2017年4月28日金曜日

「仕事」の部分がないと「余暇」もなくなってしまう?



ある記事で、ファッション通販サイト「ZOZOTOWN(ゾゾタウン)」の運営会社の前沢友作社長が、仕事に対する考え方を語ったインタビューがありました。

「嫌なことをするために会社に行く必要なんてない。みんなが好きなことをやってうまくいく会社が僕の理想」とおっしゃっていて、
その他にも、
「“売り上げを伸ばそう”とか“利益をあげよう”とか、思ったことはなく、それよりも、楽しみながら働ける会社をつくりたい
人生を楽しむため、好きなことをするために会社に入るのが本来のあり方。極端なことを言えば、嫌いなことは、一切やらなくてもいいとさえ思う」
働くなんて、一種の“余暇活動”でいい
「基本給とボーナスは全社員一律。好きなことをやるために一つ屋根の下に集まっているのだから、社内で無駄な競争などしない。いい時はみんなで分け合い、悪い時は共同責任という考え方」
などというお話をされていました。

職業観というのは、人それぞれいろいろありますが、「仕事で上を目指すのは当然」「競争はあって当たり前」「好きなことばかりが仕事ではない」などと考えている人にとっては、この話はちょっと受け入れづらいかもしれません。
しかし、あえて競争は捨て、みんなが好きなこと、やりたいこと、得意なことに取り組んで、それで会社が回っていくのだとすれば、それは一つの理想ではあると思います。
私も「売上至上主義」「競争至上主義」というのが今一つ肌に合わず、この記事のような考え方も一理あると共感するところがあります。

ここで出てきた中で、私がちょっと気になったのは、「余暇」という言葉でした。

この“余暇”という言葉の意味を調べてみると、「仕事の合間のひま。仕事から解放されて自由に使える時間」とあります。

ここから見えるのは、「仕事」に対して「余暇」が存在するということで、見方を変えると「仕事」がなくなれば「余暇」もなくなってしまうということです。

そう思うと、例えば定年などで引退して、「仕事」がなくなってしまった途端、何をしてよいのかがわからなくなるという人たちがいる理由が、少し理解できるような気がします。
ほんの少しでも「仕事」の部分があれば、それ以外の時間が「余暇」になりますが、「仕事」の時間が一切なくなると、それ以外の時間はもう「余暇」とはいえません。それまでの人生の大半を、「仕事」と「余暇」の間を行ったり来たりして過ごしてきた人は、どうやって時間を使えばよいのかがわからなくなってしまうのでしょう。

ここでいう「仕事」とは、たぶん少し広い意味で“価値を生み出すこと”を指していて、例えば専業主婦の家事であっても、何か趣味的な活動であっても、「仕事」に近いものにあたるのだろうと思います。そういうものがあってこその「余暇」ということです。

もう一つ、この「余暇」という言葉の定義からすると、前提は「仕事」が拘束で「余暇」が自由であるということです。
「仕事」のやりがいの中には、「いかにして制約条件を乗り越えるか」「決められた枠の中におさめる工夫」といったものがありますが、もしも「仕事」に拘束の部分がなくなって、すべてが自由に振舞えるとしたら、そのようなやりがいを感じることはなくなってしまいます。
きっと、つらいとか、不自由とか、何らかの制約、拘束などがすべてなくなってしまうと、実は人間は人生を楽しめなくなってしまうのかもしれません。

このあたりは、最近よく言われる「ワークライフバランス」にも通じる話だと思いますが、程よいバランスがどこかというのは、考えれば考えるほど決めづらい気がします。
結局それは本人の心の中にしかなく、他人がそれを理解するのは難しいことなのかもしれません。

2017年4月26日水曜日

「分断勤務」という自営業的な働き方には、向かない性格の人もいる



NTTドコモが、1日の勤務時間を分けて働ける「分断勤務制度」を導入することを決めたという話題がありました。
すでに導入済みのテレワーク制度と合わせて、例えば、社内で5時間働いて、帰宅後に自宅で2時間働くなど、1日の所定勤務時間(7時間半)さえ満たせば、時間や場所にとらわれずに働けるということです。
働く時間帯を柔軟に設定できることで、深夜作業や海外対応への考慮がしやすくなり、子育てや介護を抱える人にもメリットがあるとのことです。

これを見て私が一番初めに思ったのは、「私たちのような自営業者の働き方と同じ」ということです。
私たちには1日の所定労働時間などという縛りはなく、その分自由度の高い働き方ができますが、代わりに確実に保障された報酬もありません。
時間や場所に多少の縛りがあったとしても、雇用関係による身分の安定と、毎月一定の収入が保障された状態で、私たちと同様な働き方ができるというのは、ある意味うらやましい感じもします。

柔軟な働き方が指向される流れは、これからも当分変わらないのだと思いますが、ここで私が気になるのは、会社で働く、雇われるということに慣れた人たちが、果たしてこの「自営業的な働き方」になじめるのだろうかということです。

もう5年以上前なので、そのころからは意識がずいぶん変化していると思いますが、あるセミナーで講師をしたとき、「在宅勤務をやりたいか」という問いに対する反応は、やりたい人とやりたくない人の割合がほぼ半々で、やりたくないと答える人が、思いのほか多いと思ったことがありました。

どちらかと言えば男性の方が後ろ向きな人が多く、その理由は「家に帰ってまで仕事なんて冗談じゃない」「家はくつろぐところで、仕事をやるスイッチが入らない」など、家では気が乗らないという本人の気分の問題や、「ずっと家にいるのは気が滅入る」「“会社”“仕事”という最も正当な外出理由を手放したくない」など、在宅しなくないというようなものもありました。

こんな家族観や職業観も、今は少なくなってきていると思いますが、本音ではこんなことを思っている人もまだまだいるのでしょう。

さらに「自営業的に働く」ということには、かなりの自己管理的な要素が含まれてきます。これについて、私は本人の性格や資質に左右されることがかなり大きいと思っており、向いている人といない人、もっと言うとできる人とできない人で、大きな差が出てくるのではないかと思っています。

「分断勤務」で考えられる効果として、良い面で言えば生産性アップ、時間効率のアップということですが、これは売上増につながるような生産性向上とは少し違いますし、急に人件費が減るというものでもありませんので、大きな利益貢献も考えづらいでしょう。

逆にマイナスの影響があるとすれば、これは自己管理が苦手な社員たちの行動の問題です。本当の自営業であれば、自分のさぼりは収入に直接影響してきますから、自己管理が必須というインセンティブが働きますが、そうでなかったとすると、自己管理ができない人はどんどんそのままの方向に引きずられていきます。これは会社の業績悪化につながってしまうでしょう。
ここでは、仕事の成果を問う、評価を明確にするといったことで縛りをかけていくのでしょうが、これもやり過ぎると、制度本来の意義がなくなってしまいます。

「働き方改革」で、特にワークスタイルに関する部分を見ていくと、社員個人に「自営業的」な自己管理を求められているところが多いように思います。ここ最近、米国系の有名企業でリモートワークの制度をやめるところが出ていますが、たぶんこのあたりに問題があったのでしょう。

日本人は比較的真面目だということで言えば、そこまでの問題にはならないかもしれませんが、「自己管理が苦手な人」への自由度を高めるということに関する心構えは必要です。

ダメな自営業は個人の責任でつぶれるしかありませんが、会社はそうはいきません。在宅勤務や分断勤務で業績が下がってしまっては、まさに本末転倒です。
「働き方改革」での制度設計や社員の指導には、まだまだ多くの工夫が必要だと思います。

2017年4月24日月曜日

やはり守られない「採用指針」は、もう無くしても良いのではないか?

来春入社の新卒採用について、経団連の「採用指針」で定められた時期によらず、すでに内定が続々と出され、前年比でもその率が急上昇しているという報道がありました。
人手不足の中、企業は優秀な人材確保のため、内定を前倒しして囲い込みを進めているということです。

以前の「就職協定」から、その後は「倫理憲章」の呼称で緩やかなガイドラインが作られ、さらに平成25年からは成長戦略の一環として、「世界に通用する人材育成のために、学生の就職活動期間を短縮して学業に専念できる時間をより長くする」という政府の要請により、拘束力を強めた「採用選考指針」となって今に至ります。

ただ、この要請のころは就職氷河期だったこともあり、就職活動が長期化する学生が続出して、学業に支障が出てきていたという事情がありました。
開始時期を遅らせるという方法が適切だったのかには疑問がありますが、就活に苦労して落ち着いた学校生活を送れない学生たちを目にしていた中では、そういう規制もやむを得ないと思っていました。

しかし、ここ数年は売り手市場の傾向が強まり、今年は私の周りでも、すでに内定をもらったという学生が思った以上にどんどん出ています。内定先も、まさに経団連に加盟しているような企業なので、指針が明らかに有名無実化していることがわかります。

ただ、だからといって、これで誰かが困っているかというと、実際にはそうでもありません。学生は早く就活を終えて学校生活に集中できますから、採用指針自体の目的は達成されています。大変なのは企業側の採用担当ですが、こればかりは自社の目標達成に向けて動くしかありません。採用活動はそもそも他社との競争であり、このこと自体は環境がどうであっても変わらないことです。

しいて困った人がいるとすれば、それは「採用指針」を真面目に守ろうとした人たちで、特に企業側には出遅れて機会を逸しているところがあるかもしれません。ただし学生側の出遅れは、今年についてはあまり問題なく収束すると思われますから、それほど困ることはないでしょう。

ここで、もう言い尽くされている今さらな話ですが、「そもそも企業による青田買いはいけないことなのか」ということです。
かつて言われたのは、「過剰な囲い込みが学生に自由な活動を阻害する」ということでしたが、売り手市場での選択権は学生主導なわけで、企業がどんな囲い込みをしたとしても、最終的に決めるのは学生の側です。

また、「就職を目標に大学を選んだ者は、早期内定するとその後勉強をしなくなる」といったものもありましたが、今はどんな大企業でも入社がゴールではありません。定年まで勤めあげるケースは減ってきていますし、学ばずに会社にしがみつこうという戦略が大いなるリスクになることを、多くの学生は理解しています。

例えば、アルバイトに来ている大学一年生に、「卒業したらうちに就職しないか?」と声をかけて、それを本人が受け入れたとしたら、相当な青田買いには間違いありませんが、これが良くないこととは到底思えません。何か問題があるとすれば、例えばその後本人の心変わりがあって、それを会社が受け入れずに変な仕打ちをするとか、本人の意思に反した囲い込みをするとか、そんな非常識なことくらいでしょう。

そもそも、4年も5年も先の採用を確約するというのは、企業としてはやりづらいですから、青田買いといっても、せいぜい1、2年先くらいまでの話でしょう。

少子化で学生の数は徐々に減っていくことがわかっていますし、労働人口自体も減る中で、就職活動における売り手市場の傾向は、基本的には今後も変わらないでしょう。企業の採用活動は長引きやすくなり、新卒採用も一括採用から通年採用の方向に変わっていかざるを得ないと思います。

新卒の一括採用には、社員を自社の色に染めやすい、初等教育が効率的といった利点がある一方、自社に染まってもらう前提なので、ミスマッチに学生側が無理して合わせようとしていることがあります。
それを防ぐために、本来の意味でのインターンシップなどが活用されればよいですが、これすら青田買いだとして規制しようという動きがあると聞きます。

採用活動の現場でも、俗に言われる“ゲームチェンジ”は進んでいます。それに見合わない協定、指針はもういらないと思います。