2022年8月29日月曜日

若手社長の「シニアとの接し方」に関する悩み

 私がある講座で、最近の企業人事の現場事情の話をした際、参加していた受講生から質問を受けました。ご自身がZ世代だと言う若手の社長です。

会社では様々な人材を幅広く受け入れているそうで、自分の親よりも年上のようなシニア世代も働いているそうです。たぶん若い人が多い会社だと思いますが、一方的な先入観を持たずに多様な人材を受け入れようとする姿勢は、これからの人材不足の時代を考えると先見の明があって立派なことだと思います。

 

ただ、そんな表向きは綺麗ごとに過ぎず、現場でのシニアとの接し方には、やはりいろいろ悩みがあるそうです。「どんな接し方をすれば良いのか」「何に気を付ければよいのか」というヒントが欲しいとのことでの質問でした。

 

具体的にどんな困りごとがあるのかを聞いてみると、世間一般で言われる型通りの話が出てきました。

「方針を提示しても受け入れてくれない」

「ルールを決めても守らない」

「聞く耳を持たない」

「主張が強い」

「頑固」

といったことで、これが年令に伴うものなのか、それともその人のもともとの性格なのかは何とも言えませんが、柔軟性が欠如した様子は明らかです。

シニア世代の特性として一般的に言われることでもあり、そうならないように注意している人も多い内容ですが、やはり加齢とともにそうなってしまう傾向は否めないところです。

 

決して良い方法とは言えませんが、ここで私がアドバイスしたことが一つだけあります。

それは、現場で起こったコミュニケーション上の行き違いやトラブルは、すべて社長が引き受けるというものです。社長自身がある時はよく相手の話を聞き、またある時は毅然とした態度で𠮟責もして、相手をリスペクトすることは忘れずに、ただし言うべきことは言いにくくてもはっきりと伝えることです。

 

「柔軟性の欠如」と一言で言いますが、その理由は様々です。年齢による体力や知力の衰えだけでなく、過去の経験による確信や自信へのこだわり、プライドや承認欲求などもあるでしょう。その相手によって最善の対応方法は違うでしょうが、ベテラン相手にそこまで手をかけることは、実務的にも心情的にも、やりたいと思う人は少ないでしょう。

 

ここで、年長者であっても権威で抑えることができ、本人のプライドや承認欲求を満たせる可能性があり、納得しているかどうかは別にして行動を変えさせることができるのは、会社の中では社長が最も適任となります。

シニア人材が、現場の部課長を見くだしている姿勢があったとしても、社長に同じ態度をとることはほぼありません。現場レベルで従おうとしなかったことが、社長命令になったとたんに従うようになったり、社長が直接話を聞いただけで納得したりする例はいくつもあります。大企業ではなかなか難しいですが、中小企業であれば十分に対応できることです。

 

私の本音で言えば、シニア人材の方が自分の価値観で決めつけず柔軟に、威張らず謙虚に、見下さずフラットに行動してもらうことが一番だと思いますが、それができない人、できていないのに自覚がない人は、残念ながら存在します。

シニアの就業が難しいという話題がありますが、その一因に「シニアは扱いが面倒」とひとくくりに思われている部分もあります。同世代の私から見ても、そう思ってしまう人に出会うことが度々あります。

 

世代間ギャップはあっても仕方がないですが、それぞれの世代同士が良い関係で、気持ちよく働ける世の中になればと思います。

 

 

2022年8月22日月曜日

「素養のないリーダー」が生まれる組織

リーダーになるうえでは、必要な素養があると言われます。

よく言われる筆頭は、たぶん「人望」です。しかしこの定義を一言でいうのは難しく、人によって挙げられることは様々です。しいて言えば「他人から好かれたり慕われたりする何か」を持っていることでしょう。

この「何か」は、人情に厚い、論理的、冷静、優しい、温和、誠実、謙虚、公平、律儀、熱血、実力がある、その他好ましいパーソナリティーととらえられることは何でも挙げられるでしょうし、一方そのどれかを持っているからと言って、必ずしも好かれ、慕われるとは限りません。

 

さらに、このパーソナリティーがある上で、さらに組織全体のバランスを考えながらリードできるとか、責任感を持って行動できるとか、リーダーとしての能力の問題があります。みんながみんな、優れたリーダーというわけにはいきませんが、リーダーとなる人には、それなりの人間性とそれなりの能力が必要ということになります。

問題はこの「それなり」というところで、これを明確な基準で言うことは難しいです。ただ、その評価に多少の主観を含んでいるものの、人間性と能力のどちらかもしくは両方が、「それなり」には達していないと思われるリーダーを見かけることは、残念ながら度々あります。そして、その存在確率が高い組織というのも、また残念ながら存在します。

 

あくまで私個人が見てきた中でのことですが、そういうリーダーが生まれやすい組織には特徴があります。それは社員同士の「序列意識」が強い「上意下達」の組織です。悪い意味で官僚的、軍隊的ともいえます。

こういう組織では、組織内で圧倒的に力が強い上位の人がリーダーを決めます。実力は判断するでしょうが、その上位の人が認めているかどうかが重要で、自分が使いやすい人や気に入った人、上に忠実な人がリーダーに選ばれやすくなります。

また、こういう組織では、ある属性に基づいて機械的にリーダーを決めるところもあります。年齢や勤続によって順番にリーダーになっていくような年功序列は典型ですが、これがかなりの効力を持って忠実に実行されます。

 

伝聞なので真実かはわかりませんが、昔の軍隊などは入隊順に序列が決められるので、それだけで威張り散らす無能な上官の存在などを聞いたことがあります。人間性も能力もない人がリーダーになって、組織を壊してしまうのは、こういうことが典型でしょう。

ある意味で古いと言える組織運営の中では、リーダーに必要な素養を持たない人がリーダーになる可能性が大きくなります。

 

ここで感じる問題は、当事者である社員たちが、そのことにあまり気づいていないか、その状況に自分も順応して、同じことを繰り返していることです。上級生からハラスメントを受けていた下級生が、自分の後輩ができても同じことをする様子や、上には媚びて下には威張るヒラメ社員などは相変わらず目にしますが、本人たちはそのことにあまり問題意識を持っていません。それが組織文化として、脈々と受け継がれていて、それが当たり前のこととして身についているからです。

 

悪い組織文化を断ち切ることは実は単純で、組織のトップが率先してやめさせることです。無能なリーダーが恥をかく組織文化になれば、それだけで素養のないリーダーはいなくなります。ただ、過去からの様々なことの積み重ねで、そういう動きが具体化することはそれほど多くありません。

 

「素養のないリーダー」が生まれる大きな要素の一つに、必要以上に序列が重視される組織文化があります。それに気づいて変革しなければ、その組織の将来にはあまり期待できないと思います。

 

 

2022年8月15日月曜日

「報連相」をされる側の態度

 報告、連絡、相談の頭の文字を並べた「報連相」は、昔から大事だと言われています。

「報告」は上司からの指示に対して、その経過や結果を知らせることで、組織上の「義務」ともいえます。

「連絡」は誰もが発信側にも受信側にもなり、自分の主観や憶測を含まない情報を関係者に知らせることで、組織を円滑に運営する「気配り」といえます。

「相談」は自分が判断に迷うときに周りから参考意見やアドバイスをもらうことで、自身の「能力向上」につながります。

新人研修では、それに関するカリキュラムが設定されているなど、社会人の基礎的スキルとして位置づけられていて、私自身もそんな講座を受け持ったことがあります。

 

しかし、それほど重要だと言われながら、なかなかうまくできないという話をよく耳にします。その原因として多く指摘されるのは、主に部下の側の「意識が低い」という理由です。

「報告」「連絡」「相談」をすべきことなのに、それがない、足りない、遅い、不正確といったものです。確かにそういう場面を見かけることはあります。

 

その一方、「報連相」をされる側の上司にも、問題の一端があると感じるケースが多々あります。

最近少し話題になったものですが、私の目に留まったツイッターでのつぶやきに、こんなものがありました。

「上司よ、報連相が大事なのはわかったから、頼むから報連相しやすいような機嫌でいてくれ」

 

「報連相」をする側の部下が、ついこんなことを言いたくなってしまうような場面も、また実際に目にすることがあります。

その日の上司のご機嫌をうかがいながら、自分の話を聞いてくれそうか、受け入れてもらえそうか、怒られずに済みそうかというタイミングをはかっています。実際にそうなのかは確認していませんが、「あの部長は午前中は機嫌が悪い」とか、「会議の前はピリピリしているから、込み入った話はやめた方が良い」とか、そんな話が出回っています。

社長でも部長でも、ご機嫌の落差が激しい人はいて、部下はその様子を常にうかがいながら「報連相」のタイミングを考えています。きっとその時の気分としか説明できないような反応をされることが、実際にも度々あるのでしょう。

 

そもそも中高年男性は、普通の顔をしていても不機嫌そうに見えるなどと言われるので、本人が意図していないのに敬遠されているようなこともあるかもしれません。話しかけるだけでも心理的ハードルがあると思わせるような人に対して、仕事上の話でさらに良くない話をするということは、なかなか難しいことには間違いありません。

 

部下が「報連相」のタイミングをはかっていることでの問題は、やはり情報取得や共有がどんどん遅れてしまうことです。

「悪い情報ほど早く報告するべし」などと言われ、みんなそのことは理解していますが、良くない話はできれば避けたいと思うのが人間の心理であり、それが厳しい人、怒る人、不機嫌な人が相手となれば、なおさらそうなります。

人脈や情報を豊富に持っている人ほど、概していつでも機嫌がよく、感情の起伏が少なく、誰からも話しかけやすい雰囲気を持っているものです。

 

うまくいかない「報連相」には、それをされる側にも問題があることがほとんどです。せめて自分の機嫌は自分で直して、部下が「報連相」をしやすい態度をするのも大切なことではないでしょうか。

 

 

2022年8月8日月曜日

「若いから大丈夫」ではない

 夏の高校野球甲子園大会が開催されていますが、昨今の厳しい暑さへの対策として、「試合を朝と夕方の2部に分けて実施する検討を始める」という話題が、あるテレビ番組で紹介されていました。

 

出演者のコメントとして、

「対策はしなければならないし、一方でこれまでの伝統を守りたい気持ちもわかるし、なかなか難しいテーマだ」

「正直言って、厳しい環境で頑張っていることを応援したいという気持ちもある」

など、改革は絶対必要だが伝統もあるので、そのバランスをとった議論が好ましいとの流れで話が進んでいました。

 

 そんな中で、ある若い女性芸人が言ったのは、

「この議論をしているおじさんたちは、どこかで自分たちの経験と重ねて“若いから大丈夫”と思っている節があるが、決して“若いから大丈夫”という暑さではない」

ということでした。

 

「最近の猛暑は昔とは比べ物にならないレベルであり、そんな中でも相変わらず若手芸人の屋外ロケなどがあるが、みんな半分死にかけながらやっている」

「若いから大丈夫ではないが、企画する人たちはどこかでそう思っているのではないか」

とも話していました。

要は「こういうことを決める立場の人が、自分たちの“若い頃”の古い感覚で決めていたら、実態と合わない形になりかねない」「伝統などと言っているレベルではない」ということです。

 

こういった話は、会社の中でも似たようなことがあります。

例えば「ハラスメント」に関する話では、「自分たちの頃は普通のことで、そんなに目くじら立てなくても良いのではないか」「上司に従うのは当たり前」などという人がいますが、そもそもは上司からの嫌がらせや無理強いが許されていた昔の方がおかしい話です。

 

体育会系部活動では、上級生が神様という時代がありましたが、ある大学の強豪チームでは雑用をすべて4年生がするそうです。一番環境変化が大きくて戸惑うのは1年生であり、早く環境に慣れて力を発揮させるには、その点で一番余裕がある4年生が余分な仕事を担うことが理にかなっているという考え方だそうです。理解しきれない年長者も多いのではないでしょうか。

 

若手社員に対して、「ちょっと嫌だとすぐ辞めてしまう」「我慢しようとしない」などという人がいますが、我慢することにメリットがなくなっている環境変化を忘れています。嫌なことに我慢して従っていても、会社が永続する保証はなく、自分が成長できるかはわかりません。特に嫌なことがなかったとしても、今の環境よりも良いと思われる転職先はたくさんあります。やはり環境は変わっています。

 

年長者の「俺たち、私たちの若い頃は…」という話は、思い出話としては良くても、経験談としては取捨選択が必要であり、武勇伝や自慢話であれば聞く価値はありません。私自身も年齢的に、ついこの間と思っていたことが10年前の話だったりするので、古くて時代遅れの話には注意しなければなりません。

 

自分の若い頃の経験と照らして、「若いから大丈夫」というのは、今は決してそうではないことがたくさんあります。

 

 

2022年8月1日月曜日

「従わないこと」には理由がある

ある会社のマネージャーですが、「部下が自分の指示に従わない」と言って悩んでいます。

悩んでいるというよりは、上司である自分の指示に従わない部下に対する非難や愚痴という感じの方が強いです。

 

この会社の企業文化としては、昔ながらの上意下達の雰囲気が強く残っているような会社です。私自身は上司からの指示だからと言って鵜呑みにせず是々非々で向き合って、必要ならば議論して、修正するなり納得するなりした上で物事を進めることが、組織運営の上で好ましいと考えています。

大企業、歴史がある会社、上下関係に厳しい会社では、とにかく上司にチヤホヤし、上司の言うことは受け入れる以外の選択肢がないように見える会社がありますが、私はいろいろな面で怖さを感じます。

 

最近は様々な事故、不正、隠蔽といったことが見受けられますが、かつて日本経済が昇り調子だった頃には、あまり起こらなかったことのように感じます。私の勝手な思い込みかもしれませんが、ベクトルが下を向き、余裕や余力がなくなってくると、様々な好ましくない出来事が増えてくるのは確かにあると思います。そういう環境下で上司や会社の言いなりになるしかないのは、これからも不幸な出来事が増えていくことが懸念されます。

 

「指示に従わない」という話を聞いて、私がいつも思い出すので心理学の「選択理論」の話です。

選択理論は「すべての行動は自らの選択である」と考える心理学です。行動を選択するのは本人だけで、相手の行動を直接変えることはできないと考え、「怒る」や「罰する」などの外圧で相手をコントロールするのではなく、相手が納得して行動に移せるように、相手を受け入れて話し合うことが解決につながるとされます。「内発的動機づけ」と言われるものです。

上司から見て、「自分の指示に従っている」と見えるのは、「この指示には従っておこうと本人が決めている」ということになります。

こう考えると、上司からの指示命令に従わないことには、何かしらの理由があります。また、従っているからと言って、必ずしも納得しているわけではないとも言えます。

 

前述のマネージャーに話を聞くと、やはり部下とのコミュニケーションはあまり良くないようです。また、マネージャー自身も自分のリーダーシップに自信が持てない様子があります。自信がないから自分の指示を権威で押し通そうとして、つい高圧的な姿勢になりがちで、指示命令に関する説明不足も起こりがちになっていました。

その後、このマネージャーは自分の高圧的な姿勢を改め、自分の自信が足りていないことを部下に正直に話し、対等な目線でのコミュニケーションを増やしていったことで、問題は解消されていきました。

 

一見自分の指示に従っているように見えても、相手がそれを心から納得していることは多くはありません。「とりあえず従っておいた方が損しないだろう」「関係を壊したくないから従っておこう」「仕返しが怖いから従うしかない」など、思っていることはいろいろです。

そして、「自分の指示に従った」のではなく、「この指示には従っておこうと相手が決めた」ということを理解しなければなりません。

 

権威を振りかざして「自分の指示に従った」と思い込んでいると、いつか大きな問題が起こります。指示に従うかどうかを決めているのは部下であり、その指示に従わないことには理由があることを認識しなければなりません。