2018年1月31日水曜日

「合う会社」「合う仕事」を自覚している人は意外に少ない



人事の仕事をしていると、社員が退職するとなったとき、その場面に立ち会う機会は多くなります。その前には必ず退職理由の話を聞きますが、そこで「仕事が合わない」「やり方が合わない」「人間関係が合わない」「会社に合わない」など、自分の価値観との違いを理由として言われることがあります。
コンサルタントになった今でも、クライアント企業での社員の退職に際して、同じく「合わない」という話を聞きます。

こういうとき、私は昔からその人には必ず「では何が合うのか?」と尋ねることにしています。
そうすると、私の感覚でだいたい6割くらいの人は、自分に合うものを答えられないか、答えてくれたとしてもとてもあいまいな内容になります。嫌なこと、不満なこと、気に入らないことははっきり言えますが、良かったこと、満足していたことなどは、意外に意識されていません。

残りの4割くらいは、それなりに「合うもの」に関する明確な答えがありますが、例えば「業界が合わない」といって去っていった人が、1年後に結局同じ業界に戻っていたりすることが、そのうちの半分くらいあります。自分なりに合うか合わないかの判断はしていたものの、実際に違う世界を知ってみると、自分の思った通りではなかったということでしょう。

自分に合う、合わないを客観的に自覚できているのは、私の感覚値では全体の2割くらいということになりますが、結果的に良い転職であったり、新しい環境への適応が順調であったりというのは、こういう人たちです。
反対に、私が見ていてあまり幸せでない転職を繰り返している人は、常に「自分と合わない」「自分と違う」など、食い違っている部分ばかりにフォーカスして物事を見ています。

昔見たテレビ番組ですが、いろんな国の家族の生活ぶりを紹介する番組がありました。もう詳細は忘れましたが、確かに食べるものや生活習慣、思想や宗教観、町の様子や気候、その他文化的な違いはたくさんある一方で、どの国でもみんな家族を大切に思っているし、子供たちはみんなかわいいし、おいしいものを食べればみんなご機嫌にしています。
たぶんその時のナレーションか何かだったと思いますが、「国が違えば確かに習慣は違うけど、人間同士であれば、実は同じことの方が多いのではないか」と言っていたのが印象に残っています。全体の割合から見れば、実は同じことの方が多いのに、違いに注目しているとそればかりが印象に残ってしまい、それは幸せなことではないと言っていました。

「仕事が合わない」「やり方が合わない」「人間関係が合わない」「会社に合わない」などという話は、まさに自分と合わないことばかりに注目しているために、実はもっと割合が多いかもしれない「合っていること」に気づけなくなっているように思います。

私は「合わない会社」に我慢する必要はまったくなく、転職するならどんどんすればよいと思いますが、本当に“合わない”のかどうかが自覚できている人は意外に少ないです。
そう思ったとき、今一度自分の気持ちの反対にあるものを考えてみることをお勧めします。


2018年1月29日月曜日

「一律管理」の発想はもう捨てなければならない



ある会社の社長と、評価制度の話になりました。
その社長は、できるだけ明確な評価基準を作って、それをもとにみんなが同じ目線で評価され、評価する側が誰であっても結果がばらつかないものが理想だといいます。
人間がやることなので、さすがにそこまでは無理だとしても、その理想に少しでも近づけるような仕組みを作りたいのだと言っています。できるだけ一律に管理ができるものが、公平だし効率も良いので望ましいとのことです。
こういった「一律管理」を志向する話は、一部の経営者からではありますが、ずいぶん昔からたびたび聞く機会がありました。

この話に関して、社長がそう思う気持ちは理解しつつも、私ははっきり「無理だ」と言いました。同じ時間に同じ環境でこなす単純労働を人間が担っていた時代ならともかく、それとはもう大きくかけ離れた時代になっているからです。
別々の人間の行動に枠をはめて見るということは、それ以前から難しいことではありましたが、一層複雑化した今の環境の中では、その難易度がどんどん増しています。

例えば、社員の働き方として、かつてはみんなが正社員で同じ就業時間帯、同じ休日で働き、結婚した女性は退職して専業主婦になるのが当たり前という時代がありましたが、そんな話はもうとっくに終わっているだけでなく、そこからさらに大きな変化を遂げています。
今は正社員に非正規社員、短時間勤務、地域限定、フリーランス、在宅勤務、さらに育児や介護での制約など、様々な人が多種多様な形態で同じ職場で働いており、6割近い世帯が夫婦共稼ぎで、必ずしも週末休みではない人が増え、フレックスタイムや裁量労働という人や、シフト制で毎日異なる時間帯で働く人がおり、さらに最近は朝型勤務などを導入している会社もあります。

また、前述したような企業の評価制度の中でも、一律の年次評価による序列づけをやめて、個々の社員に注目した新しい目標管理プロセスを導入するような会社が出てきています。とにかく流れは「一律化」ではなく「多様化」なのです。

現代の経営環境や、個人を取り巻く状況を表現するキーワードとして、「VUCA(ブーカ)」というものがあります。
Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)という4つのキーワードの頭文字から取った言葉で、現在はとにかく「予測不能な状態」だということになります。

将来の予測が難しいとなれば、その場で起こったことに適応していくしか方法はありませんが、そんな複雑な環境の中で、一律化、単純化した手法を持ち込むのは、適応力という点でもかなり危険なことです。

人事制度に限らず、会社の中での様々な仕組みは、これからも絶対に必要ですし、効率化を考えた取り組みも同じく必要ですが、同時にこの多様化、複雑化ということには対処していかなければなりません。
少なくとも、かつての「一律管理」の発想は、もう捨てなければならない時代になっています。


2018年1月26日金曜日

“現場主義”の中に隠れているかもしれない「判断の遅さ」



ちょっと気になるウェブ記事がありました。
アメリカ在住の著者が、先日の首都圏の大雪による交通機関での混乱を見て、日本人の危機管理について書いたものでした。

職場は「早めの終業」を指示していて、「雪の予報」もそれなりに正確だったにもかかわらず、いくつもの駅では入場制限が行われるなど混乱し、多くの帰宅難民が発生してしまいましたが、この一つの見方として「危機管理上のスピード感が足りない」といっています。

雪に弱い鉄道の問題も、「先走った判断が外れた場合の非難」というカルチャーの問題もあるとはしながらも、雨雲レーダーほか刻々と変化する気象情報が手に入るにもかかわらず、その情報を使って先手を打って、ダメージを最小限にするマネジメントができていないとのことです。

それは「論理や統計などの抽象概念から、リスクを取って判断することができない」ということで、もっとシンプルには、「目で見ないと納得できない」「実感しないと動けない」という問題があるとされていました。
日本の組織にある深層心理や習性として、「見える化をしないと動けない」という問題があり、例えば「テレワーク」がうまくいかないのは、「顔を合わせてコミュニケーションしないと安心できない」など、「見えない情報だけでは仕事が完結しない」という習性があるのではないかということでした。 
「目で見ないと納得しない日本人」という指摘がされていました。

私はこの記事を読んで、「日本人は・・・」などと言われると「みんながそうではない」と反論したくなってしまいますが、これらの指摘で思い当たることは多々あります。
例えば、今回の雪の件でも、「遅い時間の方が電車は空いて楽に帰宅できた」という人の話を聞きましたが、これも初めからそうなることを予測していたというよりは、「まあ大丈夫だろう」「じたばたしても仕方がない」などの結果論として、たまたまそうなったということです。
特に危機対応の行動はしなかったということですが、ここでの最悪の想定は、電車不通で帰れず、泊まる場所もないといった状況も考えられたわけで、危機管理として考えれば、無作為というのはやっぱり問題です。

私はこの「見える化をしないと動けない」「目で見ないと納得しない」ということに、悪い意味での「現場主義」というものを重ねています。

特に日本の場合、「現場主義」というのは、おおむね良い意味でとらえられます。確かに「答えは現場にあり」などと言われ、それ自体は間違いないことです。それが例えば現場の些細な変化から危険を読み取るであったり、先の状況を予測したりといったことであれば良いですが、「見える化をしないと動けない」「目で見ないと納得しない」ということがあるとすると、「現場主義」が判断ミスや遅れの言い訳になっていることがあり得ます。

リーダーに必要な能力の一つに、「危機管理」があります。「不確実なことを的確に先読みして対処する」ということになりますが、優れたリーダーは様々なデータや情報、自分の経験や感覚などを駆使して予測をします。もちろん現場も見ていますが、現象が見えた段階ではすでに遅いということを知っているので、「見たもの」だけに意識が偏りません。

「自分の目で見たもの」ばかりを重視して、それを「現場主義だ」と位置付けていると、判断ミスや遅れにつながります。「現場を見ることだけに偏るのは現場主義ではない」ということを、あらためて意識しておかなければなりません。