評価ですが、自分ではそこそこの協調性は持っていると思っています。

その一方で、大きな組織に属している訳ではない今の自分の立場では、どんなことでも最後は自分の責任で決めなければなりません。ですから、自己決定ができない状況は、私にとっては最も好ましくないことであり、最後は他人の意見にとらわれないということでいえば、協調性に欠ける部分があるのかもしれません。少し注意しなければならない点だと思っています。

私は採用面接やその他企業内で行われるような面談に関わりますので、その場で多くの方々からお話をうかがいます。当然その方の性格的な特性が話題になることがありますが、そこで「協調性」をご自身の特性として挙げる人は、結構多いと感じています。

特に採用面接のような場であれば、その組織になじめる人、周囲とうまくやっていける人の方が、会社にとって望ましいことと考えて、応募者がそれをアピールしようとするのは当然でしょうし、そこで「協調性」というのは重要な要素ですから、その点を強調したい気持ちも理解できます。

ただ、最近特に感じるのは、この「協調性」に関する意識が行き過ぎて、「依存性」になってしまっていると感じる人が多いことです。

例えば、上司や会社からの指示命令に対して、思っていることがあったとしてもそれは表に出さずに従うだけであったり、不当と思われる扱いに対しても反論をしなかったりということがあります。さらに、何かちょっとした身近な議論をする中でも、自分の意見を結論的には言おうとしないということがあります。

ここには、「言いたいけど言いづらいから、言うと不利益につながるかもしれないから我慢する」という“非主張行動”の側面もありますが、どうも「誰かが決めてくれる」「自分以外の誰かに決めてほしい」「自分の責任で決めたくない」という、他者に対する過度な依存性を感じることがあります。

たぶん、先行きが見通しづらい今の環境の中で、とりあえず誰かにすがりたいとという部分があるのでしょうが、それでも話を聞いていて、なおかつその人の立場を考えると、「それは協調ではなくて依存でしょ!」と突っ込みたくなる頻度が増え、そう感じさせる人の割合も年々増えているように感じます。

他者を尊重しながら協調することは大事ですが、その中には行き過ぎがあって、他者に依存し過ぎの状況が増えていることが気になります。

上司任せ、会社任せ、他人任せで依存しているばかりでは、そのツケは結局自分に返ってきます。
ご自身の「協調性」が、実は「依存性」に陥っていないかを、今一度考える必要があるように思います。


2014年12月12日金曜日

行動力があるのか、それとも待てないだけなのか


昨今のビジネス環境では、特にスピード感が大事になっています。多くの材料を集め切って、綿密な計画を立てて物事を進めるような昔ながらのやり方は、それが通用する場面はとても少なくなっています。

こんな環境の中ですから、有能な経営者の方々というのは、概して行動も判断も早く、私自身は感心させられることも多いですが、やはりその反面では、どこか“せっかち”という部分があります。人の性格の長所と短所は裏表の関係ですから、同じ特性が良い効果をもたらすことも悪い作用をすることもあります。

これはある中小企業でのお話ですが、こちらの社長は何事にも非常に行動が早く、しかもビジネス上の判断はいつも的を得ていて適切です。外から見ているととても有能で立派な経営者なのですが、どうも社員との折り合いが今一つよくありません。

人事、組織の仕事に関わる私の立場としては、当然その理由は気になります。しかし、社員の方々からお話をうかがってみても、仕事上での不都合や不信感という話はほとんど出て来ず、今一つ事情がつかみきれません。

そんなある日、こちらの会社で催される宴会にご招待頂く機会がありました。実はそこでの社長と社員の方々の様子を見て、今一つスムーズでない関係の理由が何となくわかることがありました。

この社長さん、とにかく「待つ」ということができないのです。私はせっかちとは少し種類が違うと感じたのですが、例えば宴会の集合時間のかなり前から、「まだ行かないのか」「もう出よう」などといろいろな人に声をかけ始めます。普通に間に合う出発時間まで待てません。

会場に着けば、予定時間の前から、「もうだいたいみんな揃っただろうから始めよう」などと幹事に談判しています。開始時間が待てないのです。
会が始まったら始まったで、注文したものが来るまで待てないなどということは言うに及ばず、周りの人が飲み物を飲み終わるのすら待てず、勝手に注文していたりします。面倒見が良いという見方もできますが、様子を見ている限りでは、やはりいろいろなことが「待てない」としか思えません。

思えば社員の皆さんは、社長のこの感じにいつも付き合わされている訳です。こういうことは一事が万事、同じようなことは数えきれないほどあったはずです。
どうりで仕事のことをヒアリングしても出てこないはずですし、これが原因で社長のことをうっとおしく、煙たく感じてしまい、距離を取ろうとしてしまうのは無理もないという気がします。
 
これは、仕事上では長所となっていた「行動力」が、人間関係の上では「待てない」という行動として現れ、それが短所となってしまっていたということです。場面の違いでその人の特性が正反対の形で出てしまった一例で、なおかつその差が極端だったということでしょう。

長所と短所は裏表であるということ、そしてこのことは自分なりに意識しておかなければいけないということを、あらためて思った一件でした。


2014年12月10日水曜日

「やりたいこと」と「やるべきこと」と「できること」の距離


いろいろな調査の結果を見ていると、日本人は全般的に「仕事の満足度」が低い傾向にあるようです。しかし、それにもかかわらず、「今の会社に勤め続ける」という人の比率も多いようです。

転職がままならない雇用環境などという要因もあるでしょうが、仕事観として、自分の意志に関わらず、会社から与えられた仕事を義務としてこなすというような、「やるべきこと」を重視しているという印象を持ちます。

もしも、会社から与えられた「やるべきこと」と、自分の「やりたいこと」が合致していたとすれば、仕事の満足感は当然高まるはずです。
自社の中で自分の「やりたいこと」に巡り合い、その仕事に関わることができている人も大勢いると思いますが、私が企業で働く多くの人たちにお話をうかがっていると、この「やりたいこと」「やるべきこと」距離の平均値は、年々広がってきているように感じます。

会社という限定された環境で、なおかつ今の厳しいビジネス環境の中で、自分の「やりたいこと」に出会うというのは、なかなか難しいことなのかもしれません。

転職や起業という選択をする人は、もちろん必要に迫られてという場合もあるでしょうが、この「やるべきこと」よりも「やりたいこと」を重視した上での行動だろうと思います。
かく言う私も自営業ですが、やはり「やりたいこと」を重視した結果から、今の立場があります。企業勤務の時代に比べれば、それなりに大変な面はありますが、「やるべきこと」と「やりたいこと」の距離は比較的近いので、仕事の満足感はたぶん高い方だろうと思います。

ただ、転職や起業をしたからといって、仕事の満足感が高い人ばかりかというと、必ずしもそうではないようです。
例えば、転職後に任された業務内容や、独立後に依頼される仕事内容が、自分の「やりたいこと」とは違っていると嘆いている人がいます。以前と同じように、「やりたいこと」と「やるべきこと」の距離が遠いということです。

こういう人たちに対して私が思うのは、「やりたいこと」と「できること」の距離が遠いのではないかということです。本人の自覚としては「やりたいこと」と「できること」は合致しているのに、周りから見るとそうではないという状況です。

「やりたいこと」と「やるべきこと」を一致させるには、運や偶然の出会いにも左右されますから、自分の力だけではいかんともしがたいところがあります。
しかし「やりたいこと」と「できること」の距離は、自分の意識次第で把握することができます。またそれが自覚できていなければ、自分の「やりたいこと」にはなかなか到達しないのではないでしょうか。

「やりたいこと」と「やるべきこと」と「できること」が一致していることが望ましいのだとすれば、まずそのためには、「やりたいこと」と「できること」の認識ギャップを埋めることがスタートになるのではないかと思います。

自分の「できること」を「やりたいこと」に近づけていく努力が、実は大事だと思っているところです。


2014年12月8日月曜日

「他社事例の活用」を成功させるための一つのこと


私たちのようなコンサルタントの立場では、課題に関連する他社での成功・失敗事例の情報提供を、クライアントから求められることが良くあります。

他社事例というのは、その会社でうまくいったからと言って、これを別の会社に持ち込んだとしても、必ずしも成功確率が高いとは言えない面がありますし、逆に他社での失敗事例がそのまま当てはまるとも限りません。
ですから私たちは、その会社の様々な事情を総合的に見極めるとともに、その会社で活用できそうな他社事例を、複合的に組み合わせながら選択肢を示していこうとします。そうでなければ成功が見込めないことがわかっているからです。

しかしクライアントの中には、「もっと直接的に持ち込める事例を!」と要望をする会社がありますし、コンサルタントの中では、提案という名のもとに、その根拠が薄くても「この事例が有効である」などと言い切ってしまう人もいます。実務経験が少ない人には、この手の傾向が出がちでもあるので、注意する必要があります。

企業の採用活動においても、他社の有効な事例を持ち込みたいということで、大手企業や自社より大きい他社の役員や管理職経験者などに、このあたりの期待をして採用をすることがあります。
これも、その後の現場の様子を見ていると、うまくいっている場合と必ずしもうまくいっていない場合の両方がありますが、この成否に影響する大きな要素が一つあります。

それは、採用された人材のご本人が、その会社の現状を受け入れて肯定的に見ているか、元の所属会社と比較して否定的に見ているかということです。

想像がつくと思いますが、うまくいっているのは前者の「現状肯定派」です。現状が好ましい状態でないとしても、そこには過去から積み上がった何らかの経緯や事情があります。これを受け入れた上で、ご本人の経験や知識を加えていくことができると、状況は非常にうまく回り始めます。

しかし、このような対応が取れる人は実際には少数で、人数としては後者の「現状否定派」が圧倒的に多いです。
「こういう仕組みがないのはおかしい」「こういうマニュアルや資料がなぜ無いのか」など、前職と比較してのダメだし発言が多く、「○○社では・・・」と言いながら元の会社の話をします。
何かにつけて他者の例を引き合いに出して語る人を、「ではのかみ」などと揶揄する言葉があるようですが、ご本人は無意識であっても、この行動パターンの人が多いと感じます。

この手の人材が組織に入ってくると、会社の状況は二通りに分かれます。
その人の行動や言動が周りから総スカンとなり、結局は本人が辞めてしまうことになるか、現場のモチベーション低下を引き起こしながら居続けるかのいずれかです。
前者は組織改革に関して保守的な傾向が強まり、後者は軋轢が深まり、現場での会社不満が増長します。どちらも良い状況ではありません。

自社の課題解決に向けて、他社事例を参考にすることは、それなりに有用なことです。ただ、そのためには綿密な現状把握が必須であり、それを理解した上で対策立てて実行できる人材でなければ、他社事例を活用することは難しくなります。

問題の答えというのは、そうそう簡単に見つかるものではありません。


2014年12月5日金曜日

新卒内定者への“オヤカク(親確)”と、そこに感じる社会背景の矛盾


“オヤカク”とは「親への確認」の意味で、企業が学生を採用する前に親の確認をとっておくことを指して言います。

最近の採用活動の現場では、こういう動きがよく見受けられるようになりました。
特に今年は内定辞退が増えているため、それを防止する施策のアドバイスを求められることが増えましたが、その中にはこの“オヤカク”に相当する活動があります。

例えば内定者の家族や親族を対象にした会社説明会、懇親会の開催、挨拶状や会社資料などの送付、実家の家庭訪問などを検討し、実施する企業もあります。、

どんな企業でも「良い人材を確保したい」と考えるのは当たり前ですから、これらの活動はその意識に沿ったものです。
これは会社の規模を問わず、会社と社員の間で家族ぐるみの関係が作られていると、特に社員の定着にはとても有効に働きます。「社員に長く働いてもらうこと」を良いことと捉え、それを優先して考えれば、こういう活動も含め、社員の周りにいる家族、親族、友人といった人たちとの関係作りは、今後さらに大事になってくると思います。

ただ、こんな動きがある一方、社会的にはこれと異なる動きもあります。
例えば解雇規制の緩和という話があります。これはみんなを等しく長期雇用することは、企業としてはもう無理だから、戦力にならないと判断した人は、会社から追い出しやすくしましょうということです。
力があると見られれば引き留められるでしょうし、そうでなければ辞めてもらうということで、人材はその時その時の会社の事情で選別するということです。これは非正規で働いている人が増えている現状についても、同じことが言えます。

ここで“オヤカク”の話に戻ると、新卒内定者はそもそも戦力になるかどうかは仕事をやらせてみなければわからない面があります。もちろん真面目に責任を持って採用したでしょうし、さらに責任を持って育てていこうとしていると思います。それでも、言い方は悪いですが、将来的に「定着して欲しくない人材」になる可能性があります。

こうなると、周りの家族まで取り込んで、「長期的にお付き合いしましょうね」というメッセージを送っていたにもかかわらず、その手のひらを返さなければならない時が来るかもしれないということです。
もちろん社員の能力に起因することではありますが、これを社員の立場から見れば、「好きだと言われて家族ぐるみで付き合っていた婚約者に振られた」ようなものです。
会社側は通常以上に、しかも家族ぐるみで恨まれるでしょうから、これは非常に好ましくないことです。

私が採用現場に関わっている中で考えれば、“オヤカク”のような活動は良いことですし、必要なことだと思っています。ただここには、これから先の将来のことまで約束しているという側面もあります。
“オヤカク”のような活動は、会社としての責任感が問われることもあり得るということは、理解しておく必要があるように思います。


2014年12月3日水曜日

リーダーを育てる「適度な」権限委譲


つい先日もある企業で、「リーダーが育たない」というお話をうかがいました。

その内容は、
「現場に行かないで管理資料作りのデスクワークばかりしている」
「リーダーとしてやるべき仕事(特に人材育成)に取り組もうとしない」
「コミュニケーションが事務的」
「責任感が薄い(自分の責任で何かをやろうとしない)」
「部下をまとめることができない」
などというものでした。
このあたりはどんな会社に聞いても、出てくるものはだいたい似たようなものです。

私もいろいろな企業でリーダー育成に向けた取り組みを行いますが、何かやったからといって即効性があるものではないですし、かといって何もしなければ状況はもっと悪くなります。
そもそも「リーダーなんて自然に育つもの」「持って生まれた適性に左右されるもの」という話もあるくらいですから、少なくとも長期を見すえた継続的な取り組みが必要なことだけは確かです。

このようにリーダー育成というのは難しいテーマですが、私は「リーダーが育たない」とおっしゃる企業にはある共通点を感じています。
それは「“適切な”権限移譲の不足」ということです。
 
仕事を進めていく上で、権限移譲を全くしない会社というのはたぶん無いだろうと思いますが、これが“適切に”行われているかどうかを見ると、どうもそうではないことの方が多いです。

例えば「リーダーとしてやるべき仕事をしない」ということであれば、その理由は大きく二つで、「何をすればよいのかを理解していない」か、「どんなやり方をすれば良いのかがわからない」かのいずれかです。
この前者は、「リーダー扱いされるとともに一気に権限移譲されてしまったことによる準備不足」、後者は「それなりの期間はあったにもかかわらず、リーダー的な仕事をしてこなかったことによる経験不足」が原因になります。

そしてこの見方を少し変えると、前者は「権限移譲のし過ぎ」、後者は「権限移譲のなさすぎ」とも言えます。どちらも「“適切な”権限移譲」ではありません。
 
この準備不足や経験不足の話をすると、「自分たちの時代はこんなことは自分で考えてやっていた」とおっしゃる経営者や管理職が大勢います。
確かにそうなのでしょうが、これは「リーダーの仕事ぶりを間近で見ながら覚えた」というところが大きいと思います。
しかし、今の職場環境は、ここからは大きく変化しています。

最近はIT化に伴うワークスタイルの変化から、例えば、誰も会話をしていないように見えても、雑談レベルの会話がメールやチャットなどネット上で行われていたりします。みんながパソコンに向かっていると、一見すれば仕事をしているように見えますが、実際に何をしているかはわかりづらくなっています。
またプロジェクト制や少人数組織が増えていて、日常的にはリーダー的な振る舞いがそれほど必要なかったりします。場を共有しない働き方も増えているので、他人を継続的に観察しながら学ぶことができる頻度は減っています。

昔は「リーダーの何たるか」を取り立てて教えなくても、何となく近くで見聞きしていることで、そのやるべきことをおおむね理解することができていました。そして自分がリーダーの立場になった時は、それまで見聞きしてきた経験をもとに業務をこなしていたわけです。

しかし最近は、上司と部下の間でも、相手の仕事ぶりを近くで見聞きする機会は減ってきています。昔は以心伝心で済んでいたことも、あえてきちんとコミュニケーションを取らないと、相手には伝わりません。
こういう配慮がないままでリーダーの役割を求めてしまうことが、権限移譲のし過ぎやなさすぎとなり、その結果だけを見て「リーダーが育たない」となってしまっています。、
 
本人の意識はもちろん重要ですが、経験する機会もなく、教えられもせず、それで「リーダーが育たない」と言われてしまうのは、当事者にとっては酷なことですし、そうなってしまうのも当然と言えば当然です。

リーダー育成だけに関わらず、計画的で地道は人材育成が、ますます求められている時代なのだと思います。

2014年12月1日月曜日

「日本人は海外勤務に向いている」というお話


グローバル人材の重要性が言われるようになってから久しいですが、まだまだ課題として挙げられることも多いですし、グローバルへの対応や人材育成に苦労している企業も多いと思います。

私自身は海外ビジネスの経験がそれほど多い訳ではありませんし、海外勤務も経験がありませんので、あくまで漠然としたイメージですが、「日本人には言葉の問題もあるし、自己表現や意思表示が得意でない面があるので、外国人とのビジネスには苦労するもの」と思っていました。

しかしあるフォーラムでうかがったことの中に、「日本人は実は海外勤務に向いている」という話がありました。
そのキーワードは「寛容性」なのだそうです。

例えば、自分のことを無宗教という日本人は多いらしいですが、これは決して宗教心が無い訳ではなく、特定の教義に偏ることをあまり好まないというだけなのだそうです。

ですから、葬式や法事、時節柄の墓参り、お盆や正月の帰省、七五三、クリスマスなどの行事は、宗派や思想にこだわらずにきちんと行います。自分たちと異なる文化や考え方に対する「寛容性」があり、それが良いと思えば、積極的に自分たちの中に取り込むことができるのだそうです。

この持って産まれた資質から、海外の文化を受け入れて現地の生活や人間に順応することができやすいので、海外勤務などの異なる環境で生活することには向いているということでした。

もちろん、日本人のみんながみんなこうではないでしょうが、私としては、日本人は村社会の島国気質で、海外生活には順応しにくい所があると思っていました。
ただ、「寛容性」という資質は確かにあるし、それを活かせばグローバルなビジネス環境には実は向いている部分があるのだと思い、いかに自分たちの特性を適切に捉えるかということが、非常に大事だということをあらためて感じました。

ちなみに、これは同じ流れの中で出ていた話ですが、日本人は周りの人たちと同じという単一性、均一性を好むので、ちょっと変わった人や自分たちとは異質な人を、自分たちの中に受け入れることは、意外に苦手なのだそうです。

「海外に出て行って働くことには向いているが、海外から来る人を受け入れて働くことはあまり得意ではない」ということになりますが、何となく今の状況を言い当てているようにも思います。

「自分のことは、知っているようで意外に知らない」ということは、相変わらずどこでもありがちなことのようです。