2022年12月26日月曜日

「静かな退職」という言葉に感じること

最近ときどき耳にするようになった言葉に、「静かな退職」というものがあります。その意味は、「必要以上に一生懸命働くのをやめること」です。

米国を中心にトレンドになっていて、仕事とプライベートの境界線を明確に引いて「仕事は仕事」と割り切り、やりがいや自己実現などを求めない働き方を指しています。英語では「Quiet Quitting」という言葉で、日本語に訳すと「静かな退職」「頑張りすぎない働き方」などと表現されます。

 

この「静かな退職」は、企業からするとそのようなマインドを持って働く社員が増えることは、決して歓迎できることではありません。だから採用面接では必ず志望理由を聞き、入社後も定期的なキャリア面談などの場では、自分が仕事を通じてどのように成長していきたいかといったことを確認されます。仕事においてはそれが当たり前のことのようにとらえられています。

 

ただ、フラットな立場で冷静に考えたとき、そこまで仕事中心に成長を目指す考え方が一般的かと言えば、決してそうではありません。

「特に成長を目指す気や頑張る気はない」、そうかといって「それほどの不満もない」、「言われたことや決められたことを淡々とこなしていけばよい」といった働き手の方が、逆に普通ではないかと思われます。

 

これが経営者や自営業者が対象となると、「静かな退職」に当てはまるような場面はほとんど思い当たりません。「頑張りすぎない」「仕事とプライベートを明確に分ける」といった点では、自分で仕事のペースを調整しながら働くことはありますが、成長ややりがい、自己実現を求めないといったことではありません。

様々な制約を抱えていることもありますが、「仕事を選ぶ」「仕事量を調整する」など、最後は自分の判断で仕事の仕方を決められる点は、雇われて働いている人とは大きな違いがあります。

 

そう考えると、「静かな退職」は、企業や組織に雇われて働く人に特有な話と思われます。仕事に関わることの中で、自分では決められないことの比率が一定以上の高さとなった時、それを受け入れられない人たちの中で起こってくることのように考えられます。

そうなると、「静かな退職」の回避手段は、自分では決められないことの比率を減らすことになります。一般的に言われる「権限移譲の推進」とか、「命令や強制の排除」とか、「合意による意思決定」といったことが対策にあたり、近年の組織作りに中ではすでに行われていることでもあります。

 

最近の企業の組織運営の中で、問題提起をしていながら、それに矛盾した行動をしているように見えることがときどきあります。

「ジョブ型雇用が必要」と言いながら、会社の配置異動の自由などの人事権を手放そうとしないとか、社員の自律性が足りないといいながら、一方的な指示命令ばかりで権限移譲をしないとか、新たな発想やイノベーションを求めていると言いながら、その提案に会社がダメ出しばかりしてつぶしてしまうといったことがありますが、「静かな退職」についても、会社側は好ましくないといいながら、回避するための対策はあまり見受けられません。

 

私がこれまで見てきた中では、成長意欲は誰でも一定程度は持っているもののそのレベルは必ずしも会社が望んでいるものではないことや、年齢とともに成長意欲は減っていく方向になることが多いが、同様に成長余地も少なくなっていくのでやむを得ない面があること、給料アップや役職任命など従来からの動機付け施策では、成長ややりがいを感じる人が減ってきていることなどがあります。これはそのまま「静かな退職」につながる可能性がある要素です。ここに対策をしなければ改善は難しいでしょう。

 

「静かな退職」はわりと普通のことであり、そこまで排除が必要な問題ではなく、それを前提としたうえで人事施策を考えていかなければならないように感じます。

 

2022年12月19日月曜日

「自分で決めること」の責任感とやりがいと面白さ

 ある知人で、企業グループの子会社社長を長年務めていた人ですが、社長を退任して本社に戻るという経験をした人がいます。わりと珍しい人事かもしれません。

 

しばらく時間が経ってから、その人の話を聞いていた時ですが、仕事のやりがいや面白さがやはり違っていて、かつての社長だった頃の方がどちらも大きかったと言っていました。その理由は、「自分で決められること」が以前の方が圧倒的に多く、そのことが自分の仕事への責任感ややりがい、面白さにつながっていたことにあらためて気づいたとのことでした。

本社に戻ってからもそれなりの権限はあるものの、「自分で決められること」の範囲がずいぶん小さくなっているような感覚があり、それにつながって仕事のやりがいや面白さも小さくなっているように感じたそうです。

「自分で決める」ということが、仕事をしていくモチベーションとして、とても大事だと思ったという話でした。

 

どんなに小さな組織でも、社長は最終的な意思決定者であり、どんなに大きな組織でも、部長や課長の意思決定には制約があります。「自分で決められること」が少しずつ増えていくのであれば、現状を不満に思うことはあまりないでしょうが、逆に減ってしまうとなると、制限された感覚が強まってしまうのは仕方ないかもしれません。

 

心理学には「自己決定理論」といって、自己決定の度合いが動機づけや成果に影響するというものがあります。人が行動を起こす上では、「自律性(自分の行動は自分で決めたい)」「有能感(自分には能力があると感じたい)」「関係性(他者と尊重し合う関係を築きたい)」という3つの欲求を満たすことが重要とされ、この中でも「自律性」が最も重要視されているそうです。

ここで、報酬や罰則によって行動をコントロールしようとする「外発的動機づけ」が行なわれると、自律性が低下して自発的な行動がしづらくなるそうで、自己決定の度合いを高めることによって、「外発的動機づけ」からやりがいや好奇心、面白さによる「内発的動機づけ」に変化させることが大切だそうです。

 

こういう取り組みは、実は現場ではすでによく行われていて、例えば部下から指示を求められても安易に答えず、逆にどうすべきかを部下に質問して考えさせ、本人が答えを導き出すことで「自分で考えたこと」「自分が決めたこと」という意識を持ちやすくして、自律心や自発的な行動を促すことがあります。

細かく見れば本人が100%決めているわけではなく、質問によってうまく誘導した面もありますが、「自分で決めたこと」と思わせるプロセスを踏んだことで、その後の成長度合いは変わってきます。

 

私がいろいろな会社を見てきた中でも、社長や上司が何でも決めて指示している会社では人材の成長が鈍く、「自分で決められること」が多い会社の方が人の成長は早いと感じます。

これは、権限移譲によって本人たちに決めさせるようにすることだけでなく、ある結論にたどり着くように上司が仕向けるという方法もあります。質問しながら本人に考えさせるという手順を踏むことが、それにあたります。いずれの場合も、本人に「自分たちが決めた」という実感があるため、その後の自律的な行動につながります。

 

上司からすれば、一言の命令で済ませてしまいたいところですが、あえて本人に考えさせて、「自分で決めた」と思わせることは、本人の仕事への責任感、やりがい、面白さなどを感じさせるためには大切です。

 

 

2022年12月12日月曜日

「ホラーストーリー」と「サクセスストーリー」の使い分け

 ビジネスの中で考えられる事態を、過去の失敗体験をもとに想定して、そこから広がる可能性がある悪影響を語るという手法は、「ホラーストーリー」と言われます。

極端なものだと「このまま業績低迷が続くと会社は倒産してしまう」というようなものですが、このような最悪の結果想定を見せられることで、人はそれに対する危機感を持つようになり、そうならないためにどうすればよいかを考え、そのための努力や行動し始めます。これがホラーストーリーの効果と言われるものです。

この反対にあたるのが「サクセスストーリー」と言われるもので、過去の成功体験をもとに、これからからやろうとしていることの効果や有効性を語るものです。

 

前者は失敗事例から不安感や危機感をあおることで行動を促し、後者は成功事例が自分たちにも当てはまるかもしれない期待感が行動を促します。また、どちらも想定に対する疑いをもたれることがあり、前者は不安感や危機感が、その努力や行動によって本当に解消できるのか、後者であれば、同じような成功につながるには環境や条件が違うのではないか、などの疑問が生まれます。

少し見方を変えてみると、「アメとムチ」とか「ポジティブ思考とネガティブ思考」といった形で言い換えができるかもしれません。

 

これらはどちらが有効ということはなく、結局はバランスよく使い分けることが必要ということになります。これは会社の規則や制度、日常的なマネジメントの中でも同じことが言えます。

例えば、服務規律や勤怠管理のような決まりごとは、守らないと不利益が降りかかるというホラーストーリーがあります。一方で資格取得の援助など会社からの支援制度や提案制度のようなものは、取り組むと自分に良いことがあるというサクセスストーリーもしくはハッピーストーリーがあります。

評価制度などでは、取り組みが好ましく見られてプラス評価されることと、不利益が生じたり不都合があったりしたことからマイナス評価されることの両方があります。

日々のマネジメントではさらに細かい内容で、やっておかなければ困ることと、やっておくと好ましいことの両方があり、その内容が個人個人で違ってきます。

 

私が現場の状況を見ていて思うのは、このバランスを欠いているように見える場合が意外に多いことです。目標達成しなければ報酬が減る、できなければペナルティがあるなど、ノルマ管理のホラーストーリーばかりでメンバーを縛っていたり、反対に現実性に乏しい夢や希望ばかりを語っていたり、自主性を重んじるという理屈で何でも丸投げしていたりするなど、サクセスストーリーの示し方が適切でなかったりします。

このバランスが難しいのは、不安感や危機感などホラーストーリーにつながる感覚と、期待感や高揚感のようにサクセスストーリーにつながる感覚は、どちらも個人の主観によって左右されるもので、同じことに対して反応が違ってくるところです。

規則は一定の基準で決めざるを得ませんが、制度は運用上の使い分けが必要になり、日々のマネジメントではさらに相手の感じ方を考えたうえでの使い分けが必要になってきます。不安感は過剰なストレスを生み、危機感は継続しづらく、期待感や高揚感は実現性が低いと効果が薄れます。

 

難しいことですが、「ホラーストーリー」と「サクセスストーリー」の使い分けとバランスは、いつも意識しておかなければなりません。

 

 

2022年12月5日月曜日

「ハラ・ハラ」という言葉の意味

セクハラ、パワハラをはじめとする職場でのハラスメントの問題は、様々なところから相変わらず耳にします。

ちょっと挙げてみると、妊娠・出産・育児に関して女性社員を不当に扱う「マタハラ(マタニティハラスメント)」、教員の権力濫用では「アカハラ(アカデミーハラスメント)」、お酒を無理強いすれば「アルハラ(アルコールハラスメント)」、カラオケを強要すれば「カラハラ(カラオケハラスメント)」、体臭などで周りに迷惑をかける「スメハラ(スメルハラスメント)など、その他「○○ハラ」という言葉は、今は数限りなくある感じです。要は不快な感情を持つ可能性があることすべてが、「○○ハラ」と呼ばれることになるのでしょう。

 

職場の問題で言えば、やはり「パワハラ」が最も大きな問題であり、具体的にどんなことがあったかを当事者に聞くと、それはダメだろうと思うような事例はいまだに多々あります。上司に対して会社から強いプレッシャーがかけられている場合などは、同情を感じることもありますが、やはり上司が自分の意思や価値観に基づいて部下をコントロールしようとして、そこに強制や威圧や脅しのような態度、言動が行われていることがほとんどです。

 

その一方、「それは果たしてハラスメントと言えるのか?」と思うような事例を聞くことがあります。失敗やミスを少し叱ると「パワハラだ」と言われたり、部下の仕事ぶりを観察していて、たまたま目が合った女子社員から「いやらしい目で見られてセクハラだ」と言われた上司がいました。

ある書籍によると、部下に「お子さんは元気?」と声を掛けたら、「職場で個人的な話をされるのはプライバシーの侵害だ」と言われ、会社のコンプライアンス窓口に通報された例があるそうです。

ある会社では、自分の意に沿わない人事評価の結果に対して、それは上司のパワハラだと言ってくる社員がいたそうです。決められた基準に基づいて評価し、その結果を何人かの上司と人事部門が確認し合うような、恣意性を排除する仕組みを取っているにもかかわらずです。

このように、自分が不快だと思った他者の行為や言動に対して、過剰にハラスメントだと主張することを「ハラスメント・ハラスメント(ハラハラ)」と言って、これもハラスメントの一種にあたるそうです。

 

ハラスメント対策として一般的に言われるのは、該当する行為を認識してそれを絶対にやらないことと、同じ行為でも相手が誰かによって感じ方が違うので、ハラスメントと言われないような信頼関係づくりをすることが挙げられます。

ただ、相手には一切歩み寄る気がなく、信頼関係を作ろうという気もなく、すべて自分の主観に基づいて相手の行為を指摘することをやり続けるとしたら、問題解決につながる見込みはほぼありません。これはクレイマー対策に似たようなところがあり、その状況によっては毅然とした対応が必要になることも考えられます。

 

ハラスメントは絶対に許されないことですが、これを自分の都合よく使おうとする人がいることも確かです。

ハラスメントの問題への向き合い方は、これまでとは少しやり方を変えていくことも必要になってくるのではないしょうか。

 

 

 

2022年11月28日月曜日

「マッチョな職場」が生産性を損なうという話

 「マッチョな職場、つらくないですか?」という新聞記事がありました。

弱みを見せたら負け、仕事が最優先で長時間労働は当たり前、競争を好み勝つことを最優先するといったマッチョイズム(男らしさの規範)の強い職場が、逆に生産性を損ねているのではないかという指摘です。

 

生産性や創造性は、多様性がある環境下で生まれるものであり、同じような価値観を持った人ばかりが集まって、どんなに議論しても生まれるものではありません。

「自分らしさ」という自尊感情から自己肯定感などが高まり、それによって組織内のコミュニケーションがしやすくなり、イノベーションというのはそんな中から生まれるものですが、マッチョイズムはどちらかといえばこの「自分らしさ」を阻むものです。

 

日本の職場では正社員や管理職ともに男性比率が高く、昔ながらの「男らしさ」という規範も合わさって、マッチョな組織文化になりがちなところがあるとのことです。

最近でこそ「心理的安全性」など、組織内の対人関係におびえることなく、自由に意見がいえる職場環境の重要性が言われるようになり、実際に取り組む企業も出てきています。しかし、実際の現場を見ていると、到底そこには達していない企業がまだまだたくさんあります。先進的と評判の大企業であっても、そのような側面を見かけます。

 

この記事では、特に日本の管理職の課題は、男性的な価値観と関連していることが多いと言っています。負けを認めるわけにはいかないので助けを求めず、その結果としてメンタルダウンなどの不健全な状態に陥ったりします。セクハラやパワハラといった問題は、男性が引き起こすことの方が多いでしょう。本人としては無理しながら頑張っているのでしょうが、結果的に組織全体のパフォーマンスは下がり、生産性も損なっています。

記事ではこの対策として、評価などを気にせずフラットに相談することができる仕組み作りが必要と言っています。確かにその通りですが、誰でも相談できる環境は、そう簡単に作り出せるものではありません。中小企業のように人員が限られた組織では特にそうです。

 

この「マッチョな職場」の対極はどこにあるのかを考えたとき、ふと思い出したところが二つあります。

一つはある広告関連の企業ですが、社長も含めた社員7、8人が全員女性の会社です。創業メンバー3人と後から入った数人での構成ですが、特徴は全員あまり上昇志向がないことです。売上目標はありますが、「みんながほどほどに生活できればいい」という感じであまり達成にこだわっていません。それよりは「こんなサービスがあったら便利だよね」とか「このクライアントの期待には応えなければ」とか、そんなことの優先度が高いようです。社員同士は年齢が近いこともあって、みんなよく話をしていますし、ギスギスした感じがなく穏やかなので、対人関係の遠慮はなさそうです。また売上にこだわっていないといいながら、顧客からの評判は良く当面の業績は順調な様子でした。

女性が集まることに対して、特有の陰湿さなどを言う人がいますが、女性ばかりの会社だとこんな感じになるのだと、とても印象に残りました。

 

もう一つは近所の飲食店で、典型的な家族経営の店です。お父さん、お母さん、おばあちゃんに息子、ときどき娘が手伝いに来る感じですが、本当の家族ですからお互いに遠慮はありませんし、競争も必要ありません。たぶん弱みも知っているし、地雷さえ踏まなければ何でも言い合える関係です。まさにマッチョとは無縁です。

 

これらはもちろん事業規模も違うし、社会的な立場も違っていますが、「組織」で「ビジネス」をしていることに変わりはありません。

ただ楽して仕事しようとするのは好ましいとは言えなくても、仕事を続けていくうえで、健康で穏やかに働くことは大事です。そこに果たして「マッチョさ」は必要なのかと考えてしまいます。

 

 

2022年11月21日月曜日

ツイッター社の「激務が嫌なら退職を」のとらえ方いろいろ

 短文投稿サイトのツイッター社を買収したイーロン・マスク氏が、長時間の激務を許容できないならば退職することを求めるメールを社員に送ったという話題がありました。

期限までにメールのリンクで「イエス」をクリックしなければ解雇することを示唆していて、それをしなかった社員には3カ月分の解雇手当を支払うとのことです。

マスク氏自身も猛烈な働き方をすることで知られており、全社員の約半数を解雇することや在宅勤務を認めないことなどと合わせて、社員が働く環境の急激な変化を進めようとしています。

 

もしこれと同じことが日本で起こったとすれば、そもそも法律的に許されないと思われる点も多いですし、かなり強い批判を浴びるでしょう。一言で言ってしまえばワンマンオーナーのブラック企業であり、個人的にはあまり働きたい会社と思えません。

しかし、少し視野を広げて海外の様子などを調べたり聞いたりしていくと、そんな感覚とは異なったいろいろな見解に触れることができます。

 

まずツイッター社が赤字体質であり、抜本的な組織改革を考えれば人員削減は避けられないという話があります。それをスピード感が最重要と考えて実行しようとすれば、誰が経営者でもこういうやり方にならざるを得ないのではないかと言われています。

それでもやり方が少し乱暴で一方的すぎるという人もいます。

 

これは、外資系企業の働き方に関して書かれていたものですが、外資企業の社長になった知人は、入社以来早朝7時から深夜22時までの勤務は当たり前だった一方で、無駄な会議などはなく何でも即断即決、社員の出張はトップクラスのホテルに泊まる決まりで実費精算、長期休暇は必ず取るように指導され、給料は同業他社の状況を調査して、その最上位を下回らない方針が示されていたそうです。かなり激務だったが会社への不満は一度も持ったことがなかったといいます。

日本では長時間労働やサービス残業の問題が取り上げられますが、実はそれ以外の給与水準や福利厚生、その他の働かせ方が貧弱なことの方が問題なのではないかとされていました。

 

また、他の指摘では、アメリカでは一部のエリートが、日本以上の過酷な環境で猛烈に働いて高収入を得られるが、その他大勢の人は仕事が激務でない代わりに、給料はほどほど、会社の都合で簡単に解雇されて不安定な人生を強いられるとしています。

これに対して日本では、サービス残業のような滅私奉公は相変わらずだが、正社員になれば簡単には解雇できない法律に守られて、能力が低くてもほどほどの安定した生活ができるとしています。

仕事の能力によって、どちらが良いかは違っているだろうし、今のような変化の激しい環境を考えると、人材流動性が高いアメリカのような社会の方が全体最適としては良いのではないかとされていました。

 

さらに、アメリカのマネジメント層は時間的なハードワークをするが、欧州ではポジションに関係なくみんなが定時で帰るような環境で、それができないのは能力がないと判断されるといいます。

 また、社会全体が時間外になるような仕事を依頼しない認識を共有していて、お互い様でサービスをあきらめている、無駄なことをしないなど、仕事の効率化が進んでいるそうです。

 

私が以前見た調査結果で、働きたい国ランキングというものがあり、日本は残念ながらビリに近い下位でしたが、ここで上位なっていた国は激務だが給料が高いか、ワークライフバランスが整いつつも給料は一定以上の水準に達しているかのいずれかでした。

 

「激務が嫌なら退職を」という言葉を見ると、ずいぶん威圧的な感じで反感を持ってしまいますが、各国の状況や様々な意見を見ていると、無理強いではなく本人が納得し、相応の報酬や福利厚生が伴ったうえでの激務であれば、必ずしも悪とは言い難いように感じます。

自分のことに置き換えると、選択権のない一方的な激務には絶対に関わりたくありませんが、仕事内容や報酬、期間、その他環境や条件によって捉え方は変わってきます。

何を優先するかは人それぞれで、その選択の自由があることが最も重要なのではないかと思います。