2020年8月31日月曜日

「テレワークは無理」と思っていた会社がテレワークをやってみて

ある会社からこんな話を聞きました。

50名に満たない中小企業ですが、やはりコロナ禍を機に、働き方をテレワークにシフトしました。緊急事態宣言の解除後は、50%くらいの出勤をしながら、テレワークも続けています。実際にテレワークをやってみての感想は、多くの会社からも聞くように「意外に仕事ができてしまう」ということです。

 

この会社では、昨年からたまたまテレワークの環境を整えていました。それがなければ、テレワークの対応はできなかっただろうと言っています。環境を整備した理由は、この夏に開催予定だった東京オリンピックの期間中の、通勤混雑対策として進められていたテレワークに関する助成金を使っていたからです。

ただ、本音ではそこまでテレワークをやろうという意欲があったわけでなく、「まあパソコンを新しくするのに助成金がもらえれば得だろう」という程度の感覚だったそうです。肝心のテレワークに関しては、社員たちといろいろ話し合った中でも「実際にやるのは難しいだろう」という話になっていたそうです。

しかし、想定外のコロナ禍で、テレワークに移行せざるを得なくなり、環境があったおかげで何とか対応することができ、実際にやってみると「意外にできる」となったということです。自分たちから計画したことでもなく、どちらかと言えば後ろ向きで否定的に考えていたので、本当に結果オーライのようなところがあるそうです。

 

実際にテレワークをやってみて、他にも全く想定外の効果があったと言います。

この会社は女性比率がわりと高く、半分くらいが女性社員で、さらに子育て期の女性が比較的多いそうです。しかし、そんな状況にもかかわらず、育児休業からの復職実績がほとんどありませんでした。

会社が復職に否定的なわけでも、現場にそんな雰囲気があるわけでもありませんが、やはり仕事内容、労働時間、その他さまざまな条件や、今までの自分の働き方と照らし合わせて、当事者である社員自身が「復職は難しい」と思っている様子があったようです。

 

ただ、今回のコロナ禍をきっかけにしたテレワークで、もし育児休業から復職するとしたら、その時には「こういう働き方ができる」「これなら育児と仕事が両立できる」「こうすれば大丈夫だ」という感覚が体験できたという社員が何人かいたそうです。

今までは「復職したいけど現実には難しいのでは」と不安に思っていた気持ちが、ずいぶん軽減されて前向きに考えられるようになったといいます。

 

この会社では、もし助成金がなければ環境整備はしておらず、コロナが無ければテレワークを実施することは、たぶんなかったでしょう。そもそもできるとも思っておらず、前向きにやろうという意思もなく、普通だったらやっていなかったはずのことを、たまたまやらざるを得ない環境に追い込まれて実施したら、思った以上の前向きな経験が数多くありました。

ここでいえることはありきたりの一言だけで、「やってみなければわからない」ということです。

 

今でも多くの会社で、「対面が必要」「今まで通りのやり方で」と言って、新しい働き方に抗う動きがあります。多少の偏見を含んでいえば、そういう動きをする人のほとんどは、私と同世代の50歳以上の年代で、変化対応能力が衰えた経営者や管理者です。自分が働き方の変化についていけないから、「今まで通りにしろ」と言っているように聞こえます。

いくら会社の上層部だからと言っても、そんな変化対応能力が低い人のレベルに合わせていては、会社の進歩は止まってしまいます。単に「新しいことは避けたい」という食わず嫌いの感情もあるでしょう。

 

この会社の例のように、どんなに難しそうなことでも、みんなが否定的に思うことでも、やれそうな糸口があるなら「やってみなければわからない」ということがたくさんあると思います。

 

 

2020年8月27日木曜日

自分のノウハウを「伝えたい人」と「見せたくない人」

後継者、経営幹部、その他自分の後をつないでくれる人材を育てるというのは、必要性は大きくてもなかなか簡単には進みません。人それぞれの個性があり、それぞれやり方は違いますが、そうはいっても、人材育成のためには自分のノウハウを伝えていかなければなりません。

 

あるオーナー社長は、後継社長に引き継ぐには「10年かかる」と言い、そのための方法は「とにかく一緒に行動して、場面場面での振る舞いを見てもらうしかない」と言っていました。俗にいうかばん持ちのようなことですが、やはり経営者の仕事は単純にパターン化できることが少なく、資料などを引き継いで済むものではないので、そういうやり方になるのは理解できます。

 

職人の世界では、かつては「見て覚えろ」が普通のことで、実務に関わることさえなかなか許されなかったり、教えてもらえたりするようなことはほとんどなかったといいますが、最近はずいぶん変わったようです。実際にどんどん手を動かして、細かいことまで手取り足取り教えられることもあるそうです。

そうやって、自分の持っているノウハウをできる限り相手に伝えようとするのが、最近の人材育成の傾向です。自分の部下や後輩に経験やノウハウを伝えようと、一生懸命に教える人が大勢います。

 

そんな中で、時折見かけるのが、この「伝えたい人」とは正反対の、自分のノウハウを「見せたくない人」です。仕事の中に「自分しかわからない」「自分しか知らない」ことをどこかに温存して、自分の存在感を誇示しようとします。「自分がいないと物事が進まない」という状況を、どこか誇らしそうにしています。

 

私の知る中で多いのは、「定年を間近に控えた人」です。同じ仕事を継続したい、同じ部署にい続けたいなどの理由なのか、自分がいないと仕事が回らない状況に持ち込もうとします。業務引き継ぎには消極的で、自分のノウハウを共有することも、他人に教えることもしようとしません。

 

自分だけの仕事を囲い込んでおこうとするのは、たぶん自分の仕事がなくなるかもしれないという不安の裏返しです。同じようなことは契約社員や派遣社員などの立場の人にも見られることがあります。人材育成は求められないでしょうが、他の人が手出しできないように、自分の仕事を囲い込んでおこうとするのは同じです。

 

この「伝えたい人」と「見せたくない人」の違いは、自分の居場所に関する不安があるかないかです。「見せたくない人」には、仕事を失う、外される、抜かされる、不要と扱われるなどの不安があります。不安があれば、そうならないように自分を守ろうとするのは当然です。

「伝えたい人」は、自分の立場が確立していて生活不安がない人で、自分のノウハウを開示することがメリットになる、損はないと思っている人です。部下や後輩の利益を考えて、少しでも楽になるようにという気持ちで教える人は大勢いますが、そのメリットには「感謝される」といった精神的なことから、「後継者に任せられる」など、自分の身の上の安定まであります。教えたら自分が損をするならば、積極的に伝えることをしなくなるのは、こちらも当然のことでしょう。

 

定年延長や再雇用が増え、年をとっても仕事をする人が増えましたが、この人たちからの業務引き継ぎが、うまくいっていないという話をときどき聞きます。やはり自分が苦労して積み上げてきたものを、他人に簡単に渡したくない気持ちは誰にでも多少はあるもので、一定数の「見せたくない人」がいることもわかります。ただ、その人のノウハウを会社に残していってもらうことは、会社にとっても重要なことです。

 

自分のノウハウを「見せたくない人」を少しでも減らすには、本人の不安や希望をよく聞き、ノウハウ開示することへのインセンティブも作り出さなければなりません。これは必ずしも金銭的な報酬に限らず、感謝や尊敬、賞賛といったことも含まれます。

会社にノウハウを残して人材育成を進めるには、伝えたり教えたりする人たちの気持ちにも、少しの配慮が必要です。

 

2020年8月24日月曜日

「がんばるな」のCMでの共感ともう一つ大事なこと

 IT企業のサイボウズのテレビCMが話題になっているそうです。

「経営者の皆様へ、通勤をがんばらせることは必要ですか?」との問いかけから始まり、「がんばるな、ニッポン」という言葉で締めくくられていて、「通勤のつらさに寄り添っている」など評価する声の一方、「がんばるな」というフレーズに対する否定的な意見もあるそうです。

 

会社の担当者の話によれば、「がんばれ!ニッポン!」の対比的なフレーズを使うことで、自分たちが伝えたかった「不必要なところまでがんばらなくてもいいはず」「がんばらないのも大事なこと」というメッセージが伝わりやすいのではないかと考えたそうで、ある程度の批判や反論も想定していたとのことでした。今のところではポジティブな意見が8割、ネガティブな意見が2割という感じだそうです。

 

私自身も、このメッセージに共感している部分は多いです。

その理由は、「がんばる」のは必要なことだけど、どうするかは自分が決めることで、それは期間限定や非日常のことが対象だと思うからです。

 

まず、他人から「がんばれ」と強制されて、自分が「がんばろう」と思えないことは、がんばる必要が無いことです。そもそも「がんばる」という気持ちは、あくまでその人の主観の問題で、他人から見るとがんばっているように見えないことも、本人にとっては「がんばっている」状態のことがあります。

反対に、他人からは「がんばっている」ように見えて、本人は「別にがんばっているつもりはない」ということもありますが、これは「がんばっている」という状態には当てはまらないでしょう。

同じことでも、ごく普通の状態でできてしまう人と、すごく苦労しなければできない人がいますが、これを他人の尺度で、その人は「がんばっている」とか「がんばっていない」ということに意味はありません。本人の意思に反した「がんばり」は、ただの強制でしかなく、「今がんばっているかどうか」は、本人にしかわからないことです。

 

もう一つは、通勤のように、毎日の日常的なことは「がんばり」を求める対象ではありません。特別なプロジェクト、入学試験や資格試験、何かの修行のように、期間限定であったり、数年単位のことも含めた非日常的なことが、「がんばること」の対象です。そして、そのことに対する「がんばる」という意義を、本人が見出していなければなりません。

 

ただ、「がんばる」ということが不要かというと、決してそうではありません。自分が「がんばった」という経験は、なによりその後の自分の自信になります。「がんばっている」うちに、それが徐々に日常化していって、「がんばる」という意識がいらない普通のことに変わっていくこともあります。

大事なのは、他人から「がんばった」と見られることではなく、自分が「がんばった」と自己評価できるかどうかです。あくまで自分自身の意識の問題です。その経験の有無は、未知のことや難易度が高い課題にぶつかったときに活きてきます。

 

今でも、意味があるのかないのかわからないようなことを、「がんばれ」と強制する人はいます。そういう無意味ながんばりは、もう必要が無い時代だと思います。

ただ、「不必要なところまでがんばらなくてもいい」「がんばらないのも大事なこと」と説得力を持っていうためには、ほんの一時期でも「がんばった」という経験をする必要は、あるのではないでしょうか。

 

2020年8月20日木曜日

導入しても「使い方はこれから考える」というITシステム

 新型コロナのせいで、給付金など特殊な事務手続きがたくさんありましたが、それらの処理や行政機関のデータ集計、事務処理など、実は日本ではびっくりするほど手作業ばかりのアナログで、想像以上にデジタル化が進んでいないことが明らかになってしまいました。

予算もなくて前例踏襲、さらにリテラシーや問題意識も足りないとなれば、こうなってしまうのも仕方がないところでしょう。日本全体で生産性の低さが問題視されますが、民間企業も含めて実はこのあたりに大きな問題がありそうに思います。

 

デジタル化がこれだけ遅れているということは、考えようによってはとても大きな伸びしろがあるとも言えます。先進的とまではいかなくても、せめて諸外国並みの普通程度のシステム化ができれば、結構な生産性向上ができるかもしれないと思うのは、ちょっと楽観的すぎるでしょうか。

 

最近、相談を頂いた人事課題の中で、たまたまいくつかの会社から「システムの活用方法」というものが重なりました。HRテックの流れに伴う人事関連のシステム導入ですが、トップダウンや親会社ほか関係先の事情による導入ということで、それに起因する問題がいろいろ起こっています。もっとも根本的な話は、「そのシステムを何にどうやって活用するか」というものです。

 

現場主導のシステム導入であれば、もともとの実務に見合った形でおこなわれるので、こういう問題は起こりませんが、人事をはじめとした管理部門では、全社的なIT戦略の一環として、結構こういうことがよく起こります。

「このシステムを使って業務改善や効率化、付加価値向上を目指せ」ということですが、管理部門の人たちでは、具体的にイメージできないことが多々あります。

 

ここ最近でいくつかあったのは、「タレントマネジメント」にかかわるもので、収集できるデータ項目はたくさんあるものの、それをどう管理してどんな情報に加工して活用するかというイメージがありません。一概に決めつけてはいけませんが、私が見ている中に限ると、人事をはじめとした管理部門のメンバーは、この手のリテラシーが全般的に足りない傾向があります。

 

こういう時の支援は、効果的なシステム活用が目的なので、活用対象のテーマと活用方法の検討、それに伴う業務改革、システム会社への要件提示やカスタマイズ指示など多岐に渡りますが、一番困るのは、社内の責任者や担当者が、リテラシー不足を理由に自分で考えるのをやめてしまっている場合です。

 

システムのことはわからなくても、現場の業務についてはよく知っているわけで、さらに現状の課題と解決の方向性さえイメージできていれば、細かいシステムの仕組みや機能はわからなくても、「こうしたい、ああしたい」というイメージさえあれば、システム活用の目的は十分に達成できます。どうもそのあたりを「システムはわからない」と言って、遠巻きにしているケースが結構見られます。

 こんな様子を見ていると、日本でデジタル化が遅れているのは、当事者がリテラシー不足を理由に対応を避けてきたということも一因ではないかと感じます。

そうであれば、ITリテラシー教育が重要になりますし、これからデジタルネイティブ世代がビジネスパーソンの大半を占めるようになってくれば、自然と解決されることなのかもしれません。

 

「IT担当大臣がパソコンを使えない」などという笑えない話がありましたが、少なくともビジネスの中核を担う人が「デジタルは苦手」では、さすがにもう許されない時代になっているのではないでしょうか。

 

2020年8月17日月曜日

テレワークの「経費」の話

ある知人ですが、直近の電気代が過去最高金額だそうです。その理由は在宅勤務です。在宅時間が長くなれば、当然それに比例して電気代はかさむでしょうし、猛暑による空調がそれに輪をかけています。そのことに関しては、特に会社から支援はなく、基本的には自分の持ち出しとのことです。

 

他にもテレワークをするための「経費」として、ネットワーク環境の改善やパソコンの買い替え、デスクやワーキングチェアなど作業場所の整備といった話から、小さい子供や家族がいて家では作業に集中できないため、頻繁に利用するカフェ代やレンタルオフィス代、さらにわざわざ別に部屋を借りたというような話も聞きます。

 

テレワークが会社の都合で始まったことだとすれば、本来は会社が仕事上の経費として費用負担をすべきところですが、現状では社員まかせになっている会社がたくさんあります。

その中身は初期投資のたぐいから、通信費ほかのランニングコストまで、様々なものがあります。

 

ずいぶん会社が社員に甘えているように感じて少し調べてみたところ、実はこのあたりの支援をすでに始めている会社がたくさんありました。

多かったのは、テレワークのための環境整備費用の補助や備品の貸与、通勤交通費から付け替える形によるテレワーク実施そのものに対する手当支給などです。

 

ただ、この金額はまちまちで、直感的に「たったそれだけ?」と思ってしまうものもありました。

例えば、毎月の手当は5000円、通勤定期代は廃止して移動交通費はすべて小口精算で処理するというところがありましたが、社員が損をする感じではないものの、5000円で済む定期代は勤務先のかなり近くに住んでいなければあり得ません。

フロアを削減してオフィス賃料を減らす動きもありますが、その点で社員への見返りは今のところは何も言われておらず、これらテレワークによる仕事環境の変化で起こった経費削減の動きでは、その恩恵の大半が会社のものという感じになります。

経費支援の扱いは、大企業ほど手厚いということはあまりなく、本当に会社の考え方によってまちまちでした。

 

この違いがどこにあるのかを見ていて気づいたのは、支援に積極的ではない会社ほど「社員はテレワークのおかげで楽になった」と思っているのではないかということです。「自分たちにメリットが多いのだから、そのための負担は自分たちでしてください」という感じです。

この点に関して言えば、確かにテレワークが急激に広まった当初は、通勤の負担が減った社員を中心に「働きやすくなった」「時間利用が効率的」などと評価する声が圧倒的でしたが、テレワークが日常的になるほどに、その難しさやデメリットも見えてきました。

「仕事とプライベートの切り分けの難しさ」「評価の難しさ」「会議や話し合いの質の低下」、さらに「誰とも話さない時間がとても多くなったことによる孤独感」といったものがあります。「一定頻度で出勤したい」と考える社員も出てきています。

移動不要のリモート会議のせいで、かえってスケジュールが詰め込みになったとか、プライベートへの干渉や過度な監視を要求する「リモハラ」といわれるハラスメントも起こっています。

 

テレワークそのものに前向きでない会社は相変わらずありますが、テレワークをおこなっている会社でも、そのとらえ方には大きな差があります。その中で、多くの社員は環境変化による新たな対応が必要になり、それに順応しようといろいろ苦労しています。

 

テレワークの「経費」の問題は、これから徐々にスタンダードが作られていくと思いますが、できれば会社側では、「より良い仕事環境を社員と一緒に作っていく」という発想で、対等な立場で考えてもらえると良いと思います。

 

 

2020年8月13日木曜日

現場を知らないトップ、知っているつもりのトップ

 組織のトップという立場になると、「判断すること」が最も大きな役割になります。その判断が現場の意見と異なることは当然あるでしょう。時には「朝令暮改」などと批判されるような方針変更をせざるを得ないこともありますが、組織全体の最善を考えて、必要なことは実行しなければなりません。

その一環として、やはり「現場を知る」ということは重要です。

 

ただしそれは、その現場の仕事を経験しているとか、常に現場に足を運んでいるとか、そういうことばかりではありません。現場で起こっていることで、トップとして判断するうえで必要な情報を、いかに適切に把握するかということです。

その材料は、部下からの報告、集計されたデータ、業界動向、顧客からの情報、周囲からの助言、その他自分で収集した情報など、様々あります。

 

ある社長は、「現場のことはよくわからない」が口癖で、多くのことを現場判断に任せています。

現場の管理職や社員にとっては、「自分たちの判断を尊重してくれる」と思えるので、それぞれが前向きに仕事をしていて、会社の雰囲気も悪くありません。

この会社では、順調に業績が伸びている時期はこれで良かったのですが、業績が頭打ちになってくると、それぞれの現場任せの判断が、会社の全体最適からかけ離れていきます。みんなそれぞれが一生懸命ですが、どうもやることがちぐはぐです。

社長は相変わらず「現場主導でやってもらうのが一番」と思っているようですが、「現場のことはわからない」ではなく、「現場のことを知る」という努力はもっとするべきです。

 

またこれは別の会社ですが、現場からたたき上げの社長で、「自分は現場を知っている」という自負が強い人です。ですから現場には結構細かいことまで、いろいろと口出しをします。それが現場社員の納得を得ていればそれでもよいのでしょうが、実態はそうではありません。

現場の管理職や社員が言うには、「やり方が古い」「全部が自分基準」だそうです。

「これくらいすぐできるだろう」などと言って、納期直前に仕様変更を言い出したり、勉強や教育と称して無駄な手間をかけさせたり、知識がアップデートされていないので、現状に合わないとんちんかんな指示命令もあるそうです。そのせいで、周りの社員たちはそれほど重要でない業務に時間を取られたり、振り回されたりしています。

これは「現場を知っている」のではなく、「現場を知っているつもり」という状態です。ただ、社長自身がそのことに気づかなければ、これからも同じことが繰り返されるでしょう。

 

この両者の中間あたりに、「現場を知っている」といえるちょうど良いバランスがあるのでしょうが、それを見つけるのは簡単なことではありません。

データを見極め、多くの関係者から話を聞き、意見を求め、そこに自分の実務経験を重ねて、それをずっと繰り返すことで「現場を知っている」という状態が維持できます。

 

現場の仕事には立ち入らない主義の社長も、反対に常に何か現場の仕事に携わり続けて感覚を維持しようとする社長もいて、「現場を知る」ための方法は別に何でも良いと思います。

ただ、全部丸投げという「依存」と、自分が知っているという「過信」には、十分に注意をしなければなりません。

 

 

2020年8月10日月曜日

自分で決めたこと、決めていないこと

 

企業が運用する人事制度の中で、期初に目標設定をして期末の達成度を評価する「目標管理制度」は、数多くの会社で実施されています。

しかし、この仕組みが効果的に機能している会社は、逆にそれほど多くはありません。

その理由として、「目標管理制度」の本来の姿が、自分で決めた自己管理目標によって仕事を管理するマネジメントツールであるのに対し、多くの場合では会社に決められた、もしくは指示された目標の達成度によって、個人を評価するツールとして使われているからです。業績評価に使いやすいツールが、なかなか他に見当たらないという事情もあります。

 

特に設定された目標が、会社や上司の指示による目標となっていて、必ずしも本人が納得していない場合があることが大きく影響しています。「自己管理目標」とは言えないということです。

ただ、これも会社の立場からすれば、トップダウンの事業計画や業績目標がある中で、その内容と個人目標を整合させるためには、ある程度は仕方ない部分があります。

 

これを100%の自己管理目標として、その内容をすべて本人に委ねて、果たして会社にとっても適切な目標になるかは何とも言えません。仕事の中で、自分の「やりたいこと」「やるべきこと」がきちんと見いだせていないと、目標設定そのものが難しいでしょう。

この制度が導入され始めてからずいぶん年数は経ちましたが、今でも多くの会社で様々な見直しや試行錯誤が続けられていて、そこにはこれらのような背景があります。

 

これは、立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏のお話からですが、「やりたいことをできている人は全体の10%程度」「ほとんどの人が、実はやりたいことなんてわからないままで人生を終える」と言っています。そうなると、仕事の中に限定して「やりたいこと」から目標を決めようとしても、ほとんどの人はできないことになります。

 

また、仮に「目標は自由に決めて良い」と言われたとして、それではあまりにも範囲が広すぎて、かえって意思決定がしづらくなるといいます。ある程度のルールや条件、その他枠組みが決まっていた方が、何事でも決断はしやすくなります。

 

このように、会社から指示されて、自分では「決められない目標」の達成度で評価されるツールとして「目標管理制度」が使われる限り、社員の自律的な行動につなげるのは結構難しくなります。

一方「自分で決められる目標」となっても、ほとんどの人が「やりたいことはわからない」というところからすると、適切な目標設定は、誰もがそう簡単にはできません。

 

これはある会社が実際におこなっている工夫ですが、目標設定に網羅しなければならない要素だけを指定して、あとは本人に決めさせる、またはいくつかの目標の選択肢を示し、その中から本人に選ばせるといった形をとっています。会社の計画や目標と整合するように枠を決め、その中で「自分で決める」という手順を取ると、本人の認識が自己管理目標となり、「指示された」「強制された」「決められた」という感覚が薄くなります。

 

「目標管理制度」で大事なのは、目標を「自分で決める」というプロセスを経ることです。

これは目標設定だけに限らず、「自分で決めた」という認識があると、やらされ感がなくなって自律的に行動するようになります。どんな人でも、自分が決めていないことには責任感が薄くなり、自分で決めたことには納得して責任感を持って取り組みます。

「自分で決めた」と思わせるのは大事なことです。