2015年9月30日水曜日

管理部門が過剰な会社と軽視する会社



企業組織においては、人事、総務、経理、システムといった直接部門の業務を支援する部門があり、「管理部門」「間接部門」「バックオフィス」などと呼ばれます。

この管理部門にどのくらいの体制や予算規模で取り組むかは、常に議論されることです。強い組織は管理部門が中心であるなどと言われたり、あくまでサポート部門として扱われたり、手厚い要員体制を取る会社から徹底的にスリム化を目指す会社までいろいろあります。

私は管理部門が過剰と思われる会社と軽視する会社のどちらも見てきていますが、結局どちらも業績を伸ばせません。

過剰な会社では、生産性向上や効率化の掛け声はあっても、結局その体制に合わせてみんなで仕事を分け合い、あまり意味のない無駄な仕事を作り出します。これは必ずしも現場の当事者が原因ではなく、経営者や管理者が無駄なことをさせている場合もあります。システム化されていても、それが中途半端で、余分な手作業がいろいろ発生していることもあります。
生み出す価値に対して、時間も費用もかかりすぎている感があります。

逆に管理部門が軽視されている会社では、ギリギリの要員体制で動いているため、生産性向上や効率化の取り組みをする余力がありません。そもそも管理部門に投資する発想がないので、アナログな作業をひたすら人手に頼ってやっていたりします。
経営判断に必要な情報の取りまとめが遅かったり、そもそも情報量が少なかったりしますし、そのこと自体に気づいていないことさえありますから、そんな機会損失も含めて考えると、同じく生み出す価値に対して、時間も費用もかかりすぎているといえます。

考え方はそれぞれ正反対であるにもかかわらず、結果はあまり変わりません。

こればかりは、状況を見ながら適切にバランスを取っていくしかないのだと思いますが、最近ある会社でこんなことがありました。

どちらかといえば、管理部門の体制が過剰気味の会社でしたが、経営者が変わり、管理部門に対する見方が効率重視の方向に大きく変わりました。そこでまず行われたことは、管理部門の人員削減のための配置転換でした。
全社の人数から算出した適正な管理部門の人数(あくまで新社長が考えた適正人数)を、各部門に割り振るということを、とにかく人数ありきで実施しました。

そもそも過剰な体制だったので、無駄や非効率があることは間違いありませんが、業務プロセスの見直しを一切しないままでの人員削減、配置転換ですから、それまでその仕事を担当していた人が、ある日を境にいなくなる訳です。

仮に無駄かもしれない仕事であっても、それを現場だけの判断でやめてしまうことはできず、いなくなった人の仕事は、残ったみんなで分け合うしかありません。
とりあえず分担を決めたからといって、不慣れな仕事が急にできる訳もなく、当然仕事は回らなくなります。現場の忙しさはどんどん増していき、にもかかわらず生産性や効率は、より一層下がっていきます。

組織変革といえば聞こえが良いですが、極端から極端へ、しかも段取りを無視して実行したため、もともと良いとは言えない状態だったものが、さらに悪化していってしまいました。
この会社は今、いろいろな意味で非常に厳しい状況に置かれているようです。原因はいくつかありますが、管理部門の状況が組織全体を左右するということは、確実にあるのだと思います。

管理部門をどう位置づけるか、その重みは会社によっていろいろだと思います。ただ、直接的な価値は生み出さなくても、組織全体に大きな影響を与える存在であるということは、認識しておいた方が良さそうです。


2015年9月28日月曜日

みんながつらくなるだけだった「採用選考に関する指針」は、もう時代に合わない



大学生の学業優先を目的として、政府の要請を受けた経団連が企業の採用活動の後ろ倒しを定めた「採用選考に関する指針」ですが、当初から言われていた懸念がさらに増幅した形で現実化してしまっています。

選考プロセスの開始時期に枠がはめられたため、活動が短期決戦になることが必然となり、学生は企業研究がじっくり行えなくなったり、就職への不安から逆に学業が手につかなってしまったり、同じく企業側でも、応募者数の確保が困難になったり、内定辞退の増加といったことが起こっています。

大手企業の採用活動が後ろ倒しになったために、特に中小企業では9月後半になってからの内定辞退が増えていて、従来であればおおむね落ち着く時期であるはずの採用担当者には、頭を抱えている人も多いです。

また、今年は売り手市場であったこともあり、経団連の加盟企業でさえ、指針を守らずにフライングする企業が続出しました。

私が思うに、当初の目的は結局何一つ果たせず、何も良いことがなかったように思います。

こうなってしまっては、そもそも指針自体がない方が良かったのではないかと思ってしまいますが、実際にそうなったとしたらどんなことが考えられるでしょうか。

まず、自由競争となれば、競争力がある大手企業の方が、人材確保を有利に進められるということはあるでしょうし、俗に言われる「青田買い」ということも、確実に起こってくるでしょう。
大学入学後の早い段階で、すでに就職先が決まっているような者も出てくるかもしれませんし、インターンやアルバイトという形で、良い人材を早い時期から囲い込もうという動きも出てくるでしょう。

ただ、よくよく考えてみると、まず大手企業が有利とは言っても、かつてのように大量採用する時代ではありませんから、その相対的な影響度は減ってきています。
さらに言えば、「青田買い」をはじめとする早期化には、絶対に限度があります。そもそも「3年後にうちの会社で採用します」などと断言することは、先行き不透明な現在では、そう簡単に言えることではありません。

その年の採用人数をどうするかは、通常1年前くらいでなければ決められないでしょうし、それでも見通しを誤って、内定取り消しをするような企業が毎年出てきますから、先のことを約束するということは、会社にとって結構なリスクになります。
「青田買い」「早期化」と言っても、結局は直近1年程度の範囲での話ではないかと思います。

これは学生側でも同じことで、早く就職を決めたいという心理があったとしても、それは卒業の半年前を目安に、「夏休み前までには」「9月中には」といった話がほとんどだと思います。2,3月ごろから内定出しをするような企業がありますが、ほとんとの学生は、それが希望の会社でない限りは、その内定を辞退して活動を続けます。
学生にとっても早く決めてしまうリスクがあり、仮に企業側が「青田買い」を進めようとしても、それに乗ってくる人ばかりではないということです。

これは私の個人的な意見ですが、選考プロセスを縛るような指針を、経団連という任意団体が出すような構図は、すでに今の時代背景には合っておらず、もう不要ではないかということです。
今のような多様化の時代に、自由度を制限するような施策では、もう機能はしないでしょう。

それよりも、「おわハラ」に代表される不当な囲い込みなど、倫理的な問題に強制力を持って取り組むことの方が、よほど重要ではないかと思います。



2015年9月25日金曜日

リスクへの向き合い方のいろいろ


このところ、リスクマネジメントについて書かれた記事をいくつか読んでいました。
やはり、投資にまつわる話が多いのですが、こういう世界の格言のようなものとして、「卵はひとつにカゴに盛るな」という言葉があるそうです。

卵をひとつのカゴに入れておくと、もしもそれを落としたらすべて割れてしまいますが、複数のカゴに分けておけば、ひとつを落としてもほかのカゴは残るので、被害を最小限に抑えられるということで、投資対象、時期、銘柄などを複数に分けて投資する「分散投資」を勧める言葉だそうです。

しかし、「卵はひとつにカゴに盛れ!」と書かれているものもありました。
リスクを分散するということは、その分リターンが少ないということなので、投資の絶対額が大きい資産家にしか当てはまらないことであり、少額の投資で収益を得たいならば、投資対象を見極めて「集中投資」すべきだということです。
これと同じようなニュアンスで、「卵は一つのカゴに盛り、そのカゴをよく見守れ」という言葉もありました。

リスクというのは、一般的には「危険性」という捉え方をされますが、結果が予測しにくいという「不確実性」や、変化があり得るという「変動性」の意味もあります。
ここからすれば、リスクが高いと言えば不確実で変動幅が大きいということ、逆にリスクが低いということは、確実性があって変動幅が低いということです。
リスクを取るということは、プラスとマイナスの両方の可能性を受け入れるということになりますし、マイナスのリスクを避け続ければ、リターンの可能性も限りなく少ないということになります。

こんな考え方をいろいろ見ていると、企業の経営戦略や事業戦略に関して言われていることにも、かなり共通点があると思います。
「事業の柱をいくつか作る」「顧客先を増やす」「商品やサービスの多角化」「グローバル展開や国際分業」などは、どちらかというと分散投資に近い考え方でしょうし、その一方では、「選択と集中」などということも言われ、これは集中投資のイメージになるのでしょう。

このようにあらためて全部並べてみてみると、結局はその時その時の状況判断のもとに、集中投資と分散投資のバランスを取りながら組み合わせていく必要があるということで、そんな基本的なことは、どの経営者もとっくにわかっていることでしょう。

それでもうまくいったりいかなかったりするのは、リスクを負った事業投資である限りは当然であり、その中で常に勝ち続けなければ会社は倒産してしまいますから、それゆえに経営は難しいのだと思います。

読んでいた中で、投資について書かれていたある記事によれば、日本人の場合は、「勝ったら3万円もらえて負けたら1万円払う」など、リスクの3倍以上のリターンが見込めるような条件でなければ、投資に参加しようとせず、積極的に動かないのだそうです。

投資という中で考えれば、「安全であることが最善ではない」ということで、リスクとリターンはセットになっていて、リターンを得たいならリスクを受け入れる必要があります。リスクのない行動からは価値が生まれません。

決してむやみに勝負ばかりを仕掛けるものではないと思いますが、ビジネスをしていく上では、こういうことも心得ていなければならないと改めて思います。


2015年9月23日水曜日

あらためて思った「緊張しすぎを作り出すのは自分自身」だということ



私自身、仕事柄もあって、知らない方とお会いしたり、人前でお話したりという機会はそれなりにありますが、特に最近はあまり緊張するようなことはなくなりました。
わりと昔から「本番に強い」などと言われていましたし、その方が自分自身のスイッチが入って、結果が良いことが多く、元からあまり緊張するタイプでもありませんでした。

ただ、そうは言っても、やはり緊張する場面はあり、それがどんな時だったかを考えてみると、どういう人たちがいるか、それが何人か、格式がある場面か、などといったことはあまり関係なく、それがどんなに少人数のプライベートな場であっても、とにかく失敗ができない、絶対にうまくいかせなければならないというような、追い込まれた時が多かったように思います。
しかし最近は、そんな失敗すらも別にかまわないと思うようになってしまっているので、なおさら緊張する場面が無くなっています。

私は企業の採用面接などに立ち会うので、そういう場ではとても緊張した状態の人にお会いしますが、ある学生さんの話を聞いて、緊張というものの本質を感じたことがあります。

面接の場でとにかく緊張状態でしどろもどろ、ちょっとかわいそうなぐらいの人でしたが、自己紹介書を見ると、たぶん数百人規模と思われる、複数大学にまたがって活動するような、とても大きな学生団体の会長をやっています。
活動の様子を聞くと、大人数の前でのスピーチや、それぞれの利害がぶつかるような会議の取りまとめなど、多くの人を率いるリーダーシップが必要な、とても大変な役割を担っていました。

目の前にいる本人の様子とは、あまりにもギャップが大きいので、いろいろお話を聞いてみましたが、そこでわかってきたのは、その学生さんは、スピーチや講話や演説などであれば、目の前に何百人いても誰が誰だかわからないし、直接見られている実感もないので緊張することはないのだそうですが、座談や面談といった少人数でのコミュニケーションは、明確な対象が目の前にいるので、とても緊張するのだそうです。
さらに採用面接などとなれば、自分の将来がかかっていることなので、さらに緊張が増幅して、どうしようもなくなってしまったのだそうです。
 
普通に考えれば、大人数相手の方が緊張しそうなものですが、この学生さんの話であらためて思ったのは、過度な緊張というのは、結局は自分自身の感じ方次第で、自分が勝手に作り出しているものだということです。

緊張は決して悪いことではなく、適度には必要なことです。私のように、あまり緊張しないなどと言う者は、ともすれば軽く見られたり不真面目に捉えらたりすることがあります。緊張しすぎぐらいの方が、場合によってはよほど真面目で誠実に見えることもあるでしょう。
勉強でもスポーツでもビジネスでも、それなりの緊張感を持って臨まなければ、良い結果は得られません。必要な緊張をコントロールするのも、やはり自分次第ということでしょう。

緊張をコントロールすることは、なかなか思い通りには行きませんが、緊張しすぎは、それが良い結果につながることはほぼありませんし、それを作り出すのは自分自身です。
こればかりは、自分なりに少しずつ解決していくしかなさそうです。


2015年9月21日月曜日

人事の問題把握はあいまいになりやすい



私がコンサルタントとして取り組む仕事は、企業の人事戦略や人事施策、人事制度や人材採用を、企業の方々と一体になってご支援することですが、ご依頼をいただくからには、会社としての何らかの課題があるわけです。

例えば「今の人事制度がうまく行っていないので変えたい」などと言われますが、何がどううまく行っていないのかと尋ねたときに出てくるのは、「業績の伸び悩み」「退職者が増えている」「社員のやる気がない」「社員の能力が伸びない」「会社の雰囲気が悪い」などというものが多いです。

そういう状況が起こっているのは間違いないのだと思いますが、ここで挙げられているような内容でみると、“業績”と“退職者数”以外は、数字では表現できない感覚的なものです。
さらに、業績と退職者数に、人事の問題が関わっていることは考えられるとしても、それがどの程度の比率、数で影響しているのかは、やはり同じようにはっきりとは表現できません。

これは私自身がかつて企業の人事部門にいて、自分自身もそうだった経験があるからわかることですが、人事にたずさわる人間というのは、物事を数字ではなく感覚で捉える傾向が、往々にして強いということです。
仕事の対象として、「人」が中心にあり、それは千差万別で一言では言い表せない存在であり、その感覚が染みついているということがあるのではないかと思います。
これは経営者や管理者の中でも、一人ひとりの日常に目が届くような組織規模の場合では、同じようなことがあります。

やる気、能力、雰囲気などは、人事の課題として重要な要素ではあるので、そこに目が行くのは当然ですが、それを表現しようとすると、どうしても主観に陥りがちな部分であり、何か具体的に表現しようとしても、データ自体が整理されていないことも多いと思います。
結果として、人事上の課題に対する問題把握はあいまいになりやすく、効果的とは言えない対策が打ち出されることも少なくありません。

最近の人事の世界的な傾向は、脳科学や心理学、統計学といった科学的知見を活用して、感覚値や経験値で語られていたあいまいな部分を、できるだけ可視化していこうという動きです。
日本でも、一部の企業ではどんどん進んできている動きで、様々なアセスメントツールを使ったり、継続的なアンケート調査や面接調査を行ったり、その他データ収集と整理をしています。これからは意識していく必要がある動きでしょう。
 
ただ、実際にこれに取り組もうとすると、その労力も費用も結構なものになります。
アセスメントツールといっても、結局はいくつかの類型に当てはめて、それに合わせた対処をしていこうということなので、それを鵜呑みにしているだけでは、ただコンサルティング会社を喜ばせるだけでしょうし、大企業のように豊富なスタッフがいなければ、何でもかんでもできる訳ではないでしょう。

人事の問題把握については、あいまいさを排除するための意識を持ちつつ、まず初めは“できそうなことをできる範囲から”という形が良いのではないかと思います。


2015年9月18日金曜日

どんなに準備していたつもりでも、納得しきれないことがある「事業承継」



主に中小企業の中で、事業承継が問題になっているといいます。
経営者の高齢化とともに、後継者がないという現実問題があり、さらにそれまで仕事に打ち込んできた経営者自身が、引退後の人生を描き切れないために、地位を譲ることに踏ん切りがつかないという心情的な問題もあるようです。

私自身も、こういう会社の経営者からご相談を受け、どうするかを一緒に考えることがあります。個人個人の感情に関わることなので、なかなか難しい部分がありますが、できるだけ納得できる方法を一緒に考えます。

そんな中でよく思うのは、事業承継を考え始める時期の遅さです。経営者の立場を譲るとなると、実際には10年単位の時間がかかりますが、それを自覚して準備しているような会社は非常に少ないです。社長が高齢になって、体力的にどうしようもなくなるなど、逃げ道がないことを自覚してから初めて考え始めるようなところも多いように思います。
ですから、事業承継に関するアドバイスをしているようなコンサルタントは、早めに準備することが大事であると口をそろえて言いますし、私もそれは確かにその通りだと思います。

ただ、これは私の知っている元経営者の方ですが、ご自身の引退後の生活プランのもとに、50代のうちから自分の引退時期を定め、自分の後継者は自分で決め、10年ほどの時間をかけて、スムーズな事業承継をして引退した方がいらっしゃいました。
私から見ていても、とてもきれいな引き方で、もしも自分が同じ立場であったとしたら、同じようにできれば理想的だと思うような形でした。

しかし、その後何年か経過してからその方にお話をうかがうと、少し考え方が変わっていました。
当初想定していた引退後の生活プランは、いろいろな事情があって思っていた通りには行かなくなり、そうなると自分の社会的な立場が、急になくなったような気がしたそうです。

そんな中で、たまたま元の会社に顔を出すと、みんなが明るく挨拶をしてくれ、古株の社員たちからは「また戻ってこないんですか?」などと声を掛けられ、ものすごく心が揺らくようなことがあったそうです。
自分では割り切って引退したつもりだったが、本当にそれが良かったのかどうかを、あらためて悩んでしまったことがあったそうです。

事業承継の実態を見ていると、資産の相続、会社の財務、関係者との人脈などという実質的な問題はありますが、それ以上に本人や周囲にいる人たちの感情的な問題が大きいように感じます。理屈ではわかっていても、自分が一生懸命育ててきた会社への思いは、それほど単純なことではありません。

事業承継は、いつかはやらなければならないことですし、そのための準備は早いに越したことはありません。ただ、理屈だけで簡単に割り切れるものでもありません。

私たちのように、第三者として会社経営に関わる者は、こんな部分でもしっかりご支援する必要があるのだと、あらためて思っているところです。