2013年4月30日火曜日

「お金」でも「地位」でもない若者たち


ある会社でうかがったお話です。

その会社で給与体系の見直しを行うことになり、社員向けに内容の説明をしたときのことだそうです。

どんな話をしたかというと、
「こういう役割だとこういう給料になる」
「早く上位ランクになればそれに見合って昇給し、いつまでも同じランクに滞留すると昇給しなくなってしまう」
「きちんと昇給できるようにランクアップを目指して頑張ってほしい」 
というようなことだったそうです。

 しかし、それに対する若手社員の反応は、
「今の給料でも倹約すれば生活できるので、別にいいです」
「そんなに偉くなりたいとは思いません」
という感じで、あまりにも向上心がないと感じ、ビックリとガッカリだったそうです。

私が見ている中でも、最近こういう傾向は増えていて、特に若手社員の中では強く感じることがあります。
ただ、彼ら彼女らの中で、お金や地位に執着しない人が増えているのは事実ですが、決して向上心が無い訳ではなく、モチベーションを感じる対象が違ってきているだけだと私は思っています。ストライクゾーンが以前とは変わってきているということです。

もちろんこれは人に寄りけりですが、どちらかというと自分の経済的な裕福さ個人的な上昇志向ではなく、“友人”、“仲間”、“家族”、“チーム”、“社会貢献”、“他者貢献”、“環境”、“弱者救済”、といった事柄の方が優先されることが多いように思います。
社会起業家のように、単に収入を得ることを目的として事業を興すのではなく、使命感を持って社会の課題を自らの手で解決すること目標とした起業などとも共通する印象があります。自分自身のことにしても、“自己実現”といった、自分の欲求欲望を満たすこととは違うニュアンスで表現されることが多いと思います。

上司、管理者の世代の人たちは、自分たちの感覚と比較して、「向上心が無い」と嘆きますが、これは人それぞれの持つ価値観によるものですから、他人に言われて急に変わるものではないからですし、嘆いても何の解決にもなりません。
やはり、相手のツボに合わせたモチベーションアップを考える必要があり、実はそれはちょっとした目線の違いだけではないかと思います。

先日私とお話した方は、「何でいいもの食べたいとか、いい車に乗りたいとか思わないんだろう・・・」とおっしゃっていましたが、今の若い世代からすると、たぶんそんな浪費は敵無駄なことなんだろうと思います。

「出世していい給料をもらおう」ではなく、ちょっと言い方を工夫して「君がリーダーになるとチームのみんなが仕事しやすくなるぞなんて言った方が、やる気が出るのかもしれません。


2013年4月27日土曜日

精緻な制度と運用コスト


会社組織に制度、仕組み、システムは必須です。制度化、仕組み化、システム化を進めることで、徐々に効率が上がっていきます。ただ、こういう流れに慣れてしまうと、往々にして行き過ぎが出てきます。 
細かく制度化、仕組み化、システム化をすることで、誰がやっても同じ結果になるようにすることを目指すのですが、実際にはそれが効率化に貢献しない、つまり効率化される以上に運用コストがかかるという状態です。

身近で起こりがちな、わかりやすいところでは、

○ 似たような中身の手続き書類がたくさんある
○ 書類に押されるハンコの数がやたら多い
○ 社内の報告会がイベント化し、管理職が何日もかけて報告書類を作っている
○ 何を話し合うか決まっていないが、とりあえず出席しなければならない会議がある
○ 「決まりだから」という理由だけで、やらなければならない作業がある

などというところです。

私が出身のIT業界では、仕事の性質上もあってシステム化に対する意識が高い事が多く、その反面で「理屈ではそうだけど・・・」「それはやり過ぎでしょう」というところに陥りがちな傾向があります。そもそもの目的を見失って、「その作業、手続きを行うこと」目的化していたりします。

実際の話、例えば野球やアメフトのように、ワンプレー毎にベンチから指示が出せるような競技であればまだしも、サッカーやラグビーのように、ゲームが始まったら多くの部分を選手自身が判断しなければならない競技では、すべてをパターン化して事前に教え込もうとしても、それは難しいはずです。これをビジネスの世界で考えれば、業種や仕事内容によって差はありますが、圧倒的に後者のケースが多いはずです。

そもそも誰がやっても同じにできるなら、マネージャーなど不要でただの監視役がいれば良いことになり、個人の資質も能力も関係ないということになってしまいます。無人化できる工場のような仕事内容ならいざ知らず、そういう仕事は会社の中ではごく一部のはずです。

会社での制度化、仕組み化、システム化は「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。個々の社員の能力を見極めた上で、どこまで決めてどこまで任せるのかを、バランス感覚を持って考える必要があります。
私は「人は機械ではないので、もっと信じて任せてみれば?」と思います。



2013年4月26日金曜日

人に好かれる最強の方法・・・?


今回のタイトル、「人の好かれる最強の方法は?」としましたが、その答え、皆さんは何だと思いますか・・・。

答えはなんと「犬に学べ!」なんだそうです。
人によっては「何言ってんだ!」と怒られそうですが、まぁ軽い小話程度、そんなこともあるかもね、という程度で捉えて頂ければと思います。

私も昔、実家で飼っていたので、いちおう様子はわかっているつもりですが、犬というのは家人が出かけていればその帰りをずっと待ち、家に帰れば真っ先に寄って来て、ちぎれんばかりに尻尾を振って喜びを表し、散歩に行けば喜び、みんなに構ってもらえればまた喜び、餌をもらえるのを待ち、もらえれば喜び、というような感じで、なおかついつでもその通りの同じような態度なのではないでしょうか。(もちろんもっとテンションの低い、冷めた感じのヤツもいるかもしれませんが・・・)
いつも自分のことを待っていて、いつも自分がすることを喜んでくれ、それがいつも気分の差が無く同じ態度な訳ですから、飼い主にしてみればかわいいに決まっているでしょう。

実は人に好かれる方法も、これと同じだというのです。
例えば会社で、自分の周りの人がこんな感じで接してきたとしたらどうでしょうか。いつも自分のことを心に留め、いつも一生懸命で、いつも明るくうれしそうに接してきたとしたら・・・。友達ならイイ奴だと感じ、部下や後輩だったら、かわいくて仕方ないでしょう。困っていたら助けてやりたい、どうにかしてコイツを育ててやりたい、何とかモノになるようにしてやりたい、などと思うのではないでしょうか。(下心がありそうとか、気持ち悪いとか言わないでくださいね!)

反対に、喜怒哀楽が激しかったり、その時によって態度が違ったり無愛想だったり暗かったりする相手だったらどうでしょうか。やっぱりなかなか好きになれないし、その人に対する思い入れは違ってくるでしょう。

また、前述のような好かれやすい態度の人が元気のない様子ならば、「何かあったのか」「具合でも悪いのか」と心配されるでしょうが、後述の好かれづらい感じの人であれば、「どうせ機嫌が悪いんだろう」「いつもの事だ」と遠巻きにされるのがオチでしょう。

このあたり、好かれる態度って何なのかと考えてみれば、「いつも明るく」「いつも同じ態度で」「いつも誠実に接する」という感じではないでしょうか。 
・・・でそれを確実に実行しているのが犬たちと言えるのかもしれません。

一人前の大人に向かって「犬を見習え」とか「犬のようになれ!」とはさすがに言えませんが、こんな捉え方をして少し見習ってみるのは、確かにアリかもしれないなぁと感じた次第です。


2013年4月24日水曜日

「競争」と「協調」-あなたはどちら優先?


最近、特に電力業界の話題などを見ていると、やっぱり企業間に競争がないとダメなんだなぁと感じます。一方、企業という人の集まりで成果を上げようとすると、それはチーム力の勝負であり、協調という要素も大切になってきます。会社が業績を上げていくには、競争と協調を両立させることが必要であるとつくづく思います

競争ということでいうと、企業の人事制度などでは、他人との競争心を刺激することによって社員をモチベートしようという部分がありますが、最近このあたりが機能しづらくなっています。
例えば、ゴルフの石川遼選手のような若い世代のアスリートは、負けず嫌いだし勝負にもこだわりますが、競争相手はライバル選手というような「人」が対象ではなく、自分自身の心や技術や、ゴルフの場合だとコースなどが競争相手と思っているように見えます。野球選手でもサッカー選手でもそうなのですが、「誰々には負けたくない」というような、他人に対する単純な競争心ではない思考の人が多くなっているように感じます。

これは企業の中でも同じで、「アイツには負けたくない」というような感情が希薄になっていることはもちろん、他人と比較されることでかえってやる気を失う者もいるようです。
しかし、上司の側は未だに「同期の○○はもうリーダーなんだから、お前も頑張れ」「アイツにできるんだからお前にもできる」など、他人との比較を持ち出すことがまだまだ多いように思います。人事制度の方でも、相変わらず他人との競争をあおることを主眼としているようなものが、まだまだたくさんあります。

最近よく取り上げられる有名なエピソードで、なでしこジャパンの佐々木則夫監督が、合宿中に練習に遅刻してきた選手に対し、本人を叱責せずに「どうして皆で誘い合って練習にこないのだ」と、グループとしてのまとまりに欠けた他の選手達に反省を促したという話があります。女性はグループで目標を立てて皆で協力し合った方が成績が伸びやすいという特性があるそうで、理にかなっているのだそうです。協調を打ち出した方が結果も良いということでしょう。

これに対して、男性は各々で目標を立てて競争し合った方が成績が伸びやすいのだそうですが、最近の様子を見ていて私が感じるところでは、競争心自体が薄れて少し女性的になってきているのでは、と思うことがあります。

先に述べたように、競争心の対象が「他人」ではなく、「自分自身」に向かう傾向になってきていますが、これはともすれば相手との関係性で変化してしまうような相対目標でなく、もっと絶対的な目標を求めているがゆえのことでもあると思います。他人との軋轢を好まず、協調性を重視する傾向によることもあるでしょう。

そうであれば、競争のさせ方にも工夫が必要であり、その工夫とは、競争はあくまで目標に向け、人に対しては協調的な事であり、最終的には「本人が納得して取り組める目標設定」ではないかと思います。これは、どこの会社でもすごくポピュラーに行われている目標管理制度(MBO)の、まさに原点ともいえます。

単に「アイツに負けるな」と言ったって、そこで「何くそっ!」という気持ちが起こっても、しょせんは負のパワーを使ったモチベーションで、短期的な効果しかありません。競争の中身を考え、「競争」「協調」適切なバランスを考えて行きつくのは、やっぱりずっと言われ続けてきた原理原則という部分のようです。


2013年4月23日火曜日

助成金という方法の良しあし


世の中には様々な助成金の制度があります。目的も企業支援、産業支援、労働者支援、教育支援、その他いろいろです。私の仕事上の話では、数年前に「雇用調整助成金」を受給中、申請を検討中という会社の話をよく聞きました。基本的には休業補償を補助するようなものです。

助成金というのは、決められた基準に合致して、申請書類さえ整っていれば支給されますから、特にリスクはないし積極的に活用している企業も多いでしょう。私も使えるものは使えばいいと思いますし、そんなご相談を受けたりすることもあります。

そんな中で、ある会社の社長さんがおっしゃっていたことで印象に残っていることがあります。その方は「助成金は麻薬のようなものだから、うちは使わない」とおっしゃっていました。
もちろん助成金の中身や支給のされ方(一時金か定時支給か)にもよるとは思いますが、一度そういうものをもらってしまうと、いつの間にか支給されることが当たり前になり、それが会社の収益構造の中に組み込まれてしまい、その後、助成金制度の改定や終了で支給が受けられなくなってしまった時に、会社としてどうすることもできなくなってしまう恐れがある。だからあえてもらわないということでした。

確かに助成金というのは、それで助かっている人がいる反面、悪く言えばお手当、お小遣いです。黙っていても一定額のものが入ってきます。それらがいくら事前に予告されたとしても、無くなってしまうとしたら、それに対応するというのは難しいものです。例えば「あと半年で仕送りは止めるから」と言われたとして、それに見合った収支バランスに生活を変えていくのが大変なのと同じでしょう。

企業に対しても個人に対しても、行政からの支援では、助成金という形をとるものが結構あります。支給基準や金額が議論になることもよくありますが、もう少し進めて、助成金という“毎月のお手当”のような形自体の良しあしも、支給する側、される側ともども考えてみる必要があるように思います。


2013年4月20日土曜日

「自己ベスト」を知れば目標設定がうまくいく


多くの会社では「目標管理制度」など、何らかの目標を設定して、その達成度をはかるという形での人事考課、人材育成を行っているのではないかと思います。
しかし、実際にはそれがなかなかうまく機能していないことも多く、その原因は目標設定の段階にあることがほとんどのようです。目標のレベルや難易度や取り組み内容が、あまり適切ではないということです。

例えてみると、サッカー選手「ホームラン○本」というような分野違い趣味のマラソン「オリンピック出場」というような高望み東大生「九九をマスター」というような平易すぎるものなどがあります。
会社の中でも同じで、「○○等級だからリーダーの役割を果たさなければならない」など、制度で決められたものを画一的に適用する、「○○資格を取る」など、評価が見えやすいものを設定することなどがあります。

もちろん「役割をこなす前提での給料」ですから、それを要求されて当然ですし、目標に対して結果がはっきり見えるということも大切ですが、個人のキャラクターを考慮せずに、ただ「リーダーを目指せ」といったり、必ずしも仕事に直結しなくても、評価しやすいから「資格を取れ」といったりすることは、やはり目標として適切とは言えないと思います。
結局のところ、こういう目標設定になってしまうということは、その人の役割、到達レベル、持ち味などを、上司は把握できておらず、本人も自覚できていないということです。

そもそも目標設定する上で考えるべきなのは、いろいろな視点があったとしても、その人にとっての「自己ベスト」を目指すということだと思います。そのためには、その人の今の時点での「自己ベスト」はどこなのかを、上司と本人が共通認識する必要があります。
得点、タイム、スコアなどの明確な指標はないかもしれませんが、出来ていることと出来ていないこと、出来そうなことと出来そうもないことを、具体化が難しければ抽象的なイメージだけでも意識合わせをすると良いでしょう。

あるべき論、形骸化、高望み、簡単すぎ、おざなりの目標にならないために、「自己ベスト」を知るということは、上司にとっても本人にとっても大事な事だと思います。
「目標は自己ベスト」を意識すれば、人事考課も人材育成も目標管理も、今よりはもう少し機能するようになるのではないかと思います。


2013年4月19日金曜日

教えることが強制に・・・?


ビジネスの現場では時間に限りがありますし、経営者や管理職の方々は皆さん忙しいですから、何事にも早い答えを求めがちになります。部下や後輩が質問をしに来たら、たぶん答えを教えて疑問を解決させようとするでしょうし、「自分でやった方が早い・・・」なんて思いながらも、部下後輩にやり方を教えてやらせるということもあるでしょう。

こんな「質問に答える」「やり方を教える」という、ごく一般的に行われている普通のことでも、実は「相手に強制している」のと同じになっているということがあります。ストレートに答えを与えることによって、「自分で考えて判断する」というプロセスが省略されてしまい、“自分で決めた上での行動”にならないからです。

指示する側の立場である上司、先輩にとって、答えがわかりきったことだったりすると、「お前、それはな・・・」とついつい教えたくなりますが、強制でなくするためにはそこをぐっと我慢して、できるだけ相手に質問することを心掛け、「君だったらどうする?」「なぜそう思う?」「どんな効果がありそう?」「こんな時はどう対処する?」など、とにかく本人に考えさせるようなやり取りをします。
良いと思う考えは「そうだね!」「それいいじゃん!」と肯定し、良くないと思ったら一方的に否定せず、違う角度から質問を続けます。ある程度の答えに誘導している部分ももちろんあります。

少々手間はかかりますが、こういうプロセスを取ることで見つけた答えは、部下後輩にとっては「自分で考えて上司にも認められた行動」になり、小さな成功体験になります。またこういうプロセスを繰り返すことで、人に聞く前に自分で考えてみることが習慣づいてきます。

人を育成する上で「教える」ということが絶対に必要ですが、それが単に「答えを与える」ということになっていたとすると、逆に部下後輩の成長自発的な行動阻害している可能性があります。これは時間がなくて考えさせるプロセスが省略されている場合だけでなく、ものすごく面倒見の良い上司先輩が、事細かに手取り足取りの部下指導をしているような場合にも起こり得ます。

「相手が答えを見つけるのを待つ」というのは、ものすごく根気と忍耐が必要な事です。実際の現場で100%行うことは難しいかもしれません。ただ、こういう部分を少しでも意識しているのといないのとでは、部下後輩への接し方は大きく違ってきます。
まずはできる範囲から、「自力で答えを見つける」ように“仕向けて”みて頂ければと思います。


2013年4月17日水曜日

たまには「後ろ向き」も良い


自分では「向上心には無縁」とか、「別に今のままで良い」などと言っていても、自分の身の回りの事柄が今より少しは良くなりたい、「前向き」に進歩したいと思うことは、それがものすごく小さなことであっても、誰でも何か一つや二つはあるはずです。しかしそう思っていても、なかなか具体的に取り組めなかったり、やり続けることは難しかったりするものです。

「私はこんな意識で自己変革を果たした」みたいな、著者ご自身の体験が書かれたビジネス本をときどき見ます。読んでみて「すごいなぁ」と思いますが、たぶんマネできないだろうとも思います。
自分で変わろうと思って変われる人、きっかけを見いだせる人は、やっぱりそういう才能を持っている、ある意味では特別な人だと私は思います。

普通の人はそんなに意志が強くないし、考えていてもなかなか行動に移せない、またそんな自分に嫌悪感を持ったり、「前向き」でない自分を責めたりということもあるのではないでしょうか。真面目な人ほどそんなところがあるように思います。
私はそんな時、思いっきり昔を振り返ってみます。「前向き」ではなく「後ろ向き」です。なぜかというと自分の変化を自覚するためです。事柄によっては2年、3年という単位ではなく、高校時代とか中学時代とか、数十年前までさかのぼることもあります。

自分のことを少しでも良くしたい、進歩したいという取り組みがなかなかできない、続けられないという理由の一つは、自分の進歩が見えない、良くなったかどうかが実感できないということです。
これをうんと過去まで振り返ってみると、考えていること、置かれている境遇、その他いろんなことが大きく変わっているもので、自分が大きく変化していることに気づくはずです。

場合によっては「昔の方が良かった・・・」なんてこともあるかもしれませんが、少なくとも自分の内面としてはいろいろな人生経験を積み、感性も変わり、その時は感じていなかったことでも、今になって見れば、きっかけや出会いがあったと気づくこともあるはずです。何かしらの“進歩”も必ずあります。

世に出てくる成功体験は、何でも「前向き」に取り組んだことでうまくいったというような話が多いですが、「後ろ向き」といわれたとしても、昔を振り返ることは時には必要と思います。それがクヨクヨすることであっても後悔であったとしても、以前とは違う感じ方ができるかもしれません。過去から学ぶということもあるでしょう。

たまには思いっきり「後ろ向き」に振りかえってみて、自分の変化を良い意味で感じてみることも必要ではないかと思います。「後ろ向き」だって良いこともあるはずです。


2013年4月16日火曜日

就活で機会を逸するパターン


政府が就職活動の開始時期を遅らせるよう経済界に要請しようという動きがあり、経済界も要請があれば受け入れる方向なのだと聞きます。学業優先のためということですが、就職活動は短期決戦になるということですから、さらに厳しさが増したり、よく吟味せずに決めることでミスマッチが増えたりすることを心配してしまいます。

ある会社で新入社員の方々に聞いたところでは、卒業までに就職が決まらなかった友人は結構いるそうで、就職環境はやっぱり厳しいなあと思います。
話を聞いていて興味深かったのは、なぜ決まらなかったのかについての理由として、「初めからあきらめムード」「やる気がなかった」という仕方がないものとともに、「肝心な時期に活動していなかった」「途中で志望を転換した」など機会、タイミングを逸したことを原因に挙げる人が多かったことです。厳しい環境ゆえに敗者復活や方針転換がしにくくなっていて、その時は深く考えていなかったほんの少しのタイミングのずれが、後々で致命傷になっているケースも多いようでした。

よく言われる就活のアドバイスとして、「しっかり自己分析して、できるだけ多くの企業をまわりなさい」なんてことがあります。これ自体は全く正しい事でその通りだと思いますが、限られた時間の中でできることには限度があります。ただ数を撃つだけでなく、確率が高いところに効率よく撃つ必要があります。

こんな観点で考えると、就活は「自分」という商品がより高く売れそうな会社、買ってくれる確率が高そうな会社(市場)を見つけて商談(内定)をまとめるということなので、まさに営業とかマーケティングの話と同じだと思います。

就活がうまくいかなかった人は、
「市場調査(=自己分析)をしているうちに他に受注(=内定)された」
「営業件数(=訪問社数)を稼いだが、どこも購買意欲が低い(=採用数が少ない、採用基準がやたら高い等)ので、受注(=内定)できなかった」
「うまくいかないからとターゲット(=志望業種・職種等)を変えてみたが、そこにはすでに他社の商品(=採用内定者)が行き渡っていた」

など、戦略を誤ったように見えます。これが就職活動のタイミングを逸して、結果的に決まらないという理由の一つではないかと思います。

就活中の皆さんは、一生懸命自己分析をして、その中でこんな仕事に就きたい、こんな会社に入りたいと考えるでしょうが、「自分」という商品を売るという観点で考えれば、「私は何をやりたいか」という自分目線とともに、「商談成立の確率が高い相手をいかに効率よく探し出すか」、つまり「自分はどこでなら評価されるのか」「自分が必要とされる場所はどこにあるのか」「人は自分に何をやらせたいと思うのか」という相手目線も重要になると思います。
そうでないと、タイミングを逸したり、立て直しが効かなくなったりする危険性が高くなってしまうと思います。

自分目線だけでなく相手目線も考えていただき、タイミングを逸するパターンに陥らないように注意していただきたいと思います。そして就活で良い結果を得られる人が、1人でも多くなることを願っています。


2013年4月13日土曜日

鶴岡八幡宮の絵馬を見て


移動中に少し時間が空き、寄り道というにはだいぶん遠回りではありましたが、鎌倉の鶴岡八幡宮に、ちょっと気まぐれでお参りをしてきました。
その際、境内にたくさん置かれている願掛けの絵馬が目に入り、なんの気なしに見ていました。

自分の未来への希望や不安に向けた願い、病気のご家族や友人の回復への願い、お孫さんやお子さんの幸せへの願いなど、いろいろな方のいろいろな思いが込められているのを見ていると、絵馬を書いた方の心情に共感したり同情したり、同じ気持ちで願ってしまったりと、少し複雑な感じでした。

そんな中で少し気になることがありました。それは、書かれている願いがあまりに普通でささやかなものが多かったことです。仕事にまつわる内容であれば、正社員になりたい、安定した職業へ、人の役に立ちたいなど。お金に関することであれば、お金持ちになりたいではなく、不自由しないで普通の暮らしができるようになど。他には家族の健康、みんなで仲良くなどという、本当にささやかな希望だったということです。

それほど夢を持ちづらい世の中ということを、あらためて感じてしまったのですが、同時にどんなにささいなことでも、やっぱり夢を持つことは大事だということを感じました。
ささいな夢、小さな夢であっても、みんなその夢に向かってがんばり、家族や周囲を気遣い、自分のやる気につなげて行動するのだと思います。

人事や組織に関わる仕事をしている立場からすれば、会社や組織を夢の持てる場所にするということはとても重要な使命だと思います。夢が持てるかどうかは、人のモチベーションを保つうえで、大事な原点の一つだと思っているところです。


2013年4月12日金曜日

組織の「本来の色」を思い出す


会社には、その組織ごとにいろんな色(カラー)があります。“会社の色”というと、コーポレートカラーなど企業イメージを色で表現した、直接的な色彩そのものを指す場合もありますが、私のいう色とは、組織風土などと言われるもう少し感覚的な、会社の持っているオーラのようなものです。組織改革とか改善というのは、ものすごく単純化して言えば、この色を変えることです。

色の変え方には、大きく二通りの方法があります。
一つは「色を塗り替える」ということで、建物で言えば建て替え、品物で言えば買い替えと同じようなことです。新しいものを取り入れ、「変わった」というインパクトを与え、一から「組織の色」を作り直すということです。

もう一つは「本来の色を見直す」ということです。“本来の色”とは経営理念、会社を設立した頃の想い、もともと持っている社風の強み、などです。土台を活かして新しいものを加えるということではリフォームかもしれませんし、オリジナルに戻すということでいえば、文化財の修復作業などに近いのかもしれません。“初心にかえる”ともいえるのかもしれません。

外部から入るコンサルタントの場合、程度の違いはありますが、どちらかというと、“色の塗り替え”を志向することが多いように思います。「変わった」というインパクトは強いですし、一見すると変化のスピードが速く見えます。スピード感を求めるのは今のご時世では当然ですし、外部人材は基本的に短期成果が求められますから、それに見合った提案をしようとすると、どうしても“色の塗り替え”になってしまいます。

また、仕組みや制度といったハード面の研究に熱心なコンサルタントにとっては、“色の塗り替え”の方が新しい手法の実験や頭で考えていたことを試せて都合が良いでしょうし、「こうやったらこう変わった」と言いやすいので、自分たちの実績に取り上げやすいという事情もあるでしょう。

ただ、その結果として、回り道になったり逆効果だったりする例をたくさん見聞きします。「お金をかけて制度を作ったのに、結局使いこなせなかった」「納品されたドキュメントの山だけが残った」なんて話を今でもよく聞きます。

私の感覚では、まだ使えるものや残すべきものまで壊して作り変えようとすることが、結構あるように思います。組織改善には根気と継続が必要で、実際に取り組む経営者や社員の方々が納得していなければ、そのような取り組みはできませんが、“色を塗り替えてしまう”ことが納得を阻害し、根気と継続をジャマしていることが多々あるように感じます。かえってスピードを遅くしてしまっているように思います。

私は、どちらかといえば“塗り替える”ではなく、“本来の色は・・・”ということを主眼に考えます。組織が元々持っているものを思い出す、取り戻すということです。
もちろん変えなければならないもの、壊さなければならないものもありますが、「組織が本来持っている“良い色”を引き出すためにはどうするか」を考えた方が、関係者の納得が得やすく、納得してからの浸透も早く、前向きに取り組んでもらえるので、組織改善を成し遂げるためには早道だと思っています。目先の時間が多少かかったように見えても・・・です。

“本来の色を失ってきていること” “色あせてきていること”は、組織内ではなかなか自覚しづらいものです。そんな状況を客観視するお手伝いは、私たちのような立場の者のお役目の一つです。一方的に理論を振りかざしたり、理想を押し付けたりせず、役目をわきまえて、信頼関係を作るよう努力しながら、クライアントに貢献していきたいと思っています。

組織改善を考えるにあたって、「組織の本来の色を取り戻す」という切り口で考えると、また違う取り組み方が見えて来るのではないかと思います。


2013年4月10日水曜日

やりながら自戒した「コミュニケーション研修」


あるお客様で新人研修をお手伝いしています。
ビジネススタンス、マナー、スキルといった分野毎にテーマを挙げて、その基礎的なところを学んでもらっています。

先日は「コミュニケーション」をテーマにした内容でしたが、その概略は「傾聴」の重要性を知り、その技法を学んでより円滑なコミュニケーションができるようになってもらうこと、また相手に合わせることに偏りすぎたり一方的に聴いたりするばかりでなく、言い方や伝え方を考えて「適切な主張行動」につなげてもらうというものです。

この「適切な主張行動」とは、他人に向かう時の行動パターンとして、
1.言うべきことを言わずに我慢する、見て見ぬふりをするなどの「非主張行動」
2.言い過ぎて相手を犠牲にする、相手の事情は考えず一方的に主張する「攻撃行動」
3.相手を尊重しながらも言うべきことははっきり伝える「主張行動」
の3つがあり、1.でも2.でもなく、3.を適切に行うにはどんな言い方、伝え方をしていけば良いかを考えるというものです。

コミュニケーションをテーマにした研修をしていると、どうしても話の聴き方(傾聴)という部分が強調され、うまく相手に伝えるための「適切な主張行動」というところが希薄になりがちなので、この部分に少し時間をかけましたが、自分が講師の立場でありながらも、「なかなかうまくできないことも多いな」と自戒することが多々ありました。

私自身、「人は人、自分は自分」というようなところがあって、そうするとちょっとしたことで見て見ぬふりの傾向があったり、家族や友人が相手だと、やっぱり甘えや気安さがあるのか、少し一方的な言い方をしてしまうことがあったりします。

「人には指導しているくせに……」という感じですが、やっぱりどんなに意識していても常にできる訳ではありません。「知っている」のと「できる」のは違うということをあらためて感じます。
自分で研修しながら反省しているという状況ですが、「人生は常に勉強」「謙虚に反省」という言い訳にしておこうと思います。


2013年4月9日火曜日

「追い出し部屋」の話題から思うこと


きちんとした仕事を与えなかったり、雑用ばかりをやらせたりするような部署を設け、そこに押し込んで退職勧奨する「追い出し部屋」なるものが批判されています。大企業に多いようですが、その指摘に対してはあくまで適材適所の一環と言い続けたり、そんな部署の存在そのものを否定したりすることも多いようです。

では大企業ばかりが問題かといえばそうではなく、退職勧奨ということでは、中小企業の方がさらに露骨だったり乱暴だったりすることもあります。あまり知識がないために法違反を意識していなかったり、中には「そんなの法律がおかしい!」などといって、非を認めない経営者もいらっしゃいます。
陰湿な退職勧奨が原因で、精神的に参ってしまったり、体調を崩してしまったりというような人もたくさんいるようです。
こんな中で、解雇規制緩和しようという動きもあります。規制が厳しいから陰湿なやり方になってしまうとか、その方が労働市場は流動化して、より適材適所になるという主張のようです。

このあたり、自分なりの意見はありますが、なかなか単純化して言えるところではありません。いろいろなことが複雑に絡んでいるので、ある一面だけをとらえてああだこうだと一概には言えません。

まぁ解雇を簡単にできるようにしたって、全員に次の仕事があるわけではないですから、それだけで労働市場は動かないでしょうし、次の職場を見つけるためには、何らかのマッチング支援や一時的な生活支援も必要でしょう。退職勧奨が会社による離婚訴訟と考えれば、片方の事情だけで離婚は成立しませんから、相応の審判機関や手続きも必要でしょう。

その一方で、自分の立場が安泰であることに寄りかかっているぶら下がり社員やる気のない社員がいることも残念ながら事実でしょう。こういう人たちを見ながらイライラを募らせる経営者の気持ちも理解できます。正社員か否かの格差は確かに大きいし、生活上のリスクがより大きいはずの非正規労働の人たちは、今の状況の中ではそのリスクのほとんどを自分で負うしかありません。これもやっぱり不公平でしょう。

「追い出し部屋」の問題も、ただ単にけしからんということでなく、全体がどんな状況なのかをよく見極めないと判断できません。会社としての実際の対応はどうだったのか、その対象になっている人を見た時に、やむを得ない事情といえるのか、はたまた陰険、無責任なのか・・・。
少なくとも今の法律上は「採用したからには責任を持て」とは言えるものの、外部からその会社の行為の妥当性を、本質的な意味で判断することはとても困難です。何が正義で何が悪なのか、本当にわかりづらくなっています。

ただ、唯一わかるのは、過去にどんなことをやってきたかです。社員とトラブルになっている会社は、過去にも同じことをやっている場合が意外に多いですし、トラブルになる社員は、実は前職でも同じことをしていたなどという話を聞くことがあります。

全体像を理解しようという努力は必要ながらも、結局は経営者人間性、過去からの会社の姿勢や風土社員の側ではそれまでの働きぶり、周りの評価人間関係などから見極めていくしかないのだと、改めて感じているところです。


2013年4月6日土曜日

新年度心機一転の会社


 4月は多くの会社が新しい年度を迎えます。そんな中で新年度を心機一転で迎えた会社のお話です。

決して業績が悪い訳ではなく堅実に伸びてきた会社ですが、中小会社ゆえに、今までは仕組みではなく個人間の信頼関係で動いてきたという面があり、そこから来る一種の閉塞感やマンネリという雰囲気がありました。

その問題意識を元に、制度や規程作りを進めていましたが、社内の閉塞感の一因として、社長自身の考え方に「社員にあまり余計な心配をかけたくない」「余計な情報を与えて勝手な解釈をされたり混乱させたくない」というところがあり、また社員をあまり数字で縛りたくないという部分もあったようで、情報開示や説明に積極的でないところがありました。当然社内の活動もトップダウンになりがちでした。

その後、社長自身もずいぶんいろいろな形で情報収集をされたり勉強されたりしたようで、新年度を迎えるにあたって、より効率的に動けるように組織を再編し、情報機器など作業環境を整備し、人事制度や社内規程を整備し、事業計画書を作成し、全社に向けて説明会を実施して目標を社員と共有するということを行いました。

社員主導の委員会活動も組織し、今までトップダウンになりがちだった社内活動を、社員が自主性を発揮できる場に作り変えました。
要は必要な決まり(判断基準)を作り、社員に一定の情報を与えて自律を求めたということです。

この結果、社員の反応は大きく変わり、特に今までマンネリ感を感じていたであろう中堅、中核の社員が「これだけ舞台を整えられたらやるしかないでしょう」という言い方をしはじめ、積極的な提案も増えているようです。

行った施策は世間一般から見て特に目新しいことはありません。また今の意識を維持するためには、今後もいろいろな働きかけが必要でしょう。

ただ、仕組みややり方を少し変えるだけでは、人のモチベーションはなかなか変わらないものですが、トップの意識と行動が伴えばこれほど変わるということを久しぶりに目の当りにし、あらためて経営者の姿勢の大切さを感じているところです。

組織風土改革には、「良いトップダウン」が絶対に必要だと思います。


2013年4月5日金曜日

今のような時こそ採用のチャンス


雇用情勢が厳しいのは、今さら始まったことではありません。少しは好転の兆しが見えるものの、まだまだ実感がないというのが現実で、全体的な採用抑制の傾向はまだまだ続くでしょうし、なかにはこれから人員削減を考えざるをえない企業もあるのだろうと思います。

一方、今のような時期だからこそ、人を採用したい企業、その中でも特に中小企業にとってはチャンスといえます。これは単に求人倍率が低いので競争が少ないということもありますが、大きな違いとして、応募者が企業の本質的な部分に目を向けるようになっているという点があります。

規模が小さくても、地味な仕事でも、堅実に事業展開して来た優良企業はたくさんありますが、こういう会社の求人は、たいがい採用数も多くなく、派手に告知している訳でもなく、会社の知名度も高くありませんから、通常では埋もれてしまいがちです。
また、どんな会社にも「このポジションに優秀な人材があと一人いれば・・・」というような潜在的な人材要望というのは必ずあるはずですが、どうせ採れないだろうと、初めからあきらめて募集すらかけていないということもあります。

しかし今のような時期は、応募者の意識が違っています。目立たない小さな求人も緻密に探しますから、目に留めてもらえる機会が格段に増えます。
ブランド知名度などの表面的なことでなく、その会社の事業内容や過去の業績、仕事の内容など本質的な所を見極めようとします。この傾向は実績がある真面目な中小企業にとってはプラス材料です。

多かれ少なかれ、どんな会社でも厳しいことは間違いないと思いますが、それほど景気変動の影響を受けずにすんでいる会社、地道に実績を積み重ねてきた会社もあると思います。
これまで人を採りたくてもなかなか採れずにいた会社や、初めからあきらめていた会社、特に中小企業は、今こそ採用のチャンスと考えて活動してみてはいかがかと思います。


2013年4月3日水曜日

階層別研修を階層横断でやってみたら・・・


一般的に行われる社内研修は、階層別研修職種・職能別研修に大きく分けられます。

階層別研修「初級管理職研修」「部長研修」など、同じくらいの等級レベル対象に部署横断で行うもの、職種・職能別研修「○○技術研修」など、同じ部門や職種単位で行うもので、多くの会社ではこのような教育研修の体系を組んで実施していると思います。

今、私がお手伝いしているいくつかの会社で、例えばマネージャーとそのちょっと下の中堅社員で一緒にやるワークショップ、部長研修に課長クラスがオブザーバーで参加するなど、本来は階層別研修で実施するような内容を階層横断で実施する取り組みをしています。

最初のきっかけは、クライアント企業から「社員の成長速度を少しでも早めたい」とか、「上下でコミュニケーションギャップがあるので、少しでも解消したい」というような要望があり、ではちょっと一緒に混ぜてやって見ましょうか、という程度の軽い考えからでした。

実際にやって見て意外だったのは、小さい会社であっても階層が違うと、意外にお互いの仕事上のつながりが少ないということでした。

30~40名ほどの社員数で、社員同士はお互いを大体知っていると思われるような規模の会社でも、階層横断でワークショップなどをやってみると、その感想として
「今まで一緒に仕事をしたことが無い人と話ができて良かった」
「意外にみんな同じことを考えていた」
「相手の立場での苦労が理解できた」
「自分が軽く考えていたことが相手にとっては重要な事だったとわかった」
など、新たな発見があったというものがたくさん出てきました。

冷静に考えてみれば、部門や仕事内容が違ってなおかつ階層も違うとなると、組織上では斜めの関係です。縦と横の関係を作る仕組みはあったとしても、それ以上は考慮されていないことが多いでしょう。

そうなれば、いくら小さい会社だからといって、飲み会やレクレーションなどで話すことはあったとしても、それ以外の場面でのつながりは少なくて当たり前です。お互いの性格や雰囲気は何となくわかっていても、実際の仕事ぶりを知る機会はほとんどないはずです。

ここに、今回のような“研修”といういつもとちょっと違う場を用意しただけで、話題が変わり、話す内容が変わり、それが階層も部署も異なる者同士では新鮮と感じる情報がいっぱい出て来たようで、新たなコミュニケーションの場になったようです。

最近は、この「コミュニケーションの場づくり」を工夫する企業が増えています。社内運動会の復活、ホームパーティー奨励、ランチミーティング奨励、ブラザー・シスター制度、社内SNS、サークル活動支援、社員食堂の活用、会議室デザインの工夫・・・、その他ここでは挙げきれないような様々な取り組みがあります。“階層横断”研修も、この場づくりの一種といえるように思います。

コミュニケーションの場が、ONでは「会議と面談と報連相」、OFFでは「飲み会と雑談」という会社も多いと思いますし、「それで十分」という人も多いのかもしれません。
ただ、社員同士のコミュニケーションは深まれば深まるほど、業績には絶対に良い影響となって返ってくるはずです。

今回のように、ほんの少しシチュエーションを工夫するだけで、コミュニケーションを深めることができることならば、やってみる価値はあると思います。


2013年4月2日火曜日

新入社員の方々へのお願い


新年度に入り、新入社員の方々が入社してきています。街角でも沢山の新入社員の方々を見かけますが、社会人経験が長くなると、なぜか一見してわかってしまいます。たぶん初々しさとか、ぎこちなさとか、周囲に発するエネルギーとか、何かが違うのだろうと思います。

最近の新入社員について、ある大手企業の方から聞いたお話で気になることがありました。それは会社に入社できたことで、もうすでに満足してしまっている人がいるということでした。
就職活動がとても厳しい時代に大手企業に入社できたということで、無意識のうちに自分は勝者という感覚を持っていたり、就職活動自体が長く苦しいものになっているので、入社が決まった段階で安心して力尽きてしまっているようなことがあるようです。

その結果、入社直後にもかかわらず、研修その他への取り組みが意欲的でなかったり、社会人になるという心の準備ができていなかったり、あらためて点火するのに時間を要したりということも多々あるようです。

新卒の就職が厳しいことの反動なのでやむを得ない所はありますが、新入社員の方々にはもう一度気持ちをリセットして頂き、これから長く続く社会人人生の良いスタートを切って頂きたいというのが私のお願いです。

そんなことを思いながら、かつてバブル期は、逆の意味で社会人生活の良いスタートを切れなかった新入社員がいたことを思い出しました。採用する側とされる側の力関係に歪みがあるのは本当に良くないことだと思います。良いバランスの世の中になることを望むばかりです。