2018年7月30日月曜日

「報告がなかった」と怒る上司に報告されない理由


ある会社でのことですが、リーダーが「部下からの報告が遅かったために、またトラブルになった」と怒っています。
いつも口うるさく注意しているにもかかわらず、自分への報告が遅かったり後回しにされていたり、最後まで報告してこないことすらあるそうです。
そのことに起因するトラブルが年に数件あるそうで、リーダーは報告の決まりを作ったり、自分で細かいチェックをすることもあるそうですが、なかなか改善されないということです。

「報連相(報告・連絡・相談)」の大切さが言われ、中でも「報告」は組織のルールとしては“義務”と言っても良いものなので、このリーダーの言っていることはまさに正論です。「報告は早く正確に」であり、「悪い報告ほど早く」です。

ただ、気になるのは、このリーダーのチームだけ、特にそういう状況が多く見られることです。そういう目であらためて見ていると、リーダーとのメンバーとの会話が何となく少なかったり、辞める人が何となく多かったり、業績も悪くはないが決して良いとはいえなかったり、いろいろ気になるところがあります。

そんな中で、このリーダーの部下の人たち何人かと、たまたま話をする機会がありました。遠回しに「報告」のことを聞いてみると、問題があることはわかっていると言いながら出てきたのは、「リーダーを巻き込むと話がこじれる」ということでした。

報告をすれば、それに対する指示は当然ある訳ですが、それがどう考えても必要がない無駄なことだったり、過剰すぎる対応や作業だったりすることがよくあるのだそうです。不要、無駄、やり過ぎと言って反論しても、リーダーはなかなか受け入れてくれません。
報告するたびにあまり必要とは思えない仕事がどんどん増え、やれ会議だ打合せだと言われて時間を取られ、だからといって顧客評価が上がる訳でも仕事の質が高まる訳でもありません。そうなると、このリーダーへの「報告」は、よけいな仕事を増やさないために、ついつい頻度を下げてできるだけ後回しにしてしまうのだそうです。
ただ、トラブルがあるのは事実なので、自分たちの方にも非があることは十分わかっていて、反省もしているといいます。

実はこの「あまり報告したくないリーダー・上司」の話は、いろいろな会社でときどき耳にします。その理由も、わりと似通ったものです。
報告に対する上司の指示が、果たして「やり過ぎ」なのか「適正」なのか、「無駄」なのか「有益」なのかは、はっきり言ってわかりません。時と場合によって、どちらもあるでしょう。

ここで一番の問題は、「リーダー・上司に報告しても、適切なフィードバックが得られない」と、部下たちが思ってしまっているところです。そう思わせてしまう反応、態度、過去のエピソードが、何か必ずあるのです。このケースで言えば「話がこじれる」といっていたことです。

特に「報告」というのは、始点が部下からのコミュニケーションなので、言う、言わないの判断基準が相手次第という難しさがあります。受け取る側のリーダー、上司がどんな対応の仕方をするかが重要になります。
例えば、「早く報告した方がアドバイスがもらえる、一緒に考えてくれる」などとなれば、部下たちは放っておいても自分たちから報告してくるでしょう。

「報告しない」が許されないのは大前提として、これは上司と部下のコミュニケーションの一つですから、うまくいかないということは、どちらか一方だけの問題ではなく、必ず両方に原因があります。
うまくいかない心当たりのある人は、自分の対応が相手からどう見られているかを、いま一度見直してみましょう。


2018年7月27日金曜日

「普通」という基準のこわさ、危うさ

「普通は気づくはず」
「普通なら出来るでしょう」
「それくらいは普通だろう」
レベル、能力、さじ加減、程度といったものを、「普通は・・・」という言葉で表現することが結構あると思います。私もつい言ってしまうことがあります。
しかし、この「普通」には注意しなければなりません。何かの尺度を示す上での具体性は、何一つないからです。「普通」と言っている本人の主観でしかありません。

「普通」の対義語を調べると、私が見た辞典では4つ挙げられていて、「奇抜」「希少」「異常」「特別」とありました。他にも「特殊」「特異」「奇異」があり、多いことにちょっと驚きましたが、これらをひとまとめにして、「普通じゃないもの」といってしまうのが、私は一番しっくりきます。

「普通」という言葉の意味は、“特に変わっていないこと”“ごくありふれたものであること”“広く通用する状態のこと”などとありますが、この「普通」と「普通じゃないもの」の境目は決して明確ではありません。グラデーションのようにつながっていて、個人個人が自分の感じ方によって、それぞれが線引きをしています。
法違反すれすれでも「それが普通」という人もいますし、もっと厳しいモラルに基づく「普通」もあります。その良し悪しはともかく、「普通」は人それぞれで違っていて、物事を判断する共通基準にはならないのです。

ここで起こる問題は、「普通は・・・」という言葉で、相手を自分の基準に合わせさせようとすることです。いかにも正論に聞こえる「普通」という言い方での強制です。
特にリーダーの立場にいる人が、メンバーに対して「普通」という言葉を使い始めると、いろいろ危ないことが起こり始めます。最も多いのは、自分の「普通」の合致しない人を認めずに、排除し始めることです。メンバーは嫌々でもリーダーの言う「普通」に合わせるか、排除されることを受け入れるかの二択しかなくなります。これはパワハラと言われても仕方がありません。

最近企業の現場でよく聞くのは、礼儀やマナーに関する「普通」の話です。
「普通はお礼を言いに来るだろう」「普通は挨拶するだろう」「普通は遠慮するだろう」などなど。
私が聞いていると、そうだなと思うことも、それは要求し過ぎと思うことも、両方ありますが、これもあくまで私の「普通」であって、相手にとってどうかはわかりません。

日本人はどうも「普通」という言葉が好きですが、会社のように様々な価値観を持った人が集う場所では、ただ「普通は・・・」で終わらせるのでなく、その時の判断基準をしっかり言語化して共有する必要があります。
例えば、「お礼や挨拶がないとマイナスの感情を強く持つ人がいること」「誰がそういう感情を持つかはわからないので、ビジネスの場では一番厳しい基準に合わせて行動するのが得策」と説明して共有すれば、それがそのチームの「普通」になります。

最近ある国会議員の雑誌投稿に、差別的な内容があったとして取り上げられていましたが、その論拠として語られていた言葉は、「普通は・・・」「一般的には・・・」がほとんどでした。
個人の主観に基づく話を、「普通は・・・」という言葉で、いかにも大多数の人の共通認識のように示すのは、リーダーが言い出す「普通」から始まる危うさと共通しています。

「普通」というのは、基準のようで基準ではありません。価値観が多様化した昨今では、安易に「普通は・・・」で処理せず、その中身を説明、確認、共有していくことが必要になっています。


2018年7月25日水曜日

「フリーランス」や「副業」の向き・不向き


ある記事で、「アメリカで急成長するフリーランス社会」というものがありました。

調査によると、アメリカの総就業人口は過去3年で2.6%ほど成長していますが、これに対して、フリーランス人口は8.1%の成長となっていて、総就業人口の3倍以上のスピードで急成長しているとのことです。
この調査では、フリーランスを「補完的、短期的なプロジェクトや契約による業務を過去12ヶ月に行った人」と定義しており、副業のような形態も含んでいますが、こういう働き方をする人が総就業人口の36%程度を占めていて、フリーランスの増加率が今までのように続けば、2027年にはフリーランスと非フリーランスの就業人口が逆転するそうです。

発注側とフリーランス側をつなぐツールを提供するオンラインマーケットプレイスが台頭していて、これらを利用して業務を受託し、支払いを受け、オンラインを使って好きな時間に、どこでも仕事ができるスタイルは、確実に一般化しているとのことです。

私自身は、まさにこのフリーランスやインディペンデントコントラクター(独立請負人)といわれる働き方なので、偉そうに言えば「ようやく時代が追いついてきた」くらいの感じですが、今まで10年以上やってきた経験で言えば、やはりメリットもデメリットもありますし、もっと言えば、その人によっての向き、不向きが大きいのではないかと思っています。

その要素はたぶんいろいろあって、人によって言うことが違うでしょうが、私が一つだけ思っているのは「他人に決めてもらったり、やってもらったりすることが心地よい人」は、本人がつらいだろうし、なかなかうまくいかないだろうということです。
これは誰かに相談するとか、他の専門家に依頼するとか、それを否定しているのではありません。ただ、もしそれを自分でやらなければならない事態になった時、下手でも遅くてもこなすことができなければ、フリーランスで働くことは難しいと思うのです。
例えば、奥さんがいないと料理、洗濯、さらに衣類のしまった場所までわからないという男性がいますが、それと同じ状態が仕事でも起こることになります。

これが会社であれば、自分がやらなくても誰かが知らないうちにやってくれていることや、誰かに指示してやらせることで問題は解決します。いちいち自分が手を下す必要はありませんし、知っておく必要すらないことはたくさんあります。

ただ、フリーランスの場合、その方法は別にして、すべての問題には自分が解決に動かなければなりません。もしも、そこで100%丸投げの依存をしていては、自分で動くことも、誰かに頼むこともできません。依存が当たり前の社会人生活が長いと、ここが切り替えられません。依存することに不安も疑問も持たないと、それが大きなトラブルになることがあります。
このことはよく理解しておかなければなりませんが、実際はなかなか理解ができません。

もちろんこれがすべてではないですし、優秀な支援先を見つけて成功している人も大勢いますから、一概に言い切るのは適切ではありません。
ただ最近は、やれ起業だ副業だと言って、それをあおるような本やセミナーのたぐいがたくさんあります。フリーランスで働くマインドを持つために、こういうものを見聞きするのは良いですが、フリーランスや副業という働き方に向かない人は確実にいます。変に焚き付けるのは好ましくありません。

「フリーランス」や「副業」という働き方が、今後増えていくのは間違いありませんが、その動きに安易に流されず、自分の性格や適性をよく考えてほしいと思います。