2013年4月9日火曜日

「追い出し部屋」の話題から思うこと


きちんとした仕事を与えなかったり、雑用ばかりをやらせたりするような部署を設け、そこに押し込んで退職勧奨する「追い出し部屋」なるものが批判されています。大企業に多いようですが、その指摘に対してはあくまで適材適所の一環と言い続けたり、そんな部署の存在そのものを否定したりすることも多いようです。

では大企業ばかりが問題かといえばそうではなく、退職勧奨ということでは、中小企業の方がさらに露骨だったり乱暴だったりすることもあります。あまり知識がないために法違反を意識していなかったり、中には「そんなの法律がおかしい!」などといって、非を認めない経営者もいらっしゃいます。
陰湿な退職勧奨が原因で、精神的に参ってしまったり、体調を崩してしまったりというような人もたくさんいるようです。
こんな中で、解雇規制緩和しようという動きもあります。規制が厳しいから陰湿なやり方になってしまうとか、その方が労働市場は流動化して、より適材適所になるという主張のようです。

このあたり、自分なりの意見はありますが、なかなか単純化して言えるところではありません。いろいろなことが複雑に絡んでいるので、ある一面だけをとらえてああだこうだと一概には言えません。

まぁ解雇を簡単にできるようにしたって、全員に次の仕事があるわけではないですから、それだけで労働市場は動かないでしょうし、次の職場を見つけるためには、何らかのマッチング支援や一時的な生活支援も必要でしょう。退職勧奨が会社による離婚訴訟と考えれば、片方の事情だけで離婚は成立しませんから、相応の審判機関や手続きも必要でしょう。

その一方で、自分の立場が安泰であることに寄りかかっているぶら下がり社員やる気のない社員がいることも残念ながら事実でしょう。こういう人たちを見ながらイライラを募らせる経営者の気持ちも理解できます。正社員か否かの格差は確かに大きいし、生活上のリスクがより大きいはずの非正規労働の人たちは、今の状況の中ではそのリスクのほとんどを自分で負うしかありません。これもやっぱり不公平でしょう。

「追い出し部屋」の問題も、ただ単にけしからんということでなく、全体がどんな状況なのかをよく見極めないと判断できません。会社としての実際の対応はどうだったのか、その対象になっている人を見た時に、やむを得ない事情といえるのか、はたまた陰険、無責任なのか・・・。
少なくとも今の法律上は「採用したからには責任を持て」とは言えるものの、外部からその会社の行為の妥当性を、本質的な意味で判断することはとても困難です。何が正義で何が悪なのか、本当にわかりづらくなっています。

ただ、唯一わかるのは、過去にどんなことをやってきたかです。社員とトラブルになっている会社は、過去にも同じことをやっている場合が意外に多いですし、トラブルになる社員は、実は前職でも同じことをしていたなどという話を聞くことがあります。

全体像を理解しようという努力は必要ながらも、結局は経営者人間性、過去からの会社の姿勢や風土社員の側ではそれまでの働きぶり、周りの評価人間関係などから見極めていくしかないのだと、改めて感じているところです。


0 件のコメント:

コメントを投稿