2023年4月24日月曜日

「ホワイトすぎる」という理由の退職

 最近、若手社員が「仕事がゆるすぎる」「職場がホワイトすぎる」などの理由で、退職するケースが増えているといいます。

以前と比べて、長時間労働をはじめとした職場環境の課題改善に取り組む企業が増え、その環境は改善が大きく進んでいるといいます。定時で当たり前のように帰れる職場も増えているようですが、そんな職場環境を「ゆるい」と感じている人が、全体の3分の1以上に上るという調査結果もあるそうです。

大企業や有名企業に入れば安心という時代ではなく、職場がゆるいと「もっとスキルや経験を身に付けなくて大丈夫なのか」と不安になってしまうことが、退職に至ってしまう理由の一つに挙げられています。

 

これと似たような退職理由を、私はもう30年近く前に身近で聞いたことがあります。安定したシステム開発のプロジェクトに、中途採用の若手社員が配属されましたが、半年ほどたったところで、「このプロジェクトは自分がいなくても問題なく回っていくので、自分の経験にならないしやりがいも感じない」と言って退職してしまいました。トラブルもなく安定して働きやすいと思われる環境を、「経験が積めない」「面白くない」「やりがいがない」などと感じる人は、昔からいたのだと思います。ハードワークを当たり前に強制されることも多い時代だったので、あまり表面化することがなかったのでしょう。

 

今の若い世代は、プライベートな時間やワークライフバランスを重視すると言われ、確かにそういう傾向を感じるところはありますが、その一方、多数派ではないかもしれませんが、「若いうちにいろいろ経験したい」「家庭を持つまでは仕事中心」など、スキルアップ重視でハードワークもいとわないという若手社員は一定数います。

特に最近は、「他部署や違う会社で、自分のスキルは通用しないのではないか」という不安感も持つ人も多いので、環境が整っていて、仕事のストレスは少なく、周りの人はみんなやさしく、残業はなくて休みは取りやすいというような典型的なホワイト企業では、自分が成長できないのではないかと思ってしまう人はいるでしょう。

 

こういったことも、結局は「多様化している価値観」の一種であり、みんながみんなそう思っているわけではないですし、ホワイト企業が悪い訳でもありません。かといってただ居心地が良い環境を作ればよいということでもありません。

その人の志向に合わせて成長を支援していくことと、合わせて働きやすい環境づくりも進めて、より多くの人が満足できる職場作りが必要になっています。

ステレオタイプで判断せずに、より多くの価値観に対応することが、ますます重要になってきています。

 

 

2023年4月17日月曜日

「通知表廃止の小学校」と「企業での人事評価」の問題意識が似ていたこと

ある小学校で、様々な問題意識から通知表を廃止して、その後どうなっていったかを紹介した記事がありました。

全校で千人を超える大規模校ですが、校長は以前から通知表の在り方に疑問を持っていたそうで、教員に対して「良い評価が多ければ喜び、そうでなければ悲しむだけで、それでは意味がないのではないか」と問題提起したそうです。通知表をやめることも視野に入れた問いかけです。

 

ある教員は、評価といわれると、通知表やテストのようなものばかりが頭に浮かびがちだが、毎日の授業で子どもの取り組みに声をかけたり、提出物にコメントを付けたりするのも評価の一つの形であり、子どもたちの学びを後押しする観点で考えたとき、通知表は望ましい評価の手段だろうかという問題意識を持っていたそうです。

教員たちの意見交換と話し合いは2年間に及び、最終的に通知表の廃止が決まりました。

 

その後は試行錯誤の連続だったそうで、例えば通知表の代わりにこれまで以上に子どもの変化や成長をメッセージで伝えたり、提出物をこまめに返して保護者に学習状況を知らせたりしようと心がけましたが、「時間がかかりすぎて授業づくりができない」「本末転倒だ」と頭を抱える教員もいたとのことです。

保護者からも賛否両論があったものの、激励する意見は多く、「テストや宿題で子どもの得意、不得意は分かる」「数字だけでは評価されない、細かい部分まで見てくれている」「日常を評価してもらい、子どもにとってより励ましを得られている」といったコメントがあったそうです。

一方では、「日ごろの頑張りが一目で分かるものだったので、なくなってしまって残念」「社会に出ても評価はつきまとう」「ずっと競争が続くのだから、自分がどの位置にいるのか知っておくべきだ」といった懐疑的な意見もあったそうです。

 

通知表廃止から二年が経過したころに実施した運動会で、それまで紅白対抗の点数で競ってきたことをやめ、ある学年の団体競技では、目標を「本番で練習よりタイムを縮める」と決めました。

すると、子どもたちは順位よりもタイムに注目していて、タイムを発表するたびに歓声が上がり、順位が最下位だったクラスの子どもでも、「自己ベストが出た」と大喜びで教員に報告してきたといいます。

校長は、あくまで小学校だからできたことであり、中学高校での通知表廃止は極めて難しいものであり、さらに社会に出ても競争や他人の評価と無縁でいられないことは承知していますが、「他人と比べる」という価値観から離れて、評価はどうあるべきかを突き詰めた期間を経て、学校の様子は確かに変わり始めたという実感があるそうです。

 

この「他人と比べない評価」という話は、実は企業でも同じ問題意識による取り組みが行われ始めています。「ノーレイティング」と呼ばれるものですが、評価ランクなどをつけて社員を序列化するのではなく、能力が高い人も低い人も、それぞれの力量に合わせた目標を設定して、それぞれが自己ベストを目指すといった考え方です。

それが会社の業績貢献につながるものであり、それを推進するための仕組みの一つが、最近注目される「1on1ミーティング」です。本人の育成や成長を目的にして、短サイクルで目標設定とフィードバックを繰り返す一対一の面談を言います。

 

人事評価というのは、多くの企業で実施されていますが、運用によっては好ましくない状況を作り出してしまう可能性があります。勝ち組と負け組の明確化、社員の序列付けによる嫉妬、不満、えこひいきといったもの、能力不足を理由にした一方的な社員切り捨てといったものです。

これから評価制度を導入しようという企業がある一方、それを合理的ではない、生産性は高まらないと考えて廃止する企業も出てきています。

 

人が人を評価することは難しく、そこで生まれる問題はどこも似通っています。それに対処する際の考え方、方法にも共通することが多いように感じます。

 

 

 

2023年4月10日月曜日

「次世代育成」の悩みの様子

 私がお手伝いしている会社の多くが持っている課題の一つに、「次世代育成」があります。

事業承継など経営者の世代交代に関する課題については、それを専門に指導するコンサルタントや、代替わりを支援するようなビジネスがいろいろありますが、同じような人材育成上の課題はそれよりも下の階層でも起こっています。

 

組織内での世代交代は、大企業であれば次を担う人材は数多くいて、その人達の道を閉ざさないように、役職定年制などを設けて強制的に道を譲る仕組みが取り入れられていたりしますが、中小企業ではそう簡単にはいきません。

ある会社では、役職定年制を取り入れてみたものの、誰かが役職を退いてもその後を担う人材がいない事態が多発して、制度を撤回したところがあります。組織内で役職者とその次の世代の間で年齢や経験に大きなギャップがあるなど、世代や人材レベルの連続性がないために、制度が機能しなかったようです。

多くの中小企業でも似たような状況があり、役職や序列の固定化が起こるのは好ましいとは言えませんが、それを回避したくても次を担う人材がいないために、やむを得ずに現状を維持しているということがあります。

 

以前ある会社で、部長クラスにヒアリングして出てきた課題も、「自分の次を任せられる人材がいない」ということでした。そうは言いつつも、現状の体制の中からとりあえず「次の人材」を選定して、その人たちに対する権限移譲や育成を行っているので、課題を意識してその対策を進めている様子は見られ、決して何も進んでいないという状況ではありません。

ただ、指導している部長たちが異口同音に言うのは、「レベルが足りない」「意識が低い」「意欲が見えない」など、指導している次世代人材が「物足りない」という声です。「自分たちはこうしてきた」「自分はこうやっている」「こんな勉強をしてきた」などといい、そこに到達していないからまだまだダメだといいます。

 

その話を聞いていて私が思ったのは、「自分と同じでないことを取り上げてダメだと言っている」ということです。業務能力のことだけでなく、仕事への向き合い方や優先度の付け方といった、個人的な価値観にかかわるようなことにも自分と同じレベルを求めていて、何か自分のコピーを作りたがっているような印象でした。

 

部長たちには、指導している部下たちの3年前の様子を振り返ってもらったのですが、そうやってあらためて考えてもらうと、みんなそれなりに進歩しているという評価が出てきました。

例えば部下の「意欲がない」と言っている部長は、部下は指示したことにはしっかり取り組んでおり、手を抜いたり文句を言ったりすることもなく、真面目に業務をこなしているといいます。以前よりは間違いなく任せられることは増えているそうですが、「自分は常に仕事のことを考えていた」「自分はもっと人脈を広げる努力をしていた」など、自分との比較で「物足りない」と言っていました。実際にはそれなりに人材が育ってきているのに、自分を基準にして評価が厳しくなりすぎているように見えました。

 

自分の役割を他人に引き継いで任せるというのは、自分にこだわりがありすぎるとそれが意外に難しくなることがあります。仕事というのは、実際にやってみて経験を積まなければ、できるようになりませんが、他人がやるからには自分のやり方とは違いがあり、結果の出方も違ってきます。そのことを許容したうえで任せなければ人材を育てることはできませんが、自分のコピーを求めて、それができないから「物足りない」「任せられない」というのは、人材育成上ではあまりいいことではありません。

 

「次世代人材が育っていない」という話の裏には、「ほかの考え方、やり方、優先順位を許容できない」という指導する側の問題もあるように感じます。自分のコピーを求めて「物足りない」と言っていると、本当の成長度合いを見誤る恐れがあります。部下の成長は、客観性をもって見極めていかなければなりません。

 

2023年4月3日月曜日

環境を整えなければ「自分で判断」はできない 

マスクの着用が個人の判断に任されたとのことで、その様子は少しずつ変わり始めているようです。

 

先日、ランチタイムにある飲食店へ入りましたが、スタッフは全員マスクを外していました。同じ店内でスタッフによってばらばらというわけにはいかないでしょうし、店の方針でそうやって統一したのでしょう。

その一方、医療機関などはまだこれまでと同じところが多いようです。ただ、病院というのは病気の人が集まるところなので、もともとマスクを使うことが多い場所ですから、そういう判断も理解できることです。

ただ、このどちらの場合も、「個人の判断」とは少し違ったところで決められているのは確かです。

 

会社でも対応の仕方はいろいろで、まだしばらくの間は着用を求めて様子を見るというところ、社外の人と接するときだけは着用するようにするが、それ以外は着用しなくてもよいことにしたところ、あえて会社からは指示せず、本当に個人判断に任せようというところなどがあります。

ただこちらも、「自分で決めてよい」と言われていても、何となく同調圧力を感じながら、現状では様子を見ている人たちが結構いるように思います。

 

ある会社では、部門長ごとの判断ということにしたそうですが、マスク嫌いの部長は配下の全メンバーに外すことを求め、外すことに慎重な部長は現状維持でいるそうです。

外したいメンバーが続けて着用を強制されれば、それを不満に思うことが想像できますが、逆にマスク嫌いの部長のもとでは、「花粉症なのでマスクをしたいけど、着用して部長に反抗しているように見えても嫌なので、仕方なく外している」という人がいました。もはや個人の判断で決めている状況とは言えませんが、「自分で判断」を可能にするには、それなりの環境整備が必要ということがわかります。

 

いま、社員に「自律・自立」「判断・決断」を求める会社が増え、その不足が問題だと話す経営者や管理者が多くいます。もちろん社員本人たちの自覚や能力向上は必要ですが、合わせてそれができるような環境づくりが不足している会社が多いと感じます。

やはり経営者や上司からの言葉や無言での圧力がありますし、同調圧力、昔からのしきたり、不文律、その他さまざまな環境があり、みんなその中で「自分の判断」をしています。本当の自分の意思によるものとは限らず、自分なりに考えたものではない可能性もあり、それは自律性からは少し離れたものです。「自律・自立」が不足するに決まっています。

 

最近よく取り上げられる「心理的安全性」は、お互いが遠慮や気兼ねをせずに何でも言い合える関係性を言いますが、自分で判断できるようにするためにも同じような環境が必要です。

環境が整わないと、自分で判断することはできず、自律した人材を育てることはできません。